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November 23112005

 体型に合はぬ外套文語文

                           前田半月

句も収載されていることから、新刊の大岡信著『新・折々のうた8』(岩波新書)が送られてきた。パラパラと拾い読みしているうちに、この句に目がとまった。解説によれば、作者は「俳句形式の中で『言葉』についての論議をくりひろげようと試みているようだ」として、「擬態語のなかでぬくぬく竈猫」「彫像は直喩なりけり日脚伸ぶ」が引かれている。なるほど、面白い試みだ。しかし反面、こじつけ過ぎにならぬよう工夫するのが大変だろうなとも思う。掲句の季語は「外套(がいとう)」で冬。「文語文」への違和感を詠んでいる。どうも「文語文」というヤツは、(自分の)体型に合わない「外套」みたいで、しっくり来ないというわけだ。まあ、これは作者の思いだから額面通りに受け取るしかないが、古風な文語文を敬遠するのに、同じく古風な「外套」という言葉をもってきたところが微笑を誘う。「(オーバー)コート」ではなく「外套」を使ったのは、むろん意図してのことに違いない。「コート」の比喩で文語文を撃つのでは当たり前。あえて古い言葉の「外套」を持ち出して撃っているから、にやりとさせられるのである。ところで「外套」と言えば、多くの人がゴーゴリの短編を思い出すだろう。登場時の主人公が着ていた外套は、体型に合うとか合わないとかの問題以前のつぎはぎだらけのボロボロで、みんなから(平井肇訳では)「半纏(はんてん)」と呼ばれているような代物だった。そんな外套で、主人公は厳冬のペテルスブルグを歩いていた。十九世紀ロシアの悲しき外套よ……。この外套ならば、文語文にはむしろ馴染みそうだなと思ったことだった。『半雨半晴』(2004)所収。(清水哲男)




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