有事に警報の放送義務づけ、195民放が指定された。いよいよ「大本営発表」が現実に。




2005ソスN12ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 18122005

 門々や子供呼込雪のくれ

                           野 童

こ半世紀ほどで大きく変わったことの一つに、こうした子供の情景がある。江戸は元禄期の句だが、この情景には、私の世代以前から十年ほど後の世代くらいの者であれば、みなシンパシーを覚えるだろう。懐かしい情景だ。雪の日とは限らないけれど、夕方になるとあちこちから表で遊び呆けている子供たちを「呼(び)込(む)」声が聞こえてきたものだった。「ご飯ですよーっ」、「もう暗いから帰っておいで」など。ところが、遊びに夢中になっていると、呼び込む声は聞こえても、そう簡単には帰りたくない。「おい、お前。帰って来いってさ」と仲間から言われても、「まだ大丈夫だよ、平気だよ」と愚図愚図している。そのうちに渋々と一人が帰り、また別の一人が遊びの輪を離れていきと、毎夕が同じことの繰り返しであった。句の場合も同様の情景であるが、ことに「雪のくれ」だから、戸外の寒さと子供の元気さとが想起されて微笑ましい。そしてさらには、それぞれの家で子供を待っている暖かい食卓にも思いが及び、句の「雪のくれ」という設定がいっそう生きてくるのである。この句を紹介している柴田宵曲も、このことを頭においてか、次のように書いている。「平凡な句のようでもある。しかし一概にそういい去るわけにも行かないのは、必ずしも少年の日の連想があるためばかりとも思われぬ」。寒い雪の日の夕ぐれと暖かい家庭との暗黙の取り合わせによる、庶民的幸福の情景。句の主題は、ここにあるような気がする。『古句を観る』(1984・岩波文庫)所載。(清水哲男)


December 17122005

 母すこやか蕪汁大き鍋に満つ

                           目迫秩父

語は「蕪汁(かぶらじる)」で冬。この季節、霜にあたった蕪(かぶ)は甘みが出て美味である。それを味噌汁仕立てにしたのが「蕪汁」だと、どんな歳時記にも書いてある。しかし、私の子供のころに母が作ってくれたのは「すまし汁」だった。母の実家の流儀なのか、あるいは味噌が潤沢にはなかったせいなのか、それは知らない。畑で蕪は山ほど穫れたので、とにかく冬には来る日も来る日も蕪汁だった。すなわち風流とも風趣とも関係のない、貧乏暮らしの果ての汁物だったわけだが、子供のくせに私は蕪の味が好きだったから、けっこう喜んで食べていた。ご飯にざぶっとかけて食べても、なかなか良い味がした。こう書いていると、ひとりでに当時の味を思い出す。それほど頻繁に、食卓に上っていたということである。掲句もおそらくは、そうした子供の頃の思い出が詠まれているのだろう。「母すこやか」とわざわざ書き記すのは、現在とは違って、母が元気だったころのことを言いたいがためである。母がとても元気で、大きな鍋では蕪がいきおいよく煮立てられていて、思い返してみれば、我が家はあの頃がいちばん良い時期だったなあと詠嘆している。当時は気がつかなかったけれど、あの頃が我が家の盛りだった……と。誰にでも、こうした思い出の一つや二つはあるにちがいない。料理としては地味な「蕪汁」を、それもさりげなく詠んでいるので、逆に読者の琴線にぴりりと触れてくるのである。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


December 16122005

 年の瀬や隣家は船のごとく消え

                           和泉祥子

語は「年の瀬」で冬、「年の暮」に分類。この慌ただしい季節に、隣家が引っ越していった。「船のように消え」とは、おそらく引っ越していっただけではなくて、住んでいた家がそっくり取り壊されたのではなかろうか。あとは更地だ。長年そこに建っていた家が跡形も無く消えてしまった。長い間港に停泊していた船が、とある日、忽然と出港してしまったかのようである。寂しさもむろんあるけれど、いささか茫然の感もあって、しばし作者は跡地を見入っているのだろう。こういうことは何も「年の瀬」に限ったことではないのだが、作者自身の慌ただしさともあいまって、余計に茫然の感情が色濃くなっているのだと思う。実は現在、掲句とは逆のことが私の身近に起きつつある。秋口にマンションの真向かいの民家が、それこそ忽然と消えてしまい、いま新しい家を建築中だ。なんでもアパートができるという噂である。しかし、建築中の建物にはすっぽりとグリーンのビニール・シートがかぶせられていて、外からでは全容がどうなるのかは窺い知れない。全体が四角く角ばっていて、普通の民家のような造りではなさそうだが、どんな建物が出現するのだろうか。現場に立てられている工事の説明板によれば、完成は十二月となっている。となると、旬日中くらいには全体像が姿を現すはずである。きっと「船のように」堂々と、ある日忽然という感じで……。俳誌「くったく」(50号記念句集・2005)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます