やっと阪神に「らしさ」が戻ってきた。猛虎が片目を開けた。これで上昇気流に乗るだろう。




2006ソスN4ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2442006

 栞ひも書架より零れ春燈下

                           井上宗雄

語は「春燈(しゅんとう)」。この句に出会った途端、思わず本棚を見てしまった。なるほど、普段はまったく意識したことはなかったけれど、たしかにあちこちの棚の端から「栞(しおり)ひも」が零(こぼ)れている。辞典の類いは別として、栞ひもの位置からその本をあらためて眺めてみると、未読のまま途中でやめてしまっている本はすぐにわかる。なぜ読むのをやめたのかも、あらかた思い出すことができる。本は自分の歴史を思い出すよすがでもあるから、句の作者もまた、栞ひもから時間をさかのぼって、過去の自分をいろいろと思い出しているのではあるまいか。「春燈」には他の季節よりも少しはなやいだ感じを受けるが、それだけに逆に、作者の内心には愁いのような感情が生起しているのでもあろう。はるばると来つるものかな。ちらりと、そんな感慨もよぎっているのだろう。ところで、この栞ひもを出版業界の用語では「スピン」と言う。そしてご存知だろうか、文庫本でスピンをつけているのは、現在では新潮文庫だけである。手元にある方は見ていただきたいが、この文庫のもう一つの特徴は、ページの上端部の紙が不ぞろいでギザギザのままになっていることだ。これはスピンをつけるためにカットできない造本上の仕様なのであり、若者のなかにはこのギザギザが汚いと言う者もいるらしいが、文庫本であろうとスピンがついていたほうがよほど便利なことを知ってほしいと思う。それに私などには反対に、あのギザギザはお洒落にさえ思えるのだが。俳誌「西北の森」(第57号・2006年3月)所載。(清水哲男)


April 2342006

 原宿を雨過ぎにけり蔦若葉

                           芹沢統一郎

語は「蔦若葉(つたわかば)」で春。晩春の頃の蔦の若葉。木々の「若葉」は夏の季語だが、草類の若葉は春である。掲句の「蔦若葉」は「原宿」にあるというのだから、表参道にあった同潤会青山アパートのそれだろう。このアパートは築後六十数年の老朽化のためすでに取り壊されており、跡地には安藤忠雄設計による新しい建物が建てられている。健在であった頃には、原宿に出かけるたびに、そのどっしりと安定した存在感に心癒されたものだった。とりわけてその昔、原宿にまだ若者たちが集まってこなかった時代には、古き良き時代の東京の住宅地を象徴するかのようなたたずまいを見せていた。このアパートが姿を消してからの原宿は、私のような年代の者にとって、どことなく落ち着かない街になってしまった。昔のそんな原宿に、通り雨だろうか。しばし柔らかな春の雨が降り注ぎ、そして程なく雨は止んだ。と、雲間から今度は明るく日が射してきて街を照らし、いささか古色を増してきた青山アパートの外壁に這う蔦若葉も生気を取り戻してきたのだった。雨に洗われた蔦若葉の光沢がなんとも美しく、作者はしばし路傍にたたずんで見上げていたのだろう。都会がときに垣間見せる都会ならではの美しさを、淡くさらりと水彩画風にスケッチしてみせた佳句である。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


April 2242006

 巣鴉をゆさぶつてゐる木樵かな

                           大須賀乙字

語は「巣鴉」で春、「鴉(からす)の巣」に分類。春になると鳥は交尾期に入り、孕み、巣を営む。雀、燕は人家などの軒に、雲雀は麦畑や草むらに、また鳰(にお)は水上に浮き巣をつくり、岩燕は岩石の空洞に巣をつくって産卵し、そして鴉は高い樹木や鉄塔の上に営巣するなど、それぞれの鳥によってまちまちである。掲句は、これから鴉の巣がある木を切り倒すのだろう。木樵(きこり)がしきりに、上の様子を見ながら木を「ゆさぶつてゐる」図だ。危険だから避難しろよと親鴉に告げているようにも見えるが、実際に危険なのはむしろ木樵のほうなのであって、鴉の攻撃を受けないために先手を打っているのだと解したい。鴉が人を襲うなど、最も凶暴になるのは子育ての季節だと言われている。「ひながかえってから巣立つまでの約1ケ月間は、オス・メス両方が食べ物を運び、ひなの世話をします。カラスの警戒心が最も強くなるのもこの頃で、巣のそばを人間が通った時に攻撃を受けることが多くなります」(HP「東京都カラス対策プロジェクト」より)。俗に「ショーバイ、ショーバイ」と言ったりするが、その道のプロには、傍目にはなかなかわからない目配りが必要な一例だ。作者は、そういうことがわかって詠んでいるのかどうか。気になるところではあるけれど、もはや手斧や鋸で樹木を伐採する時代ではなくなった今日、この句がどこかのんびりとしたふうに読めてしまうのは、止むを得ないのかもしれない。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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