古いソフトで原稿を書いていたら途中でぶっ飛んだ。はじめからやりなおし。がっくり…。




2006ソスN2ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2822006

 瀬の岩へ跳んで錢鳴る二月盡

                           秋元不死男

語は「二月盡(二月尽・にがつじん)」で春。二月も今日でお終いだ。頭では短い月とわかっていても、実際にお終いとなると、あらためてその短さが実感される。月のはじめには立春があり、だんだんと日照時間も伸びてきて、梅の開花もあるから、本格的な春ももう間近と心が弾む月末でもある。掲句の作者も、そんな気分だったのではあるまいか。おそらくは一人で、心地良い風に誘われて川辺を散策していたのだろう。あまりに気分が良いので、ほんのちょっぴり羽目を外すようにして、近くの「瀬の岩」にぴょんと跳び移ってみたのである。むろん難なく跳べたのだったが、跳んだはずみでズボンのポケットに入っていた小銭がちゃりちゃりっと鳴った。そういうことは普段でもよくあることだが、早春の良い気分のなかだと、いささか不似合いである。小銭には、小市民的な生活臭が染みついているからだ。ちゃりちゃりっと小さな音にしても、せっかくの浮き立った気分が、現実生活のことを持ち出されたようで台無しになってしまう。その少々水をさされた気分が、作者には「二月盡」の思いにぴったりと重なったというわけだ。春への途上の月ということで、終りまでなんとなく中途半端な感じのする二月にぴったりだと、苦笑しつつの句作であったにちがいない。ズボンのポケットに、バラの小銭を入れている男ならではの発想である。『俳句歳時記・春の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


February 2722006

 恵み雨深し独活の大木一夜松

                           田代松意

語は「独活(うど)」で春。作者は江戸談林派のトップ・クラスだった人だ。まあ、なんともものすごい句で、ここまで情趣もへったくれもないと、かえって清々する(かしらん)。「一夜松」は、菅原道真が亡くなった後、北野天神あたりに一晩で千本の松が生えたという故事による。とにかく、談林句を解釈するにはこういうことをよく知っていないと恥をかく。私などは「なんかイヤらしいなあ」と思ってしまうのだが、とにかくそのへんで人気があったのだから仕方がない。いまで言えば、さしずめクイズ狂みたいなところがないと、とても談林派では成功できなかっただろう。ええっと、それからなんだっけ(笑)。そうそう、「独活の大木」だ。こちらは、現代人でもわからない人のほうが少ない(と、思うけど)。図体ばかりが大きくて、役に立たない奴のことを言う。つまり掲句は、ひさしぶりに雨が降ってくれたおかげで、ありがたいことに「一夜松」のように「独活の大木」がたくさん育ったよと言っている。もちろん、大いなる皮肉だ。さすがは「恵みの雨」だよ、役立たずばっかりこさえやがって……。ったく、もう……。こんなところだろうか。恵みの雨とは言うけれど、他方では雑草だって生い茂らすし、良いことばかりじゃない。と、なかなかに理屈はまともなんだけど、道具立てが突飛というよりも大袈裟に過ぎるのだ。そこが談林の談林たるところ、絶大な人気のあった所以なのです。ま、こういう句もたまには良いかもね、春じゃもの。(清水哲男)


February 2622006

 日曜と思ひながらの朝寝かな

                           下田實花

語は「朝寝」で春。昔から「春眠暁を覚えず」(孟浩然)と言うが、暁を過ぎてからの寝直しが朝寝だろう。夜間に熟睡しても、なお寝床から離れ難く、うつらうつらと過ごす心地良さ。つまり、朝寝は当人がそれと自覚した睡眠なのであって、前の晩から前後不覚に何も覚えず寝通している状態では朝寝とは言えまい。その意味で、掲句は朝寝の最たるもので、うとうとしてははっとして、今日が「日曜」であることを確かめて安心している。そしてまたうとうとしていくのだが、そのうちにまたはっとして確かめているのだ。今朝あたりは、きっとそういう読者もいらしたことだろう。もっとも現在では日曜日だけではなく、土曜日も休日として定着しているので、日曜日のありがたさはやや薄らいできてはいる。私がサラリーマンだった昭和三十年代から四十年代のはじめにかけては、日曜日だけが休みだったので、まさに掲句の通りだった。朝寝どころか昼寝までして、起きたらとりあえず銭湯に出かけ、ちょっとうろうろしていると、もう日暮れになってしまう。なんとも自堕落な日曜日の過ごし方だったわけだが、一方では、そんな朝寝のできる日曜日を無上の楽しみにしている自分が、なんだかみじめで情けなかった。いわゆる会社人間ではないつもりだったけれど、これでは同じようなものじゃないか……と。そのころ知った狂歌に、こういうのがあって身に沁みた。「世の中に寝るほど楽はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く」。ところがその後無職になったら、今度は切実に「浮世の馬鹿」に戻りたいと願ったのだから、世話はない。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます