岡田幸文君編集の詩誌「midnight press」が31号で休刊するという。寂しい話が多すぎる。




2006ソスN3ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0532006

 絵草紙に鎮おく店や春の風

                           高井几菫

語は「春(の)風」。江戸期の句。そのまんまの情景だ。平台と言うのだろうか。東京・両国の江戸東京博物館で見たことがあるが、絵草紙屋の店先には大きな台が置いてあり、その上にずらりと華やかな表紙の絵草紙が並べられている。いまの書店とは違い店は開けっ放しだったようから、この季節になると「春の風」とはいえ、とりわけて江戸はそよ風ばかりではなく、ときに強風も吹き込んでくる。そうなると、せっかくの売り物が台無しになる恐れもあるので、一冊一冊の上に「鎮(ちん)」、すなわち重しを置いてあるというわけだ。春や春。自然の景物ではなく、絵草紙屋の華やかな情景に春を詠み込んだところは、当時としてはとても斬新で、もしかすると奇抜に近い発想だったかもしれない。ところで、この本を置いて売るための「平台」は、現在では客がちょっと腰をかがめればよい程度の高さだが、江戸期のものはかなり低かった。江戸期どころか、私の子供のころの本屋のそれも、腰をかがめるというよりも、完全に膝を折ってしゃがまないと、本が手に取れないほどに低かった。どちらかといえば、露店に近い低さだった。おそらく、本は行儀悪くも立ったままで扱うようなものではなかったからなのだろう。書籍は、それほどに尊重されていたのだと思う。それが生活様式の変化もあって、だんだん立ったままで扱うことが普通になってきた。いまでは低い平台の店はほぼ消えてしまったけれど、我が家の近所にある小さな書店が昔ながらの低さで営業している。品揃えがよくないのであまり行かないが、たまに出かけるととても懐かしくなって、ついつい「想定外」の雑誌などを買ってしまう。(清水哲男)


March 0432006

 ほのぼのと熱あがりけり春の宵

                           清水基吉

語は「春の宵」。「春宵一刻値千金」の詩句から、昔は「千金の夜」などという季語もあったそうだ。明るく艶めいていて、そこはかとなく感傷を誘い、浪漫的な雰囲気のある春の夜である。掲句は、そんな春の宵に「熱」があがったと言うのであるが、この熱は外気温ではなくて体温のことだろう。身体の熱が「ほのぼのと」あがるとは奇異な表現に思えるかもしれないけれど、しかし、こうした感じになることはあるのだと思う。いわば微熱状態が、当人にとっては不快ではなく、むしろとろとろとして安らかな気分であるというわけだ。身体は不調であるのに、むしろほのぼのとした実感を覚えている。私の体験からすると、若いうちは感じられなかった独特の安らかさである。近年、これに近い状態を詩に書いたことがあって、出だしは次の通りだ。「ここでは/気温と体温とが/あらがうことなく融合する/いつからだろうか/それに気がついたのは//ここでは/融合すると間もなく/骨という骨が皮膚から少しずつ滲み出て/声という声が甘辛く皮膚から浸透して来て/人として獲得してきたあらゆるものが/溶けていくように感じられつつ/逆に緩慢に凝固しつづけるのです……」(「べらまっちゃ」2004年)。微熱状態が安らぎに通じるのは、気温と体温とが「あらがうことなく」、ちょうど良い案配に溶け合うような感じになるときである。「春の宵」は気温もちょうど良いし、加えて艶めいた雰囲気が安らぎを助長する。それにもう一つ年輪が加わり、少々の熱が出ようが、体力の衰えを知る者には、焦っても仕方がないという一種の精神的な余裕が生じるからではないかと思われるのだか、どうだろうか。俳誌「日矢」(2006年3月号)所載。(清水哲男)


March 0332006

 春の雪ひとごとならず消えてゆく

                           久米三汀

語は「春の雪」。作者の「三汀」は、小説家として知られた久米正雄の俳号である。掲句は、小室善弘『文人俳句の世界』で知った。追悼句だ。『ブラリひょうたん』などの名随筆家・高田保が亡くなったのは、1952年(昭和二十七年)二月二十日だった。このときの作者は病床にあったので、通夜にも告別式にも参列はしていない。訃報に接して,大磯の高田邸に掲句を電報で打ったものだ。したがって、原文は「ハルノユキヒトゴトナラズキエテユク クメマサオ」と片仮名表記である。電報が届いたのは、ちょうどみんなが火葬場に行く支度をしているところで、その一人だった車谷弘の回想によれば、緊急の場合で、すぐには電文の意味を解しかねたという。紋切り型の弔電が多いなかで、いきなりこれでは、確かに何だろうかと首をかしげたことだろう。しかし、しんみりした味わいのある佳句だ。淡く降ってはすぐに消えてゆく春の雪に重ねて、友人の死を悼んでいるのだが、その死を「ひとごとならず」と我が身に引きつけたところに、個人に対する友情が滲み出ている。しかもこの電報のあと、わずか十日にして、今度は作者自身が世を去ったのだから、「ひとごとならず」の切なさはよりいっそう募ってくる。閏(うるう)二月二十九日、六十一歳の生涯であった。掲句を紹介した永井龍男は「終戦後の生活に心身ともに疲れ果てたと見られる死であった」と述べ、追悼の三句を書いている。そのうちの一句、「如月のことに閏の月繊く」。永井龍男『文壇句会今昔』(1972)所載。(清水哲男)




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