新居(新サーバー)への移転完了。いや待てよ、あと二三本釘を打つ必要があるな(笑)。




2005ソスN12ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 11122005

 冬木と石と冬木と石とありにけり

                           友岡子郷

語は「冬木(ふゆき)」。常緑樹も言うが、葉の落ちた木のほうが「冬木」の感じが色濃い。「寒木」と言うと、さらに語感が強まる。寂しい句だ。そして、良い句だ。「冬木と石と」、また重ねての「冬木と石と」。芸としてのリフレインというよりも、素朴でとつとつとした吃音のように聞こえてくる。すっかり葉が落ちた高い木と、地に凍てついた低い石と。しばらく歩を進めても、それだけしか無い世界。いや、他にいろいろとあっても、それだけしか目に入らない世界だ。しかも、おそらくは色も無く、さらには無音の世界なのである。この寂しい風景は、実景であると同時に作者の心象風景でもあるだろう。かつて稲垣足穂が言ったように、人間の関心は若年時には動物に向かい、年輪を重ねるに連れて植物へ、さらには鉱物へと移っていくようだ。だとすれば、この句には老境に差しかかった者の素直な視野が反映されている。寂しき充実。繰り返し読むうちに、そんな言葉がひとりでに湧いてきて、胸に沁み入るようである。今宵は眠りに落ちる前に、この句を反芻してみよう。深い孤独感が、永遠の眠りの何たるかを秘かに告げてくれるかもしれない。『雲の賦』(2005)所収。(清水哲男)


December 10122005

 洛中の師走余所事余所者に

                           田中櫻子

語は「師走」。2006年版の『俳句年鑑』(角川書店)で、櫂未知子が「二〇〇五年の収穫」として、二〇代一〇代という若い俳句の書き手を紹介している。みんな、なかなかなものだ。なかで、気に入った句の一つに掲句があった。気に入ったのは、それこそ私が若い頃、京都に「余所者(よそもの)」として住んでいたことに関係がある。千年の都であり、また観光地でもあるので、京都の四季折々には他の都市とは違って、その都度のメリハリが色濃い。師走になれば四条南座の顔見世興行もあるし、そんな派手さはなくとも店々を覗けば年用意の品が細かいものまで何やかやと並べられている。すなわち、京都はいま街ぐるみで師走の顔をしているというわけだ。だが、街がそのようであればあるほど、余所者の居心地はよろしくなくなる。市内に自宅を持たぬ者にしてみれば年用意も無縁だし、正月に向けての街の動きをただ眺めて過ごすしかないのだから……。だから作者のように、しょせんは「余所事」と突き放してはみるものの、他方では京都の伝統的な床しい正月に参加しそびれる口惜しさも覚えるわけだ。句は、決して「余所事」なので関係がないと言っているのではなく、せっかく京都にいるのに、関係を持とうにも持てないもどかしさを表現していると読んだ。ところで、作者の田中櫻子さんは、詩も書いておられる方ではないでしょうか。ある雑誌の投稿欄で、よくお見かけするお名前です。だとすれば、仕事のために京都にお住まいになったのは二年ほど前でしたよね。間違っていたら、どちらの田中さんにもごめんなさい。俳誌「藍生」(2005年4月号)所載。(清水哲男)


December 09122005

 ぬぬつと大根ぬぬぬとニュータウン

                           今富節子

語は「大根」で冬。ははは、これは愉快。対比の妙、言い得て妙。この冬も畑に勢い良く大根が育ち、「ぬぬつ」と伸びてきた。で、はるかあなたを見渡せば、あちらでは幾棟もの高層住宅が「ぬぬぬ」と伸びている。大根は育つものゆえ「ぬぬつ」なのであり、ニュータウンの住宅はもはや育たないので「ぬぬぬ」のままの状態なのである。何気ない表現に見えて、神経が行き届いている。ところで、ニュータウン。句としてはむろんこれで良いのであるが、近づいてみると、いろいろな問題があるようだ。元来ニュータウンは、若い夫婦の入居先に考えられた住宅街で、子育てが終わったら次の世代の夫婦と交替する構想のもとにあった。だが、現実的には地価の高騰などによる住宅難から、スムーズな世代交替は行われず、いまやオールドタウンと言われるところも珍しくはない。「また、行政自らが、住民の共有財産といえる、風土や自然環境を破壊して土地を開発し、その土地の売却で新たな事業資金を得るという、まるで不動産開発業者のような事業形態が多い。その結果、現実の需要に関わり無く、過大な需要予測に基づいて次々に開発を続けて行くといった事態が生じ、特にバブル経済破綻後、これらの事業体が巨額の累積赤字、借入金や売れない土地を抱えている事実が判明して、その処理が大きな社会問題になっている」(「Wikipedia」より)。読者のなかには、ニュータウンにお住まいの方もおられるだろう。遠望すれば「ぬぬぬぬ」の街区にも、諸問題は途切れることなく「ぬぬつ」と頭をもたげつづけているというわけだ。『多福』(2005)所収。(清水哲男)




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