昔「蔵玉錦」を「くらたまにしき」と読むなどして人気の女子アナがいた。初場所混沌。




2006ソスN1ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2012006

 大寒や転びて諸手つく悲しさ

                           西東三鬼

語は「大寒」。「小寒」から十五日目、寒気が最も厳しいころとされる。あまりにも有名な句だけれど、その魅力を言葉にするのはなかなかに難しい。作者が思いを込めたのは、「悲しさ」よりも「諸手(もろて)つく」に対してだろう。不覚にも、転んでしまった。誰にでも起きることだし、転ぶこと自体はどうということではない。「諸手つく」にしても、危険を感じれば、私たちの諸手は無意識に顔面や身体をガードするように働くものだ。子供から大人まで、よほどのことでもないかぎりは転べば誰もが自然に諸手をつく。そして、すぐに立ち上がる。しかしながら、年齢を重ねるうちに、この日常的な一連の行為のプロセスのなかで、傍目にはわからない程度ながら、主観的にはとても長く感じられる一瞬ができてくる。それが、諸手をついている間の時間なのである。ほんの一瞬なのだけれど、どうかすると、このまま立ち上がる気力が失われるのではないかと思ったりしてしまう。つまり、若い間は身体の瞬発力が高いので自然に跳ね起きるわけだが、ある程度の年齢になってくると、立ち上がることを意識しながら立ち上がるということが起きてくるというわけだ。掲句の「諸手つく」は、そのような意識のなかでの措辞なのであり、したがって「大寒」の厳しい寒さは諸手を通じて、作者の身体よりもむしろその意識のなかに沁み込んできている。身体よりも、よほど心が寒いのだ……。この「悲しさ」が、人生を感じさせる。掲句が共感を呼ぶのは、束の間の出来事ながら、多くの読者自身に「諸手つく」時間のありようが、実感としてよくわかっているからである。『夜の桃』(1948)所収。(清水哲男)


January 1912006

 サンドイッチ頬ばるスケート靴のまま

                           土肥あき子

語は「スケート」で冬。いいなあ、青春真っ只中。べつに青春でなくても構わないけれど、おじさんがこの姿でも絵にはならない。で、私のスケートの思い出。はじめてスケート靴をはいたのは、二十歳くらいだったか。大学の体育の授業で、スケート教室みたいなものが急遽ひらかれたときのことだ。急遽というのは、体育の単位は出席時間数に満たないと取得できない規定があって、この時期に正規の授業だけでは時間数が不足になることが明らかな学生を救済するための臨時的措置としてひらかれたからである。私は学生運動に忙しかったこともあり時間数が不足していたので、これ幸いと教室に潜り込むことにした。だが、申し込んではみたものの、スケートなんて一度もやったことがない。初心者でも大丈夫ということだったが、そこはそれ、変な青春の意地もあって、その前にひそかに特訓を受けることにしたのである。正月休みで帰省した際に、スポーツ万能の先輩に頼んで、東京の山奥(青梅だったか五日市だったか)にあった野外スケート場に連れていってもらったのだ。しかしまあ、行ってみて驚いた。リンクはなんと、田圃に水をはって凍らせたようなものでデコボコだらけ。そこを貸し靴で滑るのだから、手本を見せてくれた先輩がまず顔から氷面に突っ込んでしまうというハプニングが起き、まあ怖かったのなんのって。それでも、青春の意地は凄い。そんな劣悪なリンクでもなんとか滑れるようになって、大学に戻った。そして、授業本番。「岡崎アリーナ」という名前だったと思うが、室内のリンクでありデコボコなんてどこにもなく、その滑り良さに感激しながらの授業とはあいなったのだった。ああ、これがスケートというものか。すっかり気に入って、せっせと授業に通ったのはもちろんである。授業だから、まさかサンドイッチを頬ばるわけにはいかなかったが、掲句の楽しい気分はわかるつもりだ。「俳句αあるふぁ」(2006年2-3月号)所載。(清水哲男)


January 1812006

 行く雲の冥きも京の冬の晴

                           瀧 青佳

語は「冬(の)晴」。京都の冬晴れを言いとめて、絶妙な句だ。同じ「冬晴」とはいっても、京都のそれは東京のように明るくカーンと抜けたような雰囲気ではない。良く晴れはしても、どこかに何かが淀んでいるような恨みが残る。これを指して「行く雲の冥(くら)きも」とは、まさに至言だ。地形的な影響もあるのだろうが、京都の天気は油断がならない。私は烏丸車庫の裏手の北区に住んでいたのだが、雪の舞い散るなかを出かけて、わずか数キロしか離れていない百万遍の大学に着いてみると、まったく降っていないということがよくあった。雨についてもむろん同様で、局地的に天候がめまぐるしく変化するようである。しかし掲句は、そういうことだけを言っているのではないだろう。もう一つの雲の冥さは、多分に心理的なものだ。街全体のおもむきが、たとえば江戸を陽とすれば、京は陰である。千年の都が抱え込んできたさまざまな歴史的要因が、現代人にもそう思わせるところがあるのだ。はるか昔の応仁の乱など知るものか、関係ないよなどとは誰にも言わせない伝統の力が、京都の街には遍在している。そういうことが私には、京都を離れてみてよくわかったのだが、代々地元にある人は理屈ではなく、いわば肌身にしみついた格好になっているのだろう。作者は大阪在住だが、句集を見ると京都にも親しい人のようだ。生粋の京都人ではないだけに、京都を見る目に程よい距離と時間があって、この独特のリリシズムが生まれたのだろうと思った。『青佳句集』(2005)所収。(清水哲男)




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