April 242006
栞ひも書架より零れ春燈下
井上宗雄
季語は「春燈(しゅんとう)」。この句に出会った途端、思わず本棚を見てしまった。なるほど、普段はまったく意識したことはなかったけれど、たしかにあちこちの棚の端から「栞(しおり)ひも」が零(こぼ)れている。辞典の類いは別として、栞ひもの位置からその本をあらためて眺めてみると、未読のまま途中でやめてしまっている本はすぐにわかる。なぜ読むのをやめたのかも、あらかた思い出すことができる。本は自分の歴史を思い出すよすがでもあるから、句の作者もまた、栞ひもから時間をさかのぼって、過去の自分をいろいろと思い出しているのではあるまいか。「春燈」には他の季節よりも少しはなやいだ感じを受けるが、それだけに逆に、作者の内心には愁いのような感情が生起しているのでもあろう。はるばると来つるものかな。ちらりと、そんな感慨もよぎっているのだろう。ところで、この栞ひもを出版業界の用語では「スピン」と言う。そしてご存知だろうか、文庫本でスピンをつけているのは、現在では新潮文庫だけである。手元にある方は見ていただきたいが、この文庫のもう一つの特徴は、ページの上端部の紙が不ぞろいでギザギザのままになっていることだ。これはスピンをつけるためにカットできない造本上の仕様なのであり、若者のなかにはこのギザギザが汚いと言う者もいるらしいが、文庫本であろうとスピンがついていたほうがよほど便利なことを知ってほしいと思う。それに私などには反対に、あのギザギザはお洒落にさえ思えるのだが。俳誌「西北の森」(第57号・2006年3月)所載。(清水哲男)
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