パ・リーグ開幕。センバツも面白い。体調イマイチなるも気分は良好、これで上昇気流に。




2006ソスN3ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2532006

 佐保姫は貝殻製のお喋り器

                           星野石雀

語は「佐保姫(さほひめ・さおひめ)」で、「春」に分類。奈良の佐保山を神格化した女神のことで、春の山野の造化を司るとされている。秋の「龍田姫(たつたひめ)」と対をなすが、比べると佐保姫の名前の語感は柔らかくて、いかにも春らしい雰囲気が感じられる。掲句はその姫を指して、「貝殻」でできた「お喋り器」だと断定しているところが愉快だ。となると、ちょうど今頃の自然の音はみな、佐保姫の独り言なのかもしれない。春風にそよぐ植物の音も川のせせらぎも、そして小鳥たちのさえずりも、みんな貝殻を軽く触れ合わせたような優しい音色を響かせている。ただし、それにも限度があって、いかな優しい音色でもとめどなくなってしまうと五月蝿くてかなわない。実際小鳥のさえずりにしても、時によっては五月蝿くも鬱陶しいものだ。だから「お喋り器」と揶揄しているのであろうが、これはひとり佐保姫のことばかりではなく、現実の女性とイメージをダブらせての言い方であるに違いない。むろん男にもお喋りはいるけれど、一般的には圧倒的に女性のほうがお喋りだ。何故かは知らねど、私語を控えたほうがよい場所などでも、女性が何人かいれば必ず誰かが喋っている。その昔、子供のPTAの役員をやらされたとき、役員会の席のあちこちでお母さん方が勝手に喋るのを止めさせるのに苦労したことがある。そんなこっちゃあ、子供以下ですぜ。とも言えず、遠慮がちに、しかし内心では怒り心頭に発して、「佐保姫たち」を静かにさせるのは至難の技であった。すなわち、女神といえどもが人間の女性とちっとも変わらないとは……、やれやれという句だ。俳誌「鷹」(2006年4月号)所載。(清水哲男)


March 2432006

 夕辛夷ドガの少女は絵に戻る

                           河村信子

語は「辛夷(こぶし)」で春。日本全土に自生しているので、ソメイヨシノなどよりポピュラーだとも言える。東京辺りでは、いまが花の盛りだ。句の「ドガの少女」とは、有名な踊り子シリーズのなかの少女だろうか。あるいは、晩年近くに好んで競馬を描いたパステル画の流れのなかに、少女像があるのかもしれない。あるとすれば、パステル調のほうが掲句には似合いそうだ。ドガは印象派の中心的な存在として知られているが、しかし、他の画家のように明るい外光にさして関心を抱かなかった点がユニークだ。それこそ踊り子シリーズは室内の光で描かれたものだし、競馬の絵にしてもむしろ薄暗い外光で描かれていて、印象派一般のぱあっとした派手な陽光を感じることはできない。句の「夕辛夷」は、おそらくこのあたりのことを意識して選ばれた時間帯と季題なのだろう。夕暮れ時に高いところで真っ白に無数に咲いている辛夷の花は、まさにドガの好んだ心地良い照明そのものなのであって、明るすぎる昼間にはどこかに姿を消していた少女も、いつしか「絵」に戻ってくるのであった。すなわち、ドガの少女像は「夕辛夷」のような照明の下で最もその存在感を得るというのが、掲句の言いたいことだと思う。こんな屁理屈はさておいても、掲句には辛夷と絵の中の少女という意外な取り合わせが、実に自然にスムーズに溶け合った叙情的な美しさがある。作者は一方で長年自由詩を書いてきた人だけに、素材を選ぶ際の視野の広さも感じられる。『世界爺』(2006)所収。(清水哲男)


March 2332006

 春昼や魔法瓶にも嘴ひとつ

                           鷹羽狩行

語は「春昼」。「嘴」は「はし」と読ませている。なるほど、魔法瓶の注ぎ口は鳥の「くちばし」に似ている。「囀り(さえずり)」という春の季語もあるように、折から小鳥たちがいっせいに啼きはじめる時候になってきた。そんな小鳥たちの愛らしい声の聞こえる部屋の中では、ずんぐりとした魔法瓶がいっちょまえに「嘴」を突き出して、こちらはピーとも啼きもせず、むっつりと座り込んでいるのだ。それが春の昼間のとろとろとした雰囲気によく溶け込んでいて、暢気で楽しい気分を醸し出している。魔法瓶の注ぎ口に嘴を思うのは、べつに新鮮な発見というわけではないけれど、春昼とのさりげない取り合わせの妙は、さすがに俳句巧者の作者ならではである。ところで、この魔法瓶という言葉だが、現在の日常会話ではあまり使われなくなってきた。魔法瓶で通じなくはないが、「ポット」とか「ジャー」と言うのが一般的だろう。考えてみれば、「魔法」の瓶とはまあ何とも大袈裟な名前である。登場したころにはその原理もよくわからず、文字通り「魔法」のように感じられたのかもしれないけれど、いまや魔法瓶よりももっと魔法的な商品は沢山あるので、魔法を名乗るのはおこがましいような気もする。西欧語からの翻訳かなと調べてみたら、どうやら日本語らしい。1904年に、ドイツのテルモス社が商品化に成功したことから、欧米ではこの商品名テルモス(サーモス)が現在でも一般的であるという。「俳句研究」(2006年4月号)所載。(清水哲男)




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