ずいぶん降りました。本日の目標は、とにかく表で転ばないようにすることであります。




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January 2212006

 湯ざめとは松尾和子の歌のやう

                           今井杏太郎

語は「湯ざめ」で冬。はっはっは、こりゃいいや。たしかに、おっしやるとおりです。ちょっと他の歌手でも考えてみたけれど、思い当たらなかった。やはり「松尾和子」が最適だ。句は即興かもしれないが、こういうことは日頃から思ってないと、咄嗟には出てこないものだ。作者は松尾和子全盛期のころから、既に「湯ざめ」を感じていたにちがいない。ムード歌謡と言われた。フランク永井とのデュエット「東京ナイトクラブ」や和田弘とマヒナスターズとの「誰よりも君を愛す」あたりが、代表作だろう。「お座敷小唄」を加えてもいいかな。口先で歌うというのではないが、歌詞内容にさほど思い入れを込めずに歌うのが特長だった。歌詞がどうであれ、行き着く先は甘美で生活臭のない愛の世界と決め込んで、そこに向けて予定調和的に歌い進めるのだから、歌詞との間に妙な感覚的ギャップが生まれてくる。そこがムーディなのであり魅力的なのだが、しかし、このギャップにこだわれば、どこまでいっても中途半端で落ち着かない世界が残されてしまう。まさに「湯ざめ」と同じことで、聴く側の熱が上昇しないままに歌が終わってしまうのだから、なんとなく風邪気味のような心持ちになったりするわけだ。松尾和子が57歳の若さで亡くなったのは1992年、自宅の階段からの転落が、数時間後に死を招いた。その二年ほど前、一度だけ新宿のクラブでステージを見たことがある。「俳句研究」(2006年2月号)所載。(清水哲男)


January 2112006

 狼も詠ひし人もはるかなり

                           すずきみのる

語は「狼」で冬。「山犬」とも言われた日本狼(厳密に言えば狼の亜種)は、1905年(明治三十八年)に奈良の鷲家口で捕獲されたのを最後に絶滅したとみられている。したがって、ここ百年ほどに詠まれた狼句は、すべて空想の産物だ。といって、それ以前に人と狼とが頻繁に出会っていたというわけではなく、たとえば子規の「狼のちらと見えけり雪の山」などは、いかにも嘘っぽい。実景だとすれば、もっと迫力ある句になったはずだ。そこへいくと、江戸期の内藤丈草「狼の声そろふなり雪のくれ」の迫真性はどうだろう。掲句はそんな狼だけを主眼にするのではなく、狼を好んで「詠(うた)ひし人」のほうにも思いを寄せているところが新しい。で、この「詠ひし人」とは誰だろうか。むろん子規でも丈草でも構わないわけだが、私には十中八九、「絶滅のかの狼を連れ歩く」と詠んだ三橋敏雄ではないかという気がする。絶滅した狼を連れ歩く俳人の姿は、この世にあっても颯爽としていたが、鬼籍に入ったあとではよりリアリティが増して、どこか凄みさえ感じられるようになった。三橋敏雄が亡くなったのは2001年だから、常識的には「はるかなり」とは言えない。しかし、逆に子規などの存在を「はるかなり」と言ったのでは、当たり前に過ぎて面白くない。すなわち、百年前までの狼もそれを愛惜した数年前までの三橋敏雄の存在も、並列的に「はるかなり」とすることで、掲句の作者はいま過ぎつつある現在における存在もまた、たちまち「はるか」遠くに沈んでいくのだと言っているのではなかろうか。そういうことは離れても、掲句はさながら話に聞く寒い夜の狼の遠吠えのように,細く寂しげな余韻を残す。『遊歩』(2005)所収。(清水哲男)


January 2012006

 大寒や転びて諸手つく悲しさ

                           西東三鬼

語は「大寒」。「小寒」から十五日目、寒気が最も厳しいころとされる。あまりにも有名な句だけれど、その魅力を言葉にするのはなかなかに難しい。作者が思いを込めたのは、「悲しさ」よりも「諸手(もろて)つく」に対してだろう。不覚にも、転んでしまった。誰にでも起きることだし、転ぶこと自体はどうということではない。「諸手つく」にしても、危険を感じれば、私たちの諸手は無意識に顔面や身体をガードするように働くものだ。子供から大人まで、よほどのことでもないかぎりは転べば誰もが自然に諸手をつく。そして、すぐに立ち上がる。しかしながら、年齢を重ねるうちに、この日常的な一連の行為のプロセスのなかで、傍目にはわからない程度ながら、主観的にはとても長く感じられる一瞬ができてくる。それが、諸手をついている間の時間なのである。ほんの一瞬なのだけれど、どうかすると、このまま立ち上がる気力が失われるのではないかと思ったりしてしまう。つまり、若い間は身体の瞬発力が高いので自然に跳ね起きるわけだが、ある程度の年齢になってくると、立ち上がることを意識しながら立ち上がるということが起きてくるというわけだ。掲句の「諸手つく」は、そのような意識のなかでの措辞なのであり、したがって「大寒」の厳しい寒さは諸手を通じて、作者の身体よりもむしろその意識のなかに沁み込んできている。身体よりも、よほど心が寒いのだ……。この「悲しさ」が、人生を感じさせる。掲句が共感を呼ぶのは、束の間の出来事ながら、多くの読者自身に「諸手つく」時間のありようが、実感としてよくわかっているからである。『夜の桃』(1948)所収。(清水哲男)




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