ものすごい雪ですね、お見舞い申し上げます。東京は逆にカラカラ天気で体調不良に…。




2005ソスN12ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 23122005

 数へ日の交番に泣く女かな

                           菅野忠夫

語は「数へ日(かぞえび)」で冬。「♪もういくつ寝るとお正月」と、年内も押しつまって、指で数えられるほどになったころのこと。年内もあと八日、今日あたりから使える季語だ。さて、掲句。「交番」のイメージは各人各様ではあろうが、あまりお世話にはなりたくないところだ。そんな意識があるからか、交番の前を通りかかると、なんとなく中を見てしまう。とくに警察官以外の人のいる気配がするときには、立ち止まって眺めるほどではないにしても、少し注意して観察する目になる。何だろうか、何かあったのかと、野次馬根性も大いに働く。たいていは誰かが道を尋ねていたりするくらいのものだが、ときには句のような情景を見かけることもある。それこそ、何があったのか。「女」がひとり、明らかに泣いている。雑踏のなかで大切なお金をそっくりすられでもしたのか、あるいは何か揉め事を訴えてでもいるのだろうか。むろん作者は、泣く女を瞥見して通り過ぎただけだから、想像だけは膨らんでも事実はわからない。わからないので、余計に気になる。この「数へ日」の忙しいときに、交番で泣くとは余程のことがあったにちがいない。あの人には、明るいお正月もないだろうな、気の毒に。等々、家に戻っても、ふっと泣いている情景を思い出す。年の瀬ならではの人情もからんだ、ちょっと短編小説のような味のする句だ。『航標・季語別俳句集』(2005)所載。(清水哲男)


December 22122005

 日は午後に冬至の空のさゝ濁り

                           石塚友二

日は「冬至」。太陽が最も北半球から遠ざかる日で、一年中でいちばん日が短い。昔から「冬至冬なか冬はじめ」と言い習わされ、この日から冬の寒さがはじまると言われてきたが、今年はもう真冬が来てしまっている。掲句の「空」は、この時期に晴れることの多い東京あたりのそれだろう。今日も良く晴れてはいるが、午後になってきて見上げると、少し曇ってきたような……と言うのである。「さゝ濁り」は一般的には「小濁」と漢字表記し、川の水などがちょっと濁っている様子を指す。この句の場合には、「さゝ」は「小」よりも「些些」と当てるほうがぴったり来るかもしれない。「さゝ濁り」と見えるのは、むろん冬至を意識しているからだ。間もなく太陽が沈んでしまう今日の青空に、かすかに雪空めいた濁りを感じたという繊細な描写が生きている。はじめ読んだときには万太郎の句かなと思ったほどに、繊細さに加えてどこか江戸前風な粋の味わいもある。それはそれとして、冬至の時期は多くの人が多忙だから、なかなかこうした気分にはなれないのが普通だろう。それどころか、今日が冬至であることにすら気がつかない年もあったりする。私などは何日かして、あっ過ぎちゃったと気づくことのほうが多かったと思う。幸いと言おうか何と言おうか、今年の仕事は一昨日ですべて終わったので、今年の今日こそはゆったりと「さゝ濁り」を眺められそうである。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


December 21122005

 熱燗やきよしこの夜の仏教徒

                           小倉耕之助

語は「熱燗(あつかん)」で冬。なんとも皮肉の効いた句だ。聖夜、ワインだシャンパンだと、多くの日本人が西洋風な飲み物を楽しんでいるであろうときに、ひとり「てやんでえ」とばかり「熱燗」をやっている。まあ、この人が本物の仏教徒かどうかは知らないが、形としては日本人の大半が仏教徒だから、真正面から考えると、いまのように多くの人がクリスマスを祝うのは筋が通らない。私が子供だった頃には、こんなにクリスマスが盛んになるとは夢にも思えなかった。翌朝の新聞には、銀座のキャバレーあたりで騒いでいる男たちの写真が載っていたほどだから、どんな形にせよ,聖夜を祝うこと自体が珍しかったわけだ。それなのに、いつしか現在のような活況を呈するにいたり、日本人は器用と言えば器用、無神経と言えば無神経だと、世界中から好奇の目を向けられることになってしまった。十年ほど前になるか、あるアメリカ人に「メリー・クリスマス」と気を利かしたつもりで挨拶したら、「あ、僕はクリスチャンじゃありませんから」と返事されたことがある。知らなかったのだけれど、彼はユダヤ系だった。そのときに赤面しながら切実に感じたのは、まぎれもなく私はクリスマスに浮かれる日本人の一人なのであり、そんな軽いノリで生きているのであるということだった。とは言うものの、ここまで高まってきた日本のクリスマス上澄み掬いの風潮は、なかなか静まることはないだろう。せめて句の人のように熱燗で「てやんでえ」くらい気取ってみたいものだが、日本酒が苦手ときては、それもままならない。なんだかなあ。『航標・季語別俳句集』(2005)所載。(清水哲男)




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