三菱東京UFJ銀行が営業開始。マンションの経費関連で、この長い銀行名と縁が切れない。




2006ソスN1ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0412006

 門松や黒き格子の一つゞき

                           呂 風

戸の正月風景も見ておこう。例によって柴田宵曲『古句を観る』(1984・岩波文庫)からの句で、元禄期の町の様子だ。近年の東京で門松を立てる家は珍しくなってしまったが、江戸の町ではこのようにどの家でも立てていた。正月を寿ぐ歌の文句にもあるけれど、まさに「♪門松立てて門ごとに……」である。ところで私は掲句を解釈する際に、「黒き格子」とあるので、どこか粋筋の町の様子を思い浮かべてしまったが、宵曲の解説を読んで大間違いだとわかった。「黒き」を塗り格子と読んだのが失敗で、これは宵曲によれば格子が古びて黒っぽくなっている感じを詠んでいるのだという。私は格子戸が一般的だったころの町の風景に思いがいたらなかったわけで、古い句を読むときには現代感覚を捨てなければならない。となれば、普段は目立ちもしない格子つづきの家並みが、家ごとの門松の存在によってにわかに淑気を帯び、とてもおめでたい気分だという句意になる。なんでもない普通の小さな家々の「一つゞき」が、ぱっと輝くように見えたのが昔のお正月であった。一陽来復の実感がある。最後に,宵曲は書いている。「堂々たる大きな門構でなければ、正月らしく感ぜぬ人たちは、こういう句のめでたさとは竟(つい)に没交渉であるかもしれぬ」。この言は、別の意味で現代人にも通用しそうである。(清水哲男)


January 0312006

 年玉やかちかち山の本一つ

                           松瀬青々

語は「年玉」で新年。大正期の句だと思われる。この「年玉」は、誰が誰に与えたものだろうか。間違いなく、作者が幼い我が子に与えたものだ。他家の誰かから我が子にもらったものでもなく、作者が他家の子供にあげたものでもない。というのも「かちかち山」はあまりにも有名な昔話だから、他家の子供が既にこの本を持っている確率はかなり高いので、いきなりプレゼントするのははばかられるからである。持っていないことが確実なのは、我が子しかないのだ。そして、我が子が正月にもらった年玉は、結局その本「一つ」だったと言うのである。句の背景には、もちろん推測だが、正月といっても年賀に訪れる客もなかったことがうかがわれるし、日頃からのつつましやかな生活ぶりも見えてくる。そのたった一つの年玉に喜んで、何度も何度も本を広げているいじらしい我が子へのいとしさが滲み出ている句だ。現代の子供への年玉は、たとえ小さい子に対してでも現金で与えるのが普通のようだが、昔はその時代なりの慣習や教育的配慮もあって、句のように物で与える例も多かったにちがいない。金銭は不浄という日本的な観念が社会的にあらかた払拭されたのは、つい最近のことである。不浄どころか、いまや金銭をたくさん所持している人物が偉いとまで考えられるようになってきた。そんな偉い人が、どうかすると「泥舟」で沈んでゆく姿も見かけるけれど。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)


January 0212006

 二日はや雀色時人恋し

                           志摩芳次郎

語は「二日」で新年。正月二日のこと。俳句を覚えたてのころ、つまり中学生のころ、「二日」が季語と知って驚いた。子供にとっての正月二日はとても退屈な日でしかなかったので、何故そんな日をわざわざ季語にする必要があるのかと、腹立たしくさえ思ったものだ。元日ならお年玉ももらえるし、年賀状もちらほらと来るし、それなりのご馳走にもありつけたので、家でじっとしてるのも苦ではなかった。が、それも一日が限度。二日になると、もういけない。年賀状の配達もなかったし、新聞も休刊日で,まったく刺激というものがない。掲句はむろん大人の句だけれど、同じように無性に「人恋し」くなって、友人の誰かれに会いたくなってしまう。でも、それは禁じられていた。正月早々にのこのこ他の家に遊びに行くと、迷惑になるという理由からであった。そんな「二日」が、なんで季語なんかになってるんだよ。と思っているうちにわかってきたのは、多くの子供には無関係だけれど、ことに昔の大人の社会では、この日が仕事始めの日だということだった。初荷、初商い、それに伴って活気づく町。たしかに元日とは違う表情を持った日ということで、なるほど季語化したのもうなずけると合点がいったのだった。といっても、なかには作者のような無聊をかこつ大人も大勢いるわけで、逆にこの立場からしても「二日」は特別な日と言えば言えるのではなかろうか。なお「雀色時」は、あたりが雀の羽根のような色になることから、日暮れ時を言った。洒落てますね。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)




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