December 212005
熱燗やきよしこの夜の仏教徒
小倉耕之助
季語は「熱燗(あつかん)」で冬。なんとも皮肉の効いた句だ。聖夜、ワインだシャンパンだと、多くの日本人が西洋風な飲み物を楽しんでいるであろうときに、ひとり「てやんでえ」とばかり「熱燗」をやっている。まあ、この人が本物の仏教徒かどうかは知らないが、形としては日本人の大半が仏教徒だから、真正面から考えると、いまのように多くの人がクリスマスを祝うのは筋が通らない。私が子供だった頃には、こんなにクリスマスが盛んになるとは夢にも思えなかった。翌朝の新聞には、銀座のキャバレーあたりで騒いでいる男たちの写真が載っていたほどだから、どんな形にせよ,聖夜を祝うこと自体が珍しかったわけだ。それなのに、いつしか現在のような活況を呈するにいたり、日本人は器用と言えば器用、無神経と言えば無神経だと、世界中から好奇の目を向けられることになってしまった。十年ほど前になるか、あるアメリカ人に「メリー・クリスマス」と気を利かしたつもりで挨拶したら、「あ、僕はクリスチャンじゃありませんから」と返事されたことがある。知らなかったのだけれど、彼はユダヤ系だった。そのときに赤面しながら切実に感じたのは、まぎれもなく私はクリスマスに浮かれる日本人の一人なのであり、そんな軽いノリで生きているのであるということだった。とは言うものの、ここまで高まってきた日本のクリスマス上澄み掬いの風潮は、なかなか静まることはないだろう。せめて句の人のように熱燗で「てやんでえ」くらい気取ってみたいものだが、日本酒が苦手ときては、それもままならない。なんだかなあ。『航標・季語別俳句集』(2005)所載。(清水哲男)
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