吉行理恵66歳、曽我町子68歳、松山恵子69歳。このところ同年代の訃報があいつぐ。SIGH。




2006ソスN5ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1152006

 行く道も気づけばいつか帰り道

                           高野喜久雄

季句。作者は鮎川信夫、田村隆一らと同じ「荒地」の詩人で、この五月一日に七十八歳で亡くなった。訃報に接して、高野さんがホームページを持っておられたことを思い出し、行っていろいろと読んでいくうちに、掲句を含む「寒蝉10句」を見つけたのだった。決して上手な句ではないけれど、亡くなられた現実を背景にして読むと、切なさがこみあげてくる。自分では希望を抱いて前進してきたつもりの道が、「気づけばいつか帰り道」だったとは……。一般的には、高齢者によくある感慨の一種とも取れようが、よく知られた初期詩編の「独楽」に書かれているように、このような「気づき」は若い頃からの作者に特有のものだった。「独楽」全行を引いておく。「如何なる慈愛/如何なる孤独によっても/お前は立ちつくすことが出来ぬ/お前が立つのは/お前がむなしく/お前のまわりをまわっているときだ//しかし/お前がむなしく そのまわりを まわり/如何なるめまい/如何なるお前の vieを追い越したことか/そして 更に今もなお/それによって 誰が/そのありあまる無聊を耐えていることか」。そして、もう一句。この詩をもっと作者自身に引き寄せて書けば、こういうことになるのだろう。「彫りながら全てを木屑にかえす朝」。……ご冥福をお祈りします。合掌。「高野喜久雄HP・詩と音楽の出会い」所載。(清水哲男)


May 1052006

 裏口にいつも番犬柿の花

                           いのうえかつこ

語は「柿の花」で夏。まだ少し早いかもしれないが、関東あたりではそろそろ咲きはじめてもよい頃である。さて、いつ通りかかっても、ひっそりとしている家がある。我が家の近所にもある。番犬がいるのだから、誰かは住んでいるのだろうけれど、日常的にあまり人の気配というものが感じられない。昼間は家族がみんな外出しているのか、あるいは老夫婦あたりが静かに暮らしているのだろうか。なんとなく、気になる。そして、この番犬はいつも退屈そうにうずくまっているような感じだ。傍を通っても、べつだん吠えるでもなく睨みつけるでもない。といって愛想良く尻尾を振るでもないという、いささか覇気に欠ける犬なのだろう。もう、相当な年寄り犬なのかもしれない。そんな番犬のいる裏庭に、今年も「柿の花」が咲きはじめた。地味な花である。黄色がかった小さな白い花が、枝々の葉の根元に点々と見え隠れしている。この地味な花と気力の無い犬と、そして裏口と……。これだけの取り合わせから、この家のたたずまいのみならず、近所の情景までもが浮き上がってくるところに、掲句の妙味と魅力がある。さらりとスケッチをしただけなのに、この句の情報量はかなりのものだ。俳句ならではの力があり、作者もよくそのことを承知して詠んでいる。『馬下(まおろし)』(2004)所収。(清水哲男)


May 0952006

 山河また一年経たり田を植うる

                           相馬遷子

語は「田植」で夏。今日あたりも、掲句の感慨をもって、田植えに忙しい農家も多いだろう。子供心にも、この季節になるたびに「また一年経たり」の思いはあった。学校は農繁期休暇となり、小さい子はともかく、小学校も四年生くらいになると、みな田圃に出て植えたものだ。田植えは人手を要するので、集落の人々が協力してその地の田を順番に植えることになっており、自分の家の田だから、呑気にマイペースで植えるというわけにはいかない。どこの家の田圃であろうとも、植える時間などは一定の決まりのもとで行われていた。したがってまだ暗いうちに起き、日の出とともに田圃に入るのだったが、夏というのに早朝の田水の冷たかったの何のって、しびれて感覚がなくなるほどだった。畦から苗束がひとわたり投げ入れられると、いよいよはじまる。はじまったら、ただ黙々と植えてゆく。おしゃべりは、余計なエネルギーの浪費だからだ。はじめのうちは、田に苗を挿し込み,それをぐいと泥のなかでねじるのが難しい。しっかりねじこまないと、根付く前に浮いてきてしまう。そのうちにコツがのみこめ、なんとかいっちょまえに植えられるようにはなるのだが、なんといっても辛いのは前屈みの姿勢をつづけることからくる腰の痛みだ。ときどき腰をのばしてとんとんと叩く図は、まるで老人だった。だから、十時と三時の休憩とお昼の時間の待ち遠しかったこと。そんなだったから、大人であろうが子どもであろうが、田植えの夜は泥のように眠ったものだった。そして休暇後に学校に提出する日記には、「今日は田植えをしました。明日はもっと働きたいと思います」と書いたのである。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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