いつの間にか、最低気温が氷点下ではなくなってきた。早朝のゴミ出しが楽になりました。




2006ソスN2ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2322006

 春しぐれやみたる傘を手に手かな

                           久保田万太郎

語は「春時雨(はるしぐれ)」。同じ雨でも、木の芽の萌え出したころの時雨は明るい感じで、冬の寂しい陰気なところがない。むしろ、華やぎさえ感じることがある。掲句は、そんな明るい雨がやんだ後の情景を詠んで、いやが上にも春の明るく華やいだ気分を盛り上げている。春時雨だけでも人々の気分は明るいのに、傘を手に手に雨上がりの路を行く人々の表情はもっと明るい。句の成立事情は知らないが、この「春時雨」を句会の兼題として詠んだものなら、春時雨をやませた発想だけで、句友を二歩も三歩もリードしたと言えるだろう。まったくもって、憎らしいくらいに上手いものです。雨上がりの都会の、あの独特の雨の匂いまでが伝わってきそうな句ではないか。ところで雨の匂いとはよく言うが、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、あの匂いは虹の匂いだと言ったそうだから、なかなかのロマンチストだったのかもしれない。今日では正体が解明されていて、二種類の物質が発する匂いだという。一つは「ペトリコール」。これは土の中の粘土の匂いで、湿度が80パーセント以上になると鉄分と反応して匂いが強まるそうだ。雨が降り出してしまうと匂いが流されるため、雨が降る直前のほうが匂いが強まる。もう一つは「ジオスミン」という物質。これは、土の中の細菌の匂いである。こちらは土に雨が染み込むと匂いが強まるので、降りはじめよりも雨上がりのほうが匂いが強くなるというから、掲句に匂いがあるとすれば、ジオスミンが発していることになる。『俳句歳時記・春の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


February 2222006

 さびしさのじだらくにゐる春の風邪

                           上田五千石

語は「春の風邪」。俳句では、単に「風邪」というと冬季になる。冬だろうが春だろうが、風邪引きは嫌なものだ。が、程度にもよるけれど、冬の風邪がしっかり身にこたえるのに比べて、春の風邪はなんとなくだるい感じが先行する。ぐずぐずと、いつまでも治らないような気もする。そんな春の風邪の気分を、巧みに言い止めた句だと思う。いわば「春愁」の風邪版である。外光も明るいし,気温も高い。そんななかで不覚にも風邪を引いてしまい、いわれなき「さびしさ」にとらわれているのだ。そしてその「さびしさ」は、だんだんに嵩じてくると言うよりも、むしろだらりと「じだらく(自堕落)」な状態にある。つまり心身から緊張感が抜けてしまっているので、「さびしさ」までもが一種の自己放棄状態になってしまっているというわけだ。どうにもシマらない話だが、しかしこの状態に「ゐる」のは、必ずしも不快な気分ではない。たとえいわれなき「さびしさ」であるにもせよ、それが自堕落であってもよいのは、せいぜいが風邪引きのときくらいのものだからだ。日常的、社会的な関係のなかで、ふっと訪れた緊張感を解くことの許される時間……。風邪はつらいけれど、一方でそのような時間を過ごせる気分はなかなか味わえるものではない。「さびしさ」を感じつつも、作者は「じだらくにゐる」おのれの状態をいやがってはいない。私もときに、発熱してとろとろと寝ているときに、そんな気分になることがある。『天路』(1998)所収。(清水哲男)


February 2122006

 勇気こそ地の塩なれや梅真白

                           中村草田男

語は「梅」で春。迂闊にも、この句が学徒出陣する教え子たちへの餞(はなむけ)として詠まれたことを知らなかった。つい最近、俳人協会の機関紙「俳句文学館」(2006年2月)に載っていた奈良比佐子の文章で知った。「地の塩」はマタイ伝山上の説教のなかで、イエスが弟子たちに、「あなたがたは地の塩である」と言っていることに由来している。「だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」。このときに作者は「(きみたちの)勇気」こそが「地の塩」を塩たらしめると言ったわけだが、しかしこの「勇気」の中身については何も言及されていない。当時の時局を考えるならば、中身は「国のために死ぬ勇気」とも、あるいは逆に「犬死にを避ける勇気」とも、まだ他にもいろいろと解釈は可能だ。「とにかく死なずに戻って来い」などとはとても公言できない時代風潮のなかでは、新約聖書の匂いを持ち出すだけでも、それこそ大変な勇気が必要だったと思う。したがって、勇気の中身を問うのは酷に過ぎる。作者もまた曖昧さを承知で、そのあたりのことは受け手である学生たちの理解にまかせてしまっている。だから作者は、その曖昧な物言いに、せめて純白の梅の花を添えることで、死地に赴く若者たちへの祈りとしたのだろう。作者の本心は「地の塩」や「勇気」にではなく、凛冽と咲く「梅真白」にこそ込められている。『来し方行方』(1947)所収。(清水哲男)




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