January 152006
ペチカ燃ゆタイプライター鳴りやまず
伊藤香洋
季語は「ペチカ」で冬、「ストーブ」に分類。厳寒の地に生まれたロシア風の暖房装置のこと。本体は煉瓦や粘土などで作られており、接続して据え付けられた円筒に通う熱気の余熱で室内を暖める仕掛けだ。句はオフイスの情景だが、新聞社だろうか、あるいは商社かもしれない。ほどよい暖かさのなかで、タイプライターを打つ音がなりやまず、いかにも活気のみなぎった職場風景だ。みんなが、ペチカの暖かさに上機嫌なのである。……と解釈はしてみたものの、私にペチカ体験はない。実は、見たこともない。読者諸兄姉にも、そういう方のほうが圧倒的に多いのではなかろうか。しかし、見たことがなくても、誰もが「ペチカ」を知っている。だいたい、どんなものかの想像もつく。何故なのか。それはおそらく、北原白秋の童謡「ペチカ」のおかげなのだと思う。「♪雪の降る夜は たのしいペチカ/ペチカ燃えろよ お話しましょ……」。この詩情に惹かれて、私たちは実際には知らないペチカを、いつしか知っているように思ってきたのである。そういうふうに考えると、詩の力には凄いものがある。実際のペチカは明治期にロシアから北海道に入ってきたという記録もあるが、高価なために普及はしなかったようだ。そんなわけで、多くの日本人が実際に体験したのは満州においてであった。白秋のこの歌も、満州での見聞が下敷きになっている。独立した俳句の季語になったのも、たぶんこの時期だろう。言うならば中国大陸進出の国策が産み落とした珍しい季語というわけで、さすがに近年の歳時記からは姿を消しつつある。掲句の舞台もまた、国内ではなく満州だったのかもしれない。『俳句歳時記・冬の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)
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