気がつけば四月も下旬。この春は良い陽気の日が例年に比べて少ないと思うのは私だけか。




2006ソスN4ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2242006

 巣鴉をゆさぶつてゐる木樵かな

                           大須賀乙字

語は「巣鴉」で春、「鴉(からす)の巣」に分類。春になると鳥は交尾期に入り、孕み、巣を営む。雀、燕は人家などの軒に、雲雀は麦畑や草むらに、また鳰(にお)は水上に浮き巣をつくり、岩燕は岩石の空洞に巣をつくって産卵し、そして鴉は高い樹木や鉄塔の上に営巣するなど、それぞれの鳥によってまちまちである。掲句は、これから鴉の巣がある木を切り倒すのだろう。木樵(きこり)がしきりに、上の様子を見ながら木を「ゆさぶつてゐる」図だ。危険だから避難しろよと親鴉に告げているようにも見えるが、実際に危険なのはむしろ木樵のほうなのであって、鴉の攻撃を受けないために先手を打っているのだと解したい。鴉が人を襲うなど、最も凶暴になるのは子育ての季節だと言われている。「ひながかえってから巣立つまでの約1ケ月間は、オス・メス両方が食べ物を運び、ひなの世話をします。カラスの警戒心が最も強くなるのもこの頃で、巣のそばを人間が通った時に攻撃を受けることが多くなります」(HP「東京都カラス対策プロジェクト」より)。俗に「ショーバイ、ショーバイ」と言ったりするが、その道のプロには、傍目にはなかなかわからない目配りが必要な一例だ。作者は、そういうことがわかって詠んでいるのかどうか。気になるところではあるけれど、もはや手斧や鋸で樹木を伐採する時代ではなくなった今日、この句がどこかのんびりとしたふうに読めてしまうのは、止むを得ないのかもしれない。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


April 2142006

 春山にかの襞は斯くありしかな

                           中村草田男

語は「春(の)山」。うっかりすると見逃してしまいそうな地味な句に見えるが、しばし故郷から遠く離れて暮らしている人にとっては、ふるいつきたくなるような句だろう。作者が、久方ぶりに郷里の松山に戻ったときに詠んだ「帰郷二十八句」の内の一句。「東野にて」の前書きがある。私にも体験があるが、故郷を訪れて最も故郷を感じるのは、昔に変わらぬ山河に対面するときだ。新しい道ができていたり建物が建っていたりするトピック的な情景には、それはそれで興味を引かれるけれど、やはり帰郷者が求めているのは子供の頃から慣れ親しんだ情景である。ああ、そうだそうだ。あの山の襞(ひだ)は昔も「斯(か)く」あったし、いまもそのまま「斯く」あることに、作者は深く感動し喜びを覚えている。変わらぬ山の姿が、過去の自分を思い出させ、若き日の自分と現在の自分とを対話させ、そしてその一切が眼前の山に吸い込まれてゆく。「父にとって『かの襞』はほとんど『春山』の人格のようなものをさえ感じさせたことであろう」。めったに色紙を書くことのなかった作者に、掲句を書いてもらったという草田男の三女・中村弓子さんの弁である(「俳句α」2006年4-5月号)。父なる山河、母なる故郷などと、昔から自然はある種の「人格」に例えられてきたが、それらは単なる言葉の上の比喩ではなく、まさに実感の上に立った比喩であることが、たとえばこの句からも読み取れるのである。『長子』(1936)所収。(清水哲男)


April 2042006

 清水次郎長が大好き一番茶

                           吉田汀史

語は「一番茶」で春、「茶摘(ちゃつみ)」に分類。摘みはじめの十五日間(4月下旬頃)に摘んだものを「一番茶」と呼び、最上とする。掲句は、そんな一番茶を喫する喜びを卒直に詠んでいる。「旅ゆけば駿河の国に茶の香り」と広沢虎造の「清水次郎長伝」で歌われたように、茶といえば駿河、駿河といえば海道一の大親分だった清水の次郎長だ。したがって、茶と次郎長は付き過ぎといえば付き過ぎだけれど、しかし付き過ぎだからこそ、作者の上機嫌がよく伝わってくるのである。次郎長の本名は山本長五郎といい、通称次郎長は次郎八方(かた)の長五郎で、相続人の意だ。幼くして悪党の評があり、家業(米穀商)のかたわら博奕に手を出し、賭場に出入りするようになる。1842年(天保13)賭場のもつれから博徒に重傷を負わせて他国に逃げ、無宿渡世に入る。浪曲や講談でのヒーローも、そう褒められた生活者ではなかったが、1868年(明治1)東海道総督府判事・伏谷如水から旧悪を許されて帯刀の特権を得、新政府の東海道探索方を命じられてからは、囚人を使役して富士の裾野を開墾したり、汽船を建造して清水港発展の糸口をつけたり、その社会活動は精力的でみるべきものが多い(藤野泰造)。明治26年病死、葬式には1000人前後の子分が参列したという。また「清水港は鬼より恐い、大政小政の声がする」とはやされたように、一昔前までは清水といえば誰もが次郎長を連想したものだが、いまではすっかり「ちびまる子ちゃん」(さくらももこ)にお株を奪われた格好になっている。『一切』(2002)所収(清水哲男)




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