November 292005
アカーキイ・アカーキエヴィチの外套が雪の上
中田 剛
季語は「外套(がいとう)」とも「雪」ともとれるが、メインとしての「外套」に分類しておく。さて、ついに出ました「アカーキイ・アカーキエヴィチ」。数日前にも触れたゴーゴリの小説「外套」の主人公だ。したがって、この作品を読んでいないと句意はわからないことになる。アカーキイ・アカーキエヴィチ。この特長のある名前は、私の若かったころには多くの人にお馴染みだったけれど、現在ではどうだろうか。19世紀のロシア小説などは、もう若い人は読まないような気がする。ストーリーはいたって単純で、うだつの上がらぬ小官吏であるアカーキイ・アカーキエヴィチが、一大決心のもとに外套を新調する。やっとの思いで作った外套だったのに、追いはぎにあって盗られてしまう。被害届を出したり、その筋のツテを頼って必死に取り戻そうとするが上手く行かず、そうこうするうちに悲嘆が嵩じて死んでしまうといったような物語だ。小説はもう少しつづくのだが、読み終えた読者が気になるのは、ついに見つからなかった彼の外套が、ではいったい何処にあるのかということである。おそらく句の作者もずっと気にしていて、とりあえずの結論を詠んでみたというところだろう。長年探していた外套が、なあんだ、ほらそこの「雪の上」にそのままであるじゃないか、と。そう言いきってみて、作者は少し安堵し、私のような読者もちょっぴりホッとする。厳寒のペテルブルグと往時の社会環境が、ひとりのしがない男を不幸に追いやっていく「外套」が日本人にも共感を生んだのは、やはり多くの人が理不尽にも貧しかったせいだろう。誰もそんな時代を望まないけれど、なんだかまた、そんな時代が新しい形でやってきそうな兆しは十分にある。「俳句」(2005年12月号)所載。(清水哲男)
October 152009
水栽培したくなるよな小鳥来る
中居由美
連休3日間はからっとして気持ちのよい晴天が続いた。玉川上水に沿って歩くと林の奥から様々な小鳥の鳴き声が聞こえてくる。「小鳥」と言えば大陸から渡ってくる鳥ばかりでなく、山地から平地へ移ってくる鳥も含むらしい。鶸、連雀、セキレイ、ツグミ、ジョウビタキなど、小鳥たちの種類もぐっと多彩になるのが今の季節だろう。北九州に住んでいたときは季節によって見かける小鳥の種類が変わったことがはっきりわかったけど、東京に来てからは武蔵野のはずれに行かなければなかなか小鳥たちにお目にかかれない。水のように澄み切った秋空を渡ってくる彼らを「水栽培したくなるよな」と歌うような調子で迎え入れている作者の心持ちが素敵だ。「小鳥来る驚くほどの青空を」という中田剛の句があるが、この句同様、真っ青な秋空をはずむようにやってくる小鳥たちへの愛情あふれる挨拶という点では共通しているだろう。『白鳥クラブ』(2009)所収。(三宅やよい)
October 072010
小鳥来る驚くほどの青空を
中田 剛
息苦しいほど太陽が照りつけていた夏空も過ぎ去り、継ぎ目のない筋雲が吹き抜ける空の高さを感じさせる。掲句では「驚くほどの」という表現で澄み切った空の青さを強調しているのだろう。そんな空を飛んできた小鳥たちが街路樹や公園の茂みにさえずっている。ちょんちょんと飛びながらしきりに尾を上下させるジョウビタキ、アンテナに止まってカン高い声で啼くモズ、赤い実をつついているツグミ。そこかしこに群れるムクドリ。鳴き声を聞くだけで素早く小鳥の種類を言い当てる人がいるが、私などは姿と名前がなかなか結びつかない。小鳥を良く知る人に比べれば貧しい楽しみ方だが秋晴れの気持ちのよい一日、可愛らしい小鳥とひょいと出会えるだけで幸せに思える。『中田剛集』(2003)所収。(三宅やよい)
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