欧州各地に大寒波襲来、凍死者、停電も。かたや時期を早めてオープンするスキー場も。




2005ソスN11ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 28112005

 小春日やものみな午後の位置にあり

                           清水青風

語は「小春(日和)」で冬。陰暦十月の異称、「小六月」とも。立冬を過ぎてからの春のように暖かい晴れた日の状態が「小春日和」だ。「小春風」「小春空」などとも使う。掲句の「位置」という言葉からすぐに思い出したのは、木下利玄の代表作「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」である。高校生のときに、教室で習った。静かに咲いている牡丹の花の様子を描いて、「位置のたしかさ」とはまた、言い得て妙だ。咲く「位置」に一分の狂いがあっても、その美しさは減殺されてしまう。動かし難いその「位置」にあってこその牡丹花の美しさであり、品格なのだ。掲句の「位置」もまた、利玄の歌のように「ものみな」動かし難いことを指して、「小春日和」のありようを活写している。暖かい初冬の午後の静けさ。淡い日を浴びて「ものみな」それぞれに影を落としているが、それらがみな「午後の位置」にあると認識することで、小春日和の穏やかさがいっそう強調され、増してくるのである。で、この句を読んでもう一つ思い出したのが、山口百恵の歌った「秋桜」だった。明日嫁ぐ娘が、母親に対する気持ちを歌っている。途中に「♪こんな小春日和の穏やかな日は/あなたの優しさが沁みてくる……」とあって、この部分の歌詞というよりも、ここで転調するさだまさしのメロディが、それこそ動かし難く小春日和のありようを告げている。暖かいがゆえに寂しさが募る「午後の位置」を、音楽的に表現した傑作だと思う。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


November 27112005

 すき焼きを囲むとなりの子も加はり

                           若林卓宣

語は「すき焼き(鋤焼)」で冬。ご馳走だったなあ、昔は。年に何度もは、食べられなかった。何か特別な日。サラリーマンの家庭だと、ボーナスが出た日の夕食だとか、とにかくその日の思いつきで食べられるような料理じゃなかった。牛肉が高かったせいである。掲句も、そんな時代の句だと思う。何かのお祝いだろう。せっかくの「すき焼き」だからと、わざわざ「となりの子」も呼んでやっている。想像するに、その子の両親にも如何かと声をかけたのだが、さすがに大人は遠慮したのではあるまいか。そんな時代を経た人でないと、この句のどこが「味」なのかはわかるまい。この子がおずおずと牛肉に箸を伸ばす様子すら、目に見えるようだ。そして時は流れ、この子が大きくなって社会人となり、見渡してみたら、もう「すき焼き」はご馳走でも何でもなくなっていた。となりの子を呼んだって、来やしない。いやその前に、すき焼き(ごとき)で声をかけるなんぞが常識外れになってしまっている。しかし、こんな時代になっても、私の同世代はいつまでも「となりの子」意識が抜けないから、いまだにご馳走という思いが強い。幾人かで囲んでいるときに、たとえば誰かがもりもりと肉を食べたりすると、気になって仕方がない。現代っ子は、すき焼きよりもハンバーグが好きなんだそうだ。つまり、いまやご馳走という観念や感覚自体が社会から消えてしまったというわけだろう。ああ、食べたくなってきたな、すき焼き。『現代俳句歳時記・冬(新年)』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


November 26112005

 北陸や海照る屋根の干布団

                           岡本 眸

語は「(干)布団」で冬、「蒲団」に分類。句は「富山三句」のうち。富山には秋にしか行ったことがないが、テレビの天気予報で見ているだけでも、富山をはじめ冬の「北陸」地方の晴れ間は多くないことがわかる。連日のようにつづく鈍色の空。それがたまに良く晴れたとなると、きっと句のような情景があちこちで見られるのだろう。二階の窓から屋根いっぱいに干された布団が、海への日差しの照り返しも受けてほっこりと暖まってゆく光景である。一見なんということはない句だけれど、この情景はそれだけで読者の心をほっこりとさせる。しかも「北陸や」と大きく張った句柄が、いやがうえにもほっこり感を大きくしてくれるのだ。さすがは富安風生門らしい詠みぶりである。東京あたりでは一戸建ての住宅が少なくなったせいもあるけれど、なかなかこういう情景にはお目にかかれない。それに昔から、屋根に直接布団や干し物を広げる習慣もなかったようだ。ここ数年のうちで私が目撃した珍しい例では、干してあるのではなかったが、初夏の屋根いっぱいに鯉のぼりを広げたお宅があった。新築の一戸建て。きっと前に住んでいた家では大きな鯉のぼりを立てるスペースがあったのに、引っ越してきてそれがなくなってしまったのだ。だから仕方なく……、ということのようだと思ってしばらく見ているうちに、なんだかとても切ない気持ちになったことを思い出す。「俳句」(2005年12月号)所収。(清水哲男)




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