RNA論文で東大調査委「捏造同然とみえる」。よくわからんが、金がらみとは「みえる」。




2006ソスN1ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2812006

 アノラックあばよみんないってしまったさ

                           八木三日女

語は「アノラック」で冬、「ジャケツ」に分類。と言っても、「アノラック」を季語として扱っている歳時記はないだろう。が、フードのついた防寒用ウェアのことだから、無季とするのも変なので、当歳時記としてはこのようにしておく。掲句のアノラックは、青春の象徴として詠まれている。みんなでスキーやスケートに行ったり、あるいは他の楽しみのためにも、いつも着ていったアノラック。大事にとっておいたのだけれど、もう二度と着ることもなさそうだ。なぜなら、もはやいっしょに着ていく「みんな」は「いってしまった」からである。「いって」は「行って」でもあり「逝って」でもあるだろう。そこで作者はわざと「あばよ」などと明るく乱暴に、そのアノラックを処分してしまおうと思い決めたにちがいない。過ぎ去った青春への挽歌として、出色の一句だ。「みんないってしまったさ」の「さ」に、万感の思いが込められている。ところで、かつての世界的なアノラック流行の起源には諸説ある。嘘か本当かは別にして、私が気に入っているのは、その昔のイギリスでトレインスポッティング(汽車オタク)が、寒いなかで着用したところから広まったという説だ。となると、アノラックには人間の一途の思いが込められているわけで、このときに掲句の寂しさはいっそう身にしみてくる。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)


January 2712006

 マスクしてマスクの人に目敏しよ

                           宮坂やよい

語は「マスク」。最近では花粉症を防御するために、春もマスク姿の人は多いが,元来は風邪の季節である冬季のものである。句が言うように、たしかに自分がマスクをしていると、他人のマスクにも目敏く(めざとく)なる。やや風邪気味なのか、あるいはインフルエンザに流行の兆しが出て来たのか、いずれにしても内心ではちょっと大袈裟かなと思っているのだ。が、街に出てみると、昨日までは気がつかなかったマスクをした人がけっこう目につく。そうか、堂々とマスクをしていても変じゃないんだと、ほっと安堵の一句である。掲句を読んで、すぐに田村隆一を思い出した。なんでも道端で転んで骨折したとかいうことだったので、鎌倉の病院まで見舞いにいったことがある。しかしその頃にはもう大分回復していて、杖を使えば外出もできるようにまでなっていた。面会室で会うと血色もよく、機嫌良くひとしきり病気と病院の話をしてくれた。そのなかでの他の話はすべて忘れてしまったけれど、「杖ついて表をあるくだろ。そうすると君ねえ,杖ついてる人が多いんだよ、鎌倉には」という話を妙に覚えている。鎌倉には爺さんが多いせいかなとも付け足したが,そうかもしれないが、杖姿の人が目についたのは、掲句の作者と同じような心理状態にあったからただろう。このことを逆に言えば、多くの他人は、人のことなど目敏くも何も、はじめから見ないか、見ても気がつかないのだ。むろん作者も,ある程度そういうことはわかっている。わかっちゃいるけど、「でもねえ」と逡巡するのが人情というものだろう。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


January 2612006

 枯野起伏明日と云ふ語のかなしさよ

                           加藤楸邨

語は「枯野(かれの)」で冬。草木の枯れた蕭条とした野である。それも「起伏」が見えるのだから、行けども果てしなく思われる広大な枯野だ。そして、眼前に広がったこの枯野は、また作者の心象風景でもあるだろう。鬱々たる心象が、作者の胸中から離れない。このようなときにあって、向日的な「明日と云ふ語」の何と悲しく思えることか。「明るい日」「明けてくる日」は期待や希望を込めるにこそふさわしいが、いまの作者には「明日」もまた今日のように、広大な枯野が待ち受けているだけの索漠たる日であるとしか思えない。鬱屈した心情を枯野の起伏に同期させ、「明日」という言葉すらもが悲しく感じられる自分自身へのエレジーである。ところで、寺山修司の短歌に次の一首がある。「煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし」。おそらく掲句に触発されて書かれたものだろうが、この悲しさには句のような重苦しさはない。青春の甘美なセンチメンタリズムが、心地よく伝わってくる。同じ「明日と云ふ語」の悲しさを詠んでも、シチュエーションが違えばこれほどの開きが生ずるのだ。その意味で、この句とこの短歌は私のなかで、いつもワンセットになって想起される。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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