November 242005
校則で着るやうなセーターを着て
田口 武
季語は「セーター」で冬。何の気なしに、ふと自分の着ているセーターのことが気になった。色は、紺色だろうか。首周りはVネックで、まことに変哲もないものだ。若いときにはお洒落を意識して、「校則」に抵触するかしないかのぎりぎりのセーターを着たものだったが、いま身につけているのは校則の指示にあった見本みたいな代物である。若さ、お洒落。そういうものから完全に離れてしまった自分に、ひとり作者は苦笑している。作者四十代の句であるが、この句への反応は読者の世代によってまちまちだろう。校則が戦後の生徒を縛りはじめたのは、この国が高度成長期にさしかかったころからだからだ。私の中学高校時代には日本全体が貧乏だったので、あるにはあった校則も十分に機能していなかった。とくに服飾に関しては、あれこれとうるさい規則を設ける以前の問題として選択肢が少なかったし、それよりも何よりもとにかく当座の服装を何とかすることで精一杯だった。お洒落をする経済的な余裕などなかったわけで、学校でセーターの色や形まで決めるなどはナンセンスの極みと言おうか、近未来にそんな校則が登場することになろうなどとは露思わない世代だったということになる。したがって、私には実感的には掲句はわからない。ただ、ずっと後の世代でないと作れない句だなと見入ってしまったのだ。句に触発されて現今の校則をいくつか読んでみて、とりわけて女子高のやかましさ(制服規定はもちろん、髪型からスカート丈まで)は凄いものだと、これまた見入ってしまったことである。『さうぢやなくても』(2005)所収。(清水哲男)
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