Nq句

January 0512006

 蒼天の愁ひかすかに五日かな

                           小方康子

語は「五日」で新年。一月五日のこと。今日から、本格的な仕事始めの会社が多いだろう。まだ松の内とはいえ、これからは少しずつ日常が戻ってくる。作者はその感じを、昨日と変わらぬよく晴れた正月の空ながら、どこか「愁ひ」を含んでいるように見えると表現している。「青空」としないで「蒼天」と漢語調に詠んだのは、空に「愁ひ」を滲ませるためだろう。「青空」としたのではあまりにカラッとしすぎてしまい、「愁ひ」の湿り気を含ませる余地がないからである。ただし、この場合の「愁ひ」は、正月のハレの気分が遠ざかってゆく一抹の寂しさのことだから、「蒼天」はいささか大袈裟かもしれないとは思う。むろん、悪い句ではない。で、この気持ちを「青空」の表現の下でどうにかならないかと、しばらく考えてみたのだが、良い知恵は浮かばなかった。ここで話は句を離れ、少しく青空的になるが、独身のサラリーマン時代には仕事始めの日が待ち遠しくてたまらなかった。安アパートで電気ごたつにあたりながら本なんか読んでみても、人恋しさが募るばかりで、いっかな気分は晴れてこない。行きつけの飲み屋も閉っているし、テレビなんて贅沢品は持っていないし、大いに時間を持て余したものだった。だから仕事始めの日には、喜び勇んでの早朝出社とはあいなり、したがってこの日の空は「青空」以外のなにものでもなかったですね。周辺に家族や友人知己があってこそ、いわゆる正月気分は保たれるのだと、思い知らされたことでした。俳誌「未来図」(2006年1月号)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます