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January 2112006

 狼も詠ひし人もはるかなり

                           すずきみのる

語は「狼」で冬。「山犬」とも言われた日本狼(厳密に言えば狼の亜種)は、1905年(明治三十八年)に奈良の鷲家口で捕獲されたのを最後に絶滅したとみられている。したがって、ここ百年ほどに詠まれた狼句は、すべて空想の産物だ。といって、それ以前に人と狼とが頻繁に出会っていたというわけではなく、たとえば子規の「狼のちらと見えけり雪の山」などは、いかにも嘘っぽい。実景だとすれば、もっと迫力ある句になったはずだ。そこへいくと、江戸期の内藤丈草「狼の声そろふなり雪のくれ」の迫真性はどうだろう。掲句はそんな狼だけを主眼にするのではなく、狼を好んで「詠(うた)ひし人」のほうにも思いを寄せているところが新しい。で、この「詠ひし人」とは誰だろうか。むろん子規でも丈草でも構わないわけだが、私には十中八九、「絶滅のかの狼を連れ歩く」と詠んだ三橋敏雄ではないかという気がする。絶滅した狼を連れ歩く俳人の姿は、この世にあっても颯爽としていたが、鬼籍に入ったあとではよりリアリティが増して、どこか凄みさえ感じられるようになった。三橋敏雄が亡くなったのは2001年だから、常識的には「はるかなり」とは言えない。しかし、逆に子規などの存在を「はるかなり」と言ったのでは、当たり前に過ぎて面白くない。すなわち、百年前までの狼もそれを愛惜した数年前までの三橋敏雄の存在も、並列的に「はるかなり」とすることで、掲句の作者はいま過ぎつつある現在における存在もまた、たちまち「はるか」遠くに沈んでいくのだと言っているのではなかろうか。そういうことは離れても、掲句はさながら話に聞く寒い夜の狼の遠吠えのように,細く寂しげな余韻を残す。『遊歩』(2005)所収。(清水哲男)




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