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March 1832006

 癒えてゆくことも刻々初花に

                           水田むつみ

語は「初花(初桜)」で春。最初は作者自身が病床にあるのかと思ったが、そうではなかった。自解がある。「90歳の父が倒れ、車椅子の生活を余儀なくされた。歩くことを諦めていたが、リハビリの甲斐あって、初花の気息の如くに刻々回復へと向かった。俳句の力が奇跡をもたらしたとしか言いようのないほど父の運の強さを感じる」。ということは、父上も俳句をよくされるのであろう。それはともかく、この自解を読んでからもう一度句に戻ってみると、つまり冷静に読んでみると、なるほど自分の病いが癒えているにしては、勢いが良すぎる。やはりこの句は、他者への応援歌として読むべきであったし、ちゃんと読めばそれがわかるように作られている。一瞬の思い込みは危険だ。どうも、私はせっかちでいけないと反省した。もう一句、「初花へ一途の試歩でありにけり」。南国からの花便りが伝えられる今日この頃、句の父上のように懸命にリハビリに励んでいる方も、たくさんおられるだろう。ご快癒を祈ります。ところで、掲句は三年前の作。で、気がついたことには、この父上と私の父親とはまさに同年だ。私の父は幸いなことに、車椅子のお世話にはなっていないけれど、やはり相当に脚が弱ってきてはいる。もはや、杖なしでは外出できない。杖があっても、よく転ぶらしい。若いときに軍隊で鍛えられ、敗戦後は百姓で鍛えられた脚でも、年齢には勝てないというわけか。いくら山国育ちでも、父に比べればほとんど鍛えていないに等しい私の脚には、やはりそろそろガタが来そうな予感がしている。「俳句研究」(2003年6月号)所載。(清水哲男)




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