December 132005
凍鶴のほとりの土の雀かな
中村三山
季語は「凍鶴(いてづる)」で冬,「鶴」に分類。寒い日の鶴は、凍りついたように身じろぎもせず、曲げた首を自分の翼深く埋めて立っている。かたや、周辺(ほとり)の雀たちは餌を求めて活発だ。最近、澁谷道さんから随想集『あるいてきた』(2005・私家版)をおくっていただき、なかの「幻のひと三山」で、この句が紹介されていた。引用しておく。「『ほとりの土』という言葉のはたらきが一句にどれだけの重みを与えていることか。凍鶴を主人公に置きながらそれについては触れずに、『ほとりの土の雀』を詠嘆して、凍鶴の存在感を不動のものにしている。なんというまなざしの冴えた優しさ、隙のない表現であろう。作者の心根の深さこまやかさが、わたくしのこころにヒタ、と貼りつき剥がれない」。これ以上の鑑賞をつけくわえる必要はないだろうが、たった十七文字でこれほどの「心根の深さこまやかさ」を表現できるとは驚きだ。実は私も知らなかったのだが、作者の中村三山は昭和初期に虚子に認められたのだが、水原秋桜子が「ホトトギス」を離脱する際に強く「馬酔木」への参加を求められ、懊悩の果てに両誌への出句を止めてしまった。その後、いわゆる京大俳句事件では起訴猶予になったものの、そこで俳句の筆を折り、戦後になってもついに作句することはなかったという。「幻のひと」と言われる所以だが、あくまでもみずからの心根に忠実だった人柄がしのばれる。澁谷さんの文章に二十句ほど紹介されているので、機会を見て取り上げていきたいと思う。『中村三山遺句集』(1983)所収。(清水哲男)
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