東京の花見は今日がピーク。明日は天気がよろしくないという予報なので混むぞ〜今日は。




2006ソスN4ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0142006

 大石役者誰彼ぞ亡し義士祭

                           牧野寥々

語は「義士祭」で春。東京高輪の泉岳寺で、四月一日から七日間行われる。冬の討ち入りの日(十二月十四日)にも行われており、こちらの謂れはよくわかるが、なぜ春に行われるのかは、調べてみたが不明。気候が良いころなので、単に人が集まりやすいという理由からだろうか。いまだに人気の高い赤穂義士だが、掲句は義士を追慕するというよりも、これまでに大石内蔵助を演じた役者で故人となった「誰彼」を偲んでいる。芝居、映画、そしてテレビで何度となく演じられてきた義士物語の主役は、多くその時代の名優、人気役者であったから、彼らを偲ぶことはまた時代を偲ぶことにも通じているわけで、作者は泉岳寺の境内に立ちながら往時茫々の感を強くしたことだろう。ちょっと意表をついた句のようだが、しかし考えてみれば、私たちが大石はじめ赤穂浪士の面々を偲ぶというときには、これらの役者が演じた人物像を通して偲ぶのだから、むしろ逆に真っ当な発想であると言うべきか。以下余談。一昨日の夜、NHKラジオの浪曲番組で、三門柳が義士外伝のうちの「元禄武士道・村上喜剣」を演じていた。喜剣は薩摩浪士で、かねてより内蔵助を大人物とみていたが、夜毎の狂態、その腑抜けぶりに遭遇し「噂どおりの腰抜け武士、犬畜生にも劣る大馬鹿者」と内蔵助を足蹴にし「亡君に代わって一刀両断とは思えども犬畜生を斬る刀は持たぬ」と立ち去った男だ。だが、後に義士の討ち入りを聞くに及んでみずからの不明を恥じ、泉岳寺の墓前で割腹する。もちろんこの浪曲の聞かせどころはこのあたりにあるのだけれど、なかで流浪する喜剣の行程が、なぜか「おくのほそ道」と同じなのであり、芭蕉の句までが折り込まれているのには笑ってしまった。俳句入り浪曲なんて、はじめて聞いた。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


March 3132006

 デッサンのはじめの斜線木の芽張る

                           うまきいつこ

語は「木の芽」で春。絵心のある人でないと、なかなかこうは詠めないだろう。スケッチブックに柔らかい鉛筆で、すっと「はじめの斜線」を引く。木の枝だ。すると、それだけで写生の対象となった眼前の木の芽が、きりりと己を張ったように見えてきたというのである。物をよく見るというのはこういうことであって、それと意識して斜線を引いたおかげで、対象物が細部にいたるまで生き生きと見えてきたのである。いささか教訓めくが、俳句など他の表現においても事は同じで、対象物をよく見て書き、書くことでいっそう対象が鮮やかな姿をあらわす。写生が大事。そうよく言われるのは、この意味からである。ところで、専門家であるなしを問わず、絵をどこから描きはじめるかは興味深い問題だ。掲句は斜線からはじめているわけだが、同じ情景を描くにしても、手のつけどころは人様々のようである。中心となる物からはじめたり、逆に周辺から固めていったりと、描き手によってそれぞれに違う。典型的なのは幼児の場合で、人物を描くときに足のほうからはじめていって、頭をちゃんと描くスペースがなくなり、ちょんぎれてしまうケースは多い。でも、そんな絵に彼らが違和感を覚えないようなのは、やはり彼らの目の位置が低いせいだろう。日常的にも、幼児は大人の頭をさして意識していないのではなかろうか。大人は絵の構図を企むので、簡単には分析できそうもないけれど、私のように下手でも描いてみると、「はじめ」が意外に難しいことがわかる。『帆を張れり』(2006)所収。(清水哲男)


March 3032006

 春風やダックアウトの千羽鶴

                           今井 聖

語は「春風」。センバツ高校野球も、いまやたけなわ。作者の奉職する横浜高校は昨日、沖縄・八重山商工の猛追撃を振り切ってベスト8に進出した。句意は明瞭、句味は爽快。何も付け加えることはないけれど、高校野球のダッグアウト(dugout。句の「ダックアウト」は誤植だろう)に「千羽鶴」が飾られるようになったのは、いつ頃からだったろうか。私の短くはない観戦体験からすると、そんなに昔のことではないと思う。おそらくは女子マネージャーが登場したころと、だいたい同じ時期だったのではあるまいか。戦時中の「千人針」をここで持ち出すのは不適切かもしれないが、あの千人針には女性の必勝祈願が込められていたのであって、千羽鶴もまた同様に女性の気持ちを込めて作られている。私が高校生だったころには、千羽鶴もなければ、野球の試合に女の子が大挙して応援に来ることもなかった。目立たないところで、そっと応援した人はいたようだけれど……。どちらが良いとは軽々には言えないけれど、昔の男ばかりのゴツゴツした雰囲気も悪くはなかったし、応援席から遠く離れた花一輪の可憐な風情にも味があった。ところで掲句とはまったく無関係だが、最近はこの千羽鶴をネツトで買えるのをご存知だろうか。「990羽セット」と「完成品セット」の二種類があり、前者は残り10羽を自分で折り、さらに自分で糸で紡ぐ作業をする。対して後者は、そのまんま渡すだけの完成品で、値段は「990羽セット」が12600円〜31500円。「完成品セット」が18900円〜37800円だという。内職で折るらしいが、一羽折っていくらくらいなのかしらん。関心のある方は、後はご自分でお調ください。俳誌「街」(第58号・2006年4月)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます