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April 0742006

 橋の無き数寄屋橋行く春ショール

                           鈴木智子

語は「春ショール」。この句を読んで微笑を浮かべた読者は、ほとんどが戦前生まれの方だろう。句意ははっきりしていて、わかりにくいところはまったくない。でも、句を文字通りに味わおうとすると、なんだか当たり前過ぎて面白い句でもないので、世代が若いと、がっかりする読者もいそうである。そうなのです。わかる世代には、すぐにわかるし、わからない世代には全くわからないのがこの句なのです。「数寄屋橋」と「シヨール」と言えば、私くらいの世代から上の人々ならば、連想が自然に行き着く先は一つしかありません。すなわち、かの一世を風靡した「真知子巻き」へと……。真智子は、菊田一夫の人気ラジオドラマ『君の名は』のヒロインだった。1953年に映画化されたこのすれ違いドラマでヒロインを演じたのが岸恵子で、ショールを頭から首に巻いた斬新なファッションが、当時の若い女性たちには大受けだった。そこらじゅうに、にわか真知子が出現したのだった。作者は、そんな世代の女性なのだろう。ある春の日に銀座に出かけたとき、いまは無き数寄屋橋のあたりを通りかかって、ショール姿の人を見かけたのだ。むろん、彼女はもはや真知子巻きではない。しかし場所が場所だけに、作者は咄嗟に当時のことを思い出し、一瞬すとんと懐旧の念のなかに落ち、往時茫々の感に打たれたというわけだ。春ショール姿の見知らぬ女性が、そうした過去を何も知らずに数寄屋橋無き道を歩いている。ああ、まことに「忘却とは、忘れ去ることなり」(菊田一夫)なのであります。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


April 2442016

 交番に肘ついて待つ春ショール

                           北大路翼

月十六日。第124回余白句会の兼題は「交番」でした。初参加の北大路翼さんが、断トツの「天」でした。交番という兼題に対して、出句の多くは外から眺めた風景の一部を描いていましたが、翼さんの句は中に踏み込み、交番内の人間模様を巧みに描写しています。ドラマの一場面のようだ、ちょっとワケありの女性を想像できる、若い頃の桃井かおりみたい、、などなど、選句者のイメージは多様ながらも、その輪郭は共通しています。交番の中という舞台を設定したあとに、「肘ついて待つ」が即妙。待たされている当事者に、アンニュイな時間が流れています。人物を女性と特定せず、動作に春ショールをまとわせて、交番内の様態をとらえた瞬時のクロッキー。肘が、交番の机に接着していることによって、春ショールのたたずまいが定着して、読む者に春のぬるさを伝えています。句会で兼題を出されると、いかにして五七五の中に取り込もうかと発想しがちでしたが、兼題の中に入っていくまっすぐな気持ちを翼さんから学びました。これも実相観入でしょう。(小笠原高志)




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