「天皇陛下、靖国参拝を」と麻生外相。正気か、この男。ったく、日本人やめたくなるよ。




2006ソスN1ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3012006

 ひと口を残すおかはり春隣

                           麻里伊

語は「春隣(はるとなり)」で冬、「春近し」に分類。これも季語の「春待つ」に比べ、客観的な表現である。「おかはり」のときに「ひと口を残す」作法は、食事に招いてくれた主人への気配りに発しているそうだ。招いた側は、客の茶碗が空っぽになる前におかわりをうながすのが礼儀だから、その気遣いを軽減するために客のほうが気をきかし、「ひと口」残した茶碗でおかわりを頼むというわけである。残すのは「縁が切れないように」願う気持ちからだという説もある。いずれにしても掲句は、招いた主人の側からの発想だろう。この作法を心得た客の気配りの暖かさに、実際にも春はそこまで来ているのだが、心理的にもごく自然に春近しと思えたのである。食事の作法をモチーフにした句は、珍しいといえば珍しい。私がこの「おかはり」の仕方を知ったのは、たぶん大学生になってからのことだったと思う。だとすれば京都で覚えたことになるのだが、いつどこで誰に教えられたのかは思い出せない。我が家には、そうした作法というか風習はなかった。おかわりの前には、逆に一粒も残さず食べるのが普通だった。だから、この作法を習って実践しはじめたころには、なんとなく抵抗があった。どうしても食べ散らかしたままの汚い茶碗を差し出す気分がして、恥ずかしいような心持ちが先に立ったからだった。このとき同時に、ご飯のおかわりは三杯まで、汁物のおかわりは厳禁とも習った。が、こちらのほうのマナーは一度も気にすることなく今日まで過ごしてきた。若い頃でも、ご飯のおかわりは精々が一杯。性来の少食のゆえである。「俳句αあるふぁ」(2006年2-3月号)所載。(清水哲男)


January 2912006

 凍つる日の書架上段に詩集あり

                           藤村真理

語は「凍つ(凍る)」で冬。自宅の「書架」ではあるまい。「凍(い)つる日」を実感しているのだから、外出時でのことだ。図書館でもなく、書店の書架だと思う。凍てつく表から暖かい書店に入り、ようやく人心地がついたところだろう。まずはいつものように関心のある本の多い書架を眺め、ついでというよりも、身体が暖まってきた心のゆとりから、普段はあまり注意して見ることのない「上段」を見渡したところ、そこに立派な「詩集」が置いてあった。著名詩人の全詩集のような書物だろうか。高価そうな本だし、手を伸ばしても届きそうもない上のほうの棚のことだし、中味を見ることはしないのだけれど、その凛とした存在感が表の寒さと呼応しあっているように感じられた。このときに「上段」とは「極北」に近い。著者が孤高の詩人であれば、なおさらである。ぶっちゃけた話をすれば、詩集が上段に置いてあるのは売れそうもないからなのだが、それを存在感の確かさと受け止め変えた作者の心根を、詩の一愛好者としては嬉しく思う。ただ常識から言うと、一般の人にとって、詩集は遠い存在だ。せっかく字が読めるのに、生涯一冊の詩集も読まずに過ごす人のほうが圧倒的に多いだろう。「上段」どころてはなく、いや「冗談」ではなく、多くの人々にとっての詩集は、「極北」よりもさらに遠くに感じられているのではあるまいか。「俳句研究」(2006年1月号)所載。(清水哲男)


January 2812006

 アノラックあばよみんないってしまったさ

                           八木三日女

語は「アノラック」で冬、「ジャケツ」に分類。と言っても、「アノラック」を季語として扱っている歳時記はないだろう。が、フードのついた防寒用ウェアのことだから、無季とするのも変なので、当歳時記としてはこのようにしておく。掲句のアノラックは、青春の象徴として詠まれている。みんなでスキーやスケートに行ったり、あるいは他の楽しみのためにも、いつも着ていったアノラック。大事にとっておいたのだけれど、もう二度と着ることもなさそうだ。なぜなら、もはやいっしょに着ていく「みんな」は「いってしまった」からである。「いって」は「行って」でもあり「逝って」でもあるだろう。そこで作者はわざと「あばよ」などと明るく乱暴に、そのアノラックを処分してしまおうと思い決めたにちがいない。過ぎ去った青春への挽歌として、出色の一句だ。「みんないってしまったさ」の「さ」に、万感の思いが込められている。ところで、かつての世界的なアノラック流行の起源には諸説ある。嘘か本当かは別にして、私が気に入っているのは、その昔のイギリスでトレインスポッティング(汽車オタク)が、寒いなかで着用したところから広まったという説だ。となると、アノラックには人間の一途の思いが込められているわけで、このときに掲句の寂しさはいっそう身にしみてくる。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)




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