今度の高校クラス会はボーリング大会(希望者のみ)とセットになっている。元気だなあ。




2006ソスN4ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1742006

 幼子と風船売りと話しゐる

                           大串 章

語は「風船」で春。若い頃から、子供の情景を詠むのに秀でた俳人だ。掲句は近作だが、あいかわらず上手いものである。公園か、遊園地か。「幼子(おさなご)」が風船売りの男と話している。ただそれだけの図だけれど、読者の想像力はいろいろに刺激される。たぶんこの子は、物おじしないタイプなのである。私などには、かなりおしゃまな女の子の姿が浮かんでくる。彼女は自分から風船売りに話しかけたはずで、適当に相手になっている男の顔をまっすぐに見ながら、いっちょまえの口をきいている様子が、ほほ笑ましくもリアリティを伴って伝わってくる。「生意気な可愛らしさ」とでも言おうか。作者は、そうした子供の特性を生かすための構図取りが、いつも実に的確である。で、この句にはつづきがあって次のようだ。「風船を持たされ鳩を見てをりぬ」。がらりと変って、この句の主人公はおしゃまな女の子の親か祖父母である。幼子が風船売りに話しかけたばっかりに、風船を買い与える羽目となり、おまけにそれの持ち役にまでされてしまった。委細構わず、そのへんを元気に飛び歩いている女の子と、とうていペースが合わず、風船を持って所在なげに鳩でも見ているしかない大人。この構図もまた、句にはまったく現れていない幼子の様子を活写していると言ってよい。作者はこの春、句集『大地』で俳人協会賞を受賞した。「俳句研究」(2006年5月号)所載。(清水哲男)


April 1642006

 春夕好きな言葉を呼びあつめ

                           藤田湘子

語は「春夕(はるゆうべ)」、「春の暮」に分類。一年前(2005年4月15日)に亡くなった作者の最晩年の句である。そう思って読むせいか、どこか寂しげな感じを受ける。あまやかな春の宵を迎える少し前のひととき、病身の作者がひとりぽつねんといて、「好きな言葉を呼びあつめ」ているのだ。長年にわたる俳句修業ののちに、心の内をまさぐって呼びあつめた好きな言葉とは、どんな言葉だったのだろうか。その数は多かったのか、あるいは逆に寥々たるものだったのか。いずれにしても、この句は作者の意図がどうであれ、老いの切なさをはからずも露出していると思われる。またふんわりとした詠み方ではあるが、最期まで言葉に執した人の鬼気も、いくぶんかは含まれているだろう。読後ふと、ならば読者である私に、好きな言葉はあるだろうかと思わされた。しばらく考えてみて、いまの私にそのような言葉は一つも呼べなかった。若い頃にはいくらもあった好きな言葉は、みななんだか陳腐でくだらなく思えてしまい、もはや「無し」としか言いようがない。これが曲がりなりにも詩を書いている人間として、恥ずかしいことなのかどうかもわからない。でも無理やりに記憶の底を掻き回してみているうちに、エジソンの言葉とされる「少年よ、時計を見るな」がやっと浮かんできたのだったが、もはや私は少年ではないので、やはり好きな言葉と言うには無理があるということである。遺句集『てんてん』(2006)所収。(清水哲男)


April 1542006

 魚島や雨ふりさうな葉のゆらぎ

                           対中いずみ

語は「魚島(うおじま)」で春。山の子ゆえ海のことにはうとく、この季語にもまったく馴染みがない。手元の角川版歳時記から、定義を引き写しておく。「四〜五月になると鯛や鰆などが瀬戸内海に入り込み、海面にあたかも島のようになってひしめきあう。この時期を『魚島時』といい『魚島』はそれを略した形で、豊漁をさすこともある。瀬戸内海地方の方言。燧灘に浮かぶ魚島は鯛漁で有名で、ここの港が語源ともいわれる」。また他の歳時記によれば、兵庫、岡山など瀬戸内海に面した地方では、この時期に鯛の市が立つそうで、これもまた「魚島」と言うとある。総合して考えると、要するに「魚島」とは、瀬戸内海の海の幸の豊饒期をさす季語ということになる。掲句からだけでは、作者が実際に魚島を見ているのかどうかはわからないが、しかし、豊穰感はよく伝えられていると思った。それはむろん「雨ふりさうな」曇天と心理的に関係していて、抜けるような青空の下では得られない種類の思いが込められている。すなわち何も魚の群れとは限らないのだけれど、ものみな晴天下では躍動感こそあれ、それはそのまま心理的に中空に抜けてしまうのに対して、曇天下では逆に内面に貯め込まれるようなところがある。いまにも降り出しそうな気配を周辺の「葉のゆらぎ」に感じて、作者は「魚島時」独特の充実感、豊穰感が盛り上がってくるのを、全身で感応しているのであろう。曇天もまた、春の醍醐味なのである。『冬菫』(2006)所収。(清水哲男)




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