yJ@マk

May 1452006

 その後は雨となりたる桐の花

                           土谷 倫

語は「桐の花」で夏。好きな花だ。近くで見るよりも、遠くにぼおっと淡い色に霞んでいるほうが、私の好みには合う。掲句の花は、むろん遠景か近景かはわからないが、なんとなく遠景のそれのような気がする。それも雨にけぶっているとあっては、ますます私の感性は柔らかく刺激される。「その後は」の「その」が何を指しているのかは、これまたわからないのだけれど、この言い方はきわめて俳句的な省略の仕方によっている。私の読んだ感じでは,何か、とても心地良い体験のできた何かなのだと思われた。ある種の会合でもよし、また友人などとの交流でもよし。でも、ひょっとすると「その」は不祝儀かもしれないのだが、しかし葬儀にしても人が心地良く対するのは珍しいことではあるまい。そして「その」何かが終わって外に出てみたら、知らないうちに暖かい雨になっていて、充足した心で何気なく遠くを見やった先に、桐の花が美しくも淡く咲いていたというのである。このときに、「その」と省略された対象と桐の花の淡い紫色とは照応しあい溶けあって、読者の感性や想像力をそれこそ柔らかく刺激するのである。清少納言は「紫に咲きたるはなほおかしきに」と、この花を愛でた。平安期の昔から、どれほどの人が桐の花に癒されてきたことか。句の雨があがれば、郭公も鳴きだすだろう。初夏は、まことに美しい季節だ。『風のかけら』(2006)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます