December 202005
まいにちが初めての年暮れにけり
千葉皓史
季語は「年暮る」、「年の暮」に分類。毎年訪れてくる年の暮れだが、しかし、ここに至る「まいにち」はいつも「初めて」であった。と、なんでもない普通のことを普通に詠んだだけのように写るかもしれないが、なかなかどうして、面白い発想である。詠まれている時期は年の暮れなのだが、この句には歳末の感慨だけではなく、来るべき新年に向けての期待感や抱負が含み込まれているからだ。むしろ、後者の要素が大きいくらいかもしれない。年の暮れにあたっての反省として、毎日が新しい日々だったわけだが、それらの日々を常に新鮮な気持ちで生きてきたろうかということがある。そう反省してみると、「まいにちが初めて」という意識をいつも持っていたわけではなかった。だから、来年こそは、この誰にでも当たり前のことをきちんと意識して生きていこうと、作者の心はもう半ば以上は新年に飛んでいる。したがって掲句は、年末の句でありながら新年の句だとも素直に読めてしまう。考えてみれば、年の瀬の意識のなかには、誰でも新しい年へのそれが滲んでいるはずである。正月の句に「まいにちが初めて」といった表現はよく見かけるけれど、それを年の暮れに言ったところがとても珍しい。さて今年も旬日で暮れていきますが、個人的にも社会的にも、どうも新しい年にはあまり期待できそうもない気がしてなりません。せめて「まいにちが初めて」の意識だけは持ちつづけたいものと思っております。「2006・俳句研究年鑑」所載。(清水哲男)
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