「をみなごの春のまつりの雛まつり」(鈴木榮子)。せめて雛あられでもいただきますか。




2006ソスN3ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0332006

 春の雪ひとごとならず消えてゆく

                           久米三汀

語は「春の雪」。作者の「三汀」は、小説家として知られた久米正雄の俳号である。掲句は、小室善弘『文人俳句の世界』で知った。追悼句だ。『ブラリひょうたん』などの名随筆家・高田保が亡くなったのは、1952年(昭和二十七年)二月二十日だった。このときの作者は病床にあったので、通夜にも告別式にも参列はしていない。訃報に接して,大磯の高田邸に掲句を電報で打ったものだ。したがって、原文は「ハルノユキヒトゴトナラズキエテユク クメマサオ」と片仮名表記である。電報が届いたのは、ちょうどみんなが火葬場に行く支度をしているところで、その一人だった車谷弘の回想によれば、緊急の場合で、すぐには電文の意味を解しかねたという。紋切り型の弔電が多いなかで、いきなりこれでは、確かに何だろうかと首をかしげたことだろう。しかし、しんみりした味わいのある佳句だ。淡く降ってはすぐに消えてゆく春の雪に重ねて、友人の死を悼んでいるのだが、その死を「ひとごとならず」と我が身に引きつけたところに、個人に対する友情が滲み出ている。しかもこの電報のあと、わずか十日にして、今度は作者自身が世を去ったのだから、「ひとごとならず」の切なさはよりいっそう募ってくる。閏(うるう)二月二十九日、六十一歳の生涯であった。掲句を紹介した永井龍男は「終戦後の生活に心身ともに疲れ果てたと見られる死であった」と述べ、追悼の三句を書いている。そのうちの一句、「如月のことに閏の月繊く」。永井龍男『文壇句会今昔』(1972)所載。(清水哲男)


March 0232006

 卒業歌なればたちどまりきゝにけり

                           加藤かけい

語は「卒業」で春。私の場合は、中学卒業が最も想い出に残っている。卒業式での涙が、いちばん多かった。というのも、私が卒業した(1953年)学校では、高校に進学する同級生は四人か五人に一人くらいと少なく、あとは就職するか家事手伝いとして社会に出たからだ。とくに、女の子の進学率は低かった。つまり互いの進路がばらばらだったので、それこそ卒業歌の「仰げば尊し」の「いざ、さらば」の感懐は一入だったのである。卒業式の日に、私は学校にハーモニカを持っていった。式が終わった後の謝恩会で、何か一曲吹くためだったと思う。その謝恩会が終わった後も、みんなまだまだ校舎を去り難く、教室や校庭のあちこちで仲良し同士の輪ができているなか、私はひとりハーモニカを吹いて別れを惜しんでいた。と、突然つかつかと女の子が近づいてきて言った。「止めてよ、そんなの。悲しくなるばっかりじゃないの」。ただならぬ剣幕に圧倒されて、何も言い返せず、すごすごとハーモニカを引っ込めたことを覚えている。でも、往時茫々。もはや、その女の子の面影すらも忘れてしまった。あれは、いったい誰だったのか。掲句は、たまたま学校の傍を通りかかったときの句だろう。べつに母校でもなければ、身内の関係する学校でもない。しかし、聞こえてきた卒業歌にひとりでに足が止まり、しばし聞き入っている。聞いているうちに思い出されるのは,やはり自分の卒業したころのいろいろなことであり、友人たちの誰かれのことである。現在の卒業歌は学校によってさまざまに異なるが、昔は全国どこでも「仰げば尊し」に決まっていた。だから、たとえ縁もゆかりもない学校から聞こえてくる卒業歌でも、掲句のように、我がことに重ねられたというわけだ。『俳句歳時記・春の部』(1955・角川文庫)所収。(清水哲男)


March 0132006

 荒東風や喉元にある別の声

                           石原みどり

語は「(荒)東風(こち)」で春。冬の季節風である北風や西風が止むと、吹いてくる風だ。春の風ではあるが、まだ暖かい風とは言えず、寒さの抜けきれぬ感じが強い。菅原道真の歌「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな(「春な忘れそ」とも)」は有名だ。その東風の強いものを「荒東風」と呼ぶ。掲句は、そんな強風を「声」の様子で描いたところがユニークだ。あまりに風が強いために、自分の声が自分のそれではないように聞こえている。「喉元」では、たしかに自分の声として発しているのだけれど、出てくる声は似ても似つかない感じなのだ。したがって「喉元に別の声」というわけで、なんだか滑稽でもあり、情けなくもあり……。こういう体験がないので実感できないのは残念だが、要するに声の根っ子が安定していないので、「ふはふは」言ってる感じになるのだろうか。話は少しずれるけれど、声とはまことに微妙な産物で,こうした尋常ならざる条件下ではなくても、常に発声は不安定だと言っても過言ではないだろう。放送スタジオで、長年ヘッドホンをかぶって自分の声を聞いてきた体験からすると、毎日同じ声を出すなんてことはとてもできない相談である。毎日どころか、ちょっとした条件の違いで、そのたびに「喉元に別の声」があるような気にさせられてしまう。ましてや掲句のような大風ともなれば、如何ともし難い理屈だ。それにしても、面白いところに目をつけた句だと感心した。『炎環 新季語選』(2003)所載。(清水哲男)




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