大寒波襲来で大雪。北国の方は大変ですね。被害の出ませんようにお祈りしております。




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December 17122005

 母すこやか蕪汁大き鍋に満つ

                           目迫秩父

語は「蕪汁(かぶらじる)」で冬。この季節、霜にあたった蕪(かぶ)は甘みが出て美味である。それを味噌汁仕立てにしたのが「蕪汁」だと、どんな歳時記にも書いてある。しかし、私の子供のころに母が作ってくれたのは「すまし汁」だった。母の実家の流儀なのか、あるいは味噌が潤沢にはなかったせいなのか、それは知らない。畑で蕪は山ほど穫れたので、とにかく冬には来る日も来る日も蕪汁だった。すなわち風流とも風趣とも関係のない、貧乏暮らしの果ての汁物だったわけだが、子供のくせに私は蕪の味が好きだったから、けっこう喜んで食べていた。ご飯にざぶっとかけて食べても、なかなか良い味がした。こう書いていると、ひとりでに当時の味を思い出す。それほど頻繁に、食卓に上っていたということである。掲句もおそらくは、そうした子供の頃の思い出が詠まれているのだろう。「母すこやか」とわざわざ書き記すのは、現在とは違って、母が元気だったころのことを言いたいがためである。母がとても元気で、大きな鍋では蕪がいきおいよく煮立てられていて、思い返してみれば、我が家はあの頃がいちばん良い時期だったなあと詠嘆している。当時は気がつかなかったけれど、あの頃が我が家の盛りだった……と。誰にでも、こうした思い出の一つや二つはあるにちがいない。料理としては地味な「蕪汁」を、それもさりげなく詠んでいるので、逆に読者の琴線にぴりりと触れてくるのである。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


December 16122005

 年の瀬や隣家は船のごとく消え

                           和泉祥子

語は「年の瀬」で冬、「年の暮」に分類。この慌ただしい季節に、隣家が引っ越していった。「船のように消え」とは、おそらく引っ越していっただけではなくて、住んでいた家がそっくり取り壊されたのではなかろうか。あとは更地だ。長年そこに建っていた家が跡形も無く消えてしまった。長い間港に停泊していた船が、とある日、忽然と出港してしまったかのようである。寂しさもむろんあるけれど、いささか茫然の感もあって、しばし作者は跡地を見入っているのだろう。こういうことは何も「年の瀬」に限ったことではないのだが、作者自身の慌ただしさともあいまって、余計に茫然の感情が色濃くなっているのだと思う。実は現在、掲句とは逆のことが私の身近に起きつつある。秋口にマンションの真向かいの民家が、それこそ忽然と消えてしまい、いま新しい家を建築中だ。なんでもアパートができるという噂である。しかし、建築中の建物にはすっぽりとグリーンのビニール・シートがかぶせられていて、外からでは全容がどうなるのかは窺い知れない。全体が四角く角ばっていて、普通の民家のような造りではなさそうだが、どんな建物が出現するのだろうか。現場に立てられている工事の説明板によれば、完成は十二月となっている。となると、旬日中くらいには全体像が姿を現すはずである。きっと「船のように」堂々と、ある日忽然という感じで……。俳誌「くったく」(50号記念句集・2005)所載。(清水哲男)


December 15122005

 降る雪や玉のごとくにランプ拭く

                           飯田蛇笏

語は「雪」。表では、しんしんと雪が降りつづいている。暗くならないうちにと、作者がランプの火屋(ほや)を掃除している図だ。火屋の形状も物理的には一種の「玉」ではあるが、句の「玉」は夜中に光り輝く珠玉のようなものとして詠まれている。息を吹きかけながら、キュッキュッとていねいに拭いている。深い雪に閉じ込められる身にとっては、夜の灯りはなによりの慰めだから、ていねいさにも身が入るのだ。押し寄せる白魔にはあらがう術もないけれど、このときに最後の希望のように火屋を扱っている作者の自然な感情は美しい。子供のころ、我が家もランプ生活だったので、この感情のいくばくかは理解できる。私は火屋の掃除係みたいなものだったので、やはり「玉のごとくに」拭いていた。ただ、作者の拭いた時代は戦前のようだから、「玉」もしっかりしていただろう。句全体から、なんとなくそれが感じられる。ひるがえって私の時代は敗戦直後という悪条件があり、火屋のガラスはみな粗悪品だった。なにかの拍子に、すぐに割れてしまった。これが、実に怖かった。我が家には火屋を買い置きしておく経済的な余裕がなかったので、割れたとなると、一里の雪の道を歩いて村に一軒のよろず屋まで買いにいかねばならない。慎重に拭いてはいたのだが、それでも割れることは何度もあった。親には叱られ,暗くなりかけた雪道に出て行くあの哀しさは忘れられない。生活のための「玉」の貴重さを、掲句から久しぶりに思い出されたのだった。私の暮らしていた山陰地方は,今日も雪の予報である。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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