゚三テ子句

February 1922006

 幕末の風吹き荒れむ奴凧

                           近三津子

語は「凧(たこ)」で春。正月に子供らが揚げて遊ぶ「正月の凧」とは区別する。昔は雪解後の大風に大人が揚げて楽しむことが多かったそうで、現在でも各地に観光行事のようにして残っている。凧にもいろいろ種類があるが、なかで「奴凧」は江戸で鳶凧に奴の絵を描いたのがはじまりらしい。奴は元来は中間(ちゅうげん)小者などの武家下級奉公人であったが、ここから戦国末期から慶長年間(1596〜1615)にかけて、かぶき者が現れた。彼らは遊侠(ゆうきょう)無頼の徒であるが、しだいに然諾(ぜんだく)を重んじ義侠に富む気風を生じ、奴という名が、奴僕のことでなく、侠気があって腕がたち血気の勇ある者をいうようになった。江戸初期の旗本奴、町奴の源流である。したがって奴凧に描かれているのは、姿かたちはあくまでも武家の奉公人だが、田舎ザムライなにするものぞの気概であろう。奴凧の奴をよく見ると、例外なく「釘抜紋」と呼ばれる四角い紋がついている。これはどこの屋敷に雇われてもよいようにと考えられた簡単な紋で、さすれば奴は今で言う契約社員のような存在だったことがわかる。前置きが長くなってしまったが,掲句はそんな由来を持つ奴凧に「幕末の風」が吹き荒れるだろうと言っている。つまり作者の不吉な胸騒ぎというわけで、この着眼は秀抜だ。すなわち江戸太平の世は過ぎて、遊侠無頼の心意気ももはや時代遅れと成り果てる予感のなか、中空に舞い上がった奴凧の空しい意気(粋)を詠んでいる。一つの時代の没落の抒情。そう受け取っておいて、間違いはあるまい。『遊人』(1998)所収。(清水哲男)


May 0552008

 火のようにさみしい夏がやってくる

                           近三津子

は来ぬ。実感的にはまだかな。それはともかくとして、まだ猛暑に至らないいまどきに「夏」と聞くと、気分が良くなる。少なくとも、私の場合は、だ。一般的に言っても、おそらくそうではないかと思うのだが、揚句の作者はそのようには思わないと言うのである。逆である。しかし、句にその根拠は示されていない。だからして独善的で一方的な物言いかと言うと、あまりそうは感じられないところが、俳句ないしは詩歌の妙と言うべきか。そう言われてみれば、何かわかるような気もしてくるのである。この句の生命線は、もとより「火のようにさみしい」という比喩にある。さみしさも高じると、火のようにめらめらと燃え上がり、手がつけられなくなるほどに圧倒されてしまう。その手のつけられなさが「夏」という言葉と実際とににかかるとき、そこには常識から言えば一種パラドックスめいた納得の時空間が成立するのだ。「夏」と「火」とは合う。でも「火」と「さみしさ」とは、なかなかに合い難い。作者はそこを強引に「私には合う」と言ってのけていて、それをポエムとして仕立て上げているわけだ。自由詩の世界ではままあることだけれど、俳句ではあまり見かけない表現法である。したがって揚句は、読者の感受性を調べるリトマス試験紙のようなものかもしれないと思った。この断言肯定命題にうなずくのか、それとも断固忌避するのか。そのことは、読者のいわば持って生まれた気質にかかわってくると思われるからである。もちろん、どちらでも良いのである。ともかく、また今年もやがて「火の」夏がやってくる。愉しくあって欲しい。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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