連休になると事故が多発する。言わでものことながら、車でお出かけの方はお気をつけて。




2006ソスN5ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0652006

 汽罐車の煙鋭き夏は来ぬ

                           山口誓子

語は「夏は来ぬ」で「立夏」。暦の上では、今日から夏である。東京辺りの今年の春は、いかにも春らしい日というのが少なかったけれど、ゴールデンウイークに入ってからは今度は一挙に夏めいてきた。まさに「夏は来ぬ」だ。陽光燦々、新緑が目に鮮やか、気持ちの良い風も吹いてくる。そんな立夏の様相を、掲句は「汽罐車(きかんしゃ)の煙」の「鋭さ」に認めている。春のとろりとした大気とは違い、五月初旬のそれは澄み切っている。ために、万物のエッジが鮮明に見えるのだ。だから、同じ汽罐車の煙でも、輪郭がはっきりしていて鋭く感じられる。自然の景物に夏らしさを認めるのは普通のことだから、この発想はとても新鮮であり、しかも無理がないところに作者の腕前が発揮されている。それにしても当たり前のことながら、こうした情景に接しなくなって久しくなった。たまにテレビなどの映像で見ることはあっても、やはり実際の鉄路を驀進する黒い巨体の迫力には遠く及ばない。それに映像には匂いがないので、あの汽罐車の煙独特の煤煙の匂いが嗅げないのも残念だ。あの匂いが流れてくると、なにやら頭の中がキーンとなったものだ。掲句からそうした匂いまでをも自然に思い起こせる人たちは、もはやみな還暦を越えてしまった。すなわち世の中にとっては、去り行くものは日々にうとしということになる。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 0552006

 東京のきれいなことば子供の日

                           西本一都

語は「子供の日」で夏。作者がどこの土地の人かは知らない。句から推して、東京からは大分遠い地方の在住なのだろう。自宅にか、近所の家にか、ゴールデンウイークなので、東京の子が遊びに来ている。その子の話す「東京のことば」に、なんと「きれい」なのだろうと聞き惚れている図だ。むろん、どんな地方の言葉でも、きちんと話せば「きれい」なのではあるが、掲句の「きれい」は、耳慣れない東京弁のチャキチャキした歯切れの良さを言っているのだと思う。ラジオなどから聞こえてくる「ことば」を、そのまま話すことへの物珍しさも手伝っての、新鮮な印象も含まれている。「きれいなことば」という平仮名表記が、その子の話し振りを彷佛とさせて心地良い。ところで表記といえば、国が定めている五月五日の祝日表記は「子供の日」ではなく、「こどもの日」である。これはそれこそ小さい「こども」にも読めるようにという配慮からでもあるのだろうが、それだけの理由からではなさそうだ。というのも、昔から「こども」ならぬ「子供」という漢字表記には差別的だという声が強いからである。とくに教育福祉関係などでは「子供」の「供」は「お供」の意なので,親の従属物を連想させるという理由から「子ども」と書くことが多い。しかし、「ども」だと「豚ども」「野郎ども」などの蔑視発想につながるから、それも駄目で、むしろ「子供」のほうがマシだと言う人もいて,てんやわんや。戦後すぐの「大民主主義」の時代に、それらの意見を考慮した結果、「こどもの日」に落ち着いたというのが、実際のところであったような気がする。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 0452006

 生えずともよき朝顔を蒔きにけり

                           高浜虚子

語は「朝顔蒔く」で春、「花種蒔く」に分類。朝顔は、八十八夜の頃が播種に最適とされる。ちょうど今頃だ。昨年は蒔くのを忘れたので、今日あたり蒔こうかと思っている。といっても、土を選んで買ってきたりするのは面倒なので、垣根のわきに適当に蒔くだけだ。べつに品評会にでも出すわけじゃないから、その後の世話もほとんどしないはずである。まさに掲句のごとく「生えずともよき朝顔」というわけだ。虚子の気持ちは、一応は蒔いておくけれど、生えなければそれでもよし、生えてくれれば儲けものといったところだろう。まことにいい加減ではあるが、期待しないその分だけ、生えてきて花が咲いてくれたときには、とても嬉しい。内心では、ちゃんと生えてほしいのだ。でも、はじめから期待が高過ぎると、うまく育たなかったときの落胆度は大きいので、こういう気持ちでの蒔き方になったということだろう。うがった見方をしておけば、種蒔きだけではなく、このような気持ちでの物事への処し方は、虚子という人の処世術全般に通じていたのではないかと思う。断固貫徹などの完璧主義を排して、何事につけても、いわば融通無碍に、あるいは臨機応変に対応しながら生きてゆく。桑原武夫の第二芸術論が出て来たときに、「ほお、俳句もとうとう『芸術』になりましたか」とやり過ごした態度にしても、その一つのあらわれだったと見てよさそうだ。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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