さて本日から我がタイガースは横浜と3連戦。終わるとヤクルト3連戦。悪くても4勝を。




2006ソスN4ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2542006

 相合傘の雫や春の鶴揺れて

                           鳥居真里子

語は「春の鶴」。ということになるが、はて「春の鶴」とは、どういう鶴を作者はイメージしているのか。秋に渡来し越冬した鶴は、春になると北に帰っていく。これを俳句では「引鶴(ひきづる)」と言い、春の季語としているが、この渡り鶴のことだろうか。「春の雁」という季語は定着しているので、その応用かもしれない。便宜上、当歳時記では「引鶴」に分類してはおくが、北海道に生息する「丹頂」は留鳥で渡らない。これもまた立派に「春の鶴」と言えるわけで、悩ましいところだ。それはさておき、一読、美しい句だと感じた。「相合傘」とはまた古風な物言いだけれど、むろん作者はそれを承知で使っているわけで、十分に効果的である。柔らかい春の雨のなか、肩を触れ合うようにして一本の傘に入って歩いている男と女。傘からは雨の「雫(しずく)」が垂れてきて、その雫を通して「春の鶴」が見えているのである。雫が垂れてくるたびに、鶴の姿はレンズを通したようにぼおっと揺れて拡大され、雫が落ちてしまうとその姿は遠くに去ってしまう。実際にはそんなふうには見えていなくても、句の作者の意図を汲めば、そうした美的な構図が浮かんでくる。相合傘は古風だけれど、句自体は雫を透かすという視点を得て、見事に新鮮でありロマンチックだ。いつまでも、このまま歩いていたい。傘の二人は、きっとそう思っているだろう。「俳句界」(2006年5月号)所載。(清水哲男)


April 2442006

 栞ひも書架より零れ春燈下

                           井上宗雄

語は「春燈(しゅんとう)」。この句に出会った途端、思わず本棚を見てしまった。なるほど、普段はまったく意識したことはなかったけれど、たしかにあちこちの棚の端から「栞(しおり)ひも」が零(こぼ)れている。辞典の類いは別として、栞ひもの位置からその本をあらためて眺めてみると、未読のまま途中でやめてしまっている本はすぐにわかる。なぜ読むのをやめたのかも、あらかた思い出すことができる。本は自分の歴史を思い出すよすがでもあるから、句の作者もまた、栞ひもから時間をさかのぼって、過去の自分をいろいろと思い出しているのではあるまいか。「春燈」には他の季節よりも少しはなやいだ感じを受けるが、それだけに逆に、作者の内心には愁いのような感情が生起しているのでもあろう。はるばると来つるものかな。ちらりと、そんな感慨もよぎっているのだろう。ところで、この栞ひもを出版業界の用語では「スピン」と言う。そしてご存知だろうか、文庫本でスピンをつけているのは、現在では新潮文庫だけである。手元にある方は見ていただきたいが、この文庫のもう一つの特徴は、ページの上端部の紙が不ぞろいでギザギザのままになっていることだ。これはスピンをつけるためにカットできない造本上の仕様なのであり、若者のなかにはこのギザギザが汚いと言う者もいるらしいが、文庫本であろうとスピンがついていたほうがよほど便利なことを知ってほしいと思う。それに私などには反対に、あのギザギザはお洒落にさえ思えるのだが。俳誌「西北の森」(第57号・2006年3月)所載。(清水哲男)


April 2342006

 原宿を雨過ぎにけり蔦若葉

                           芹沢統一郎

語は「蔦若葉(つたわかば)」で春。晩春の頃の蔦の若葉。木々の「若葉」は夏の季語だが、草類の若葉は春である。掲句の「蔦若葉」は「原宿」にあるというのだから、表参道にあった同潤会青山アパートのそれだろう。このアパートは築後六十数年の老朽化のためすでに取り壊されており、跡地には安藤忠雄設計による新しい建物が建てられている。健在であった頃には、原宿に出かけるたびに、そのどっしりと安定した存在感に心癒されたものだった。とりわけてその昔、原宿にまだ若者たちが集まってこなかった時代には、古き良き時代の東京の住宅地を象徴するかのようなたたずまいを見せていた。このアパートが姿を消してからの原宿は、私のような年代の者にとって、どことなく落ち着かない街になってしまった。昔のそんな原宿に、通り雨だろうか。しばし柔らかな春の雨が降り注ぎ、そして程なく雨は止んだ。と、雲間から今度は明るく日が射してきて街を照らし、いささか古色を増してきた青山アパートの外壁に這う蔦若葉も生気を取り戻してきたのだった。雨に洗われた蔦若葉の光沢がなんとも美しく、作者はしばし路傍にたたずんで見上げていたのだろう。都会がときに垣間見せる都会ならではの美しさを、淡くさらりと水彩画風にスケッチしてみせた佳句である。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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