Lリ登q句

May 1552006

 さなぶりに灯してありぬ牛小屋も

                           鏑木登代子

語は「さなぶり(早苗饗)」で夏。田植えを終えた後で、田の神を送る祭のこと。「さなぶり」の他にも、「さのぼり」「さなぼり」あるいは「しろみて」などと地方によって呼び名があり、私のいた山口県山陰の村では「どろ(泥)おとし」と言っていた記憶がある。「さなぶり」の「さ」は田の神をあらわし、その神が天にのぼっていくというので「さなぼり」「さのぼり」と言ったらしい。「どろおとし」はそのものずばりで、労働の際の泥をきれいに落とそうという意味だろう。この日の行事にもいろいろあったようだが、句のそれは、私の田舎と同じように、みんなで集まっての酒宴である。早い話が、慰労会だ。大人たちがまだ明るい時間から酔って歌などをうたっていた様子を、覚えている。句は、そんな酒宴のお裾分けということで、普段は暗い牛小屋にも「ごくろうさん」と、電気をつけてあるというわけで、心温まる情景だ。ただし、現代ではおそらくこのような「早苗饗」を行う地方は無くなっているのではあるまいか。昔の田植えは、集落あげての共同作業だったけれど、マシンが田圃に入る時代となっては、その必要もない。必然的に骨休めの時も場所も、各戸でばらばらである。そして、もはや農耕牛もいないのだから、掲句の世界も存在しない。こと農業に関しては、とても昔は良かったなどとは言えないのだが、早苗饗のような伝統行事が次々に消えていくのは、私などにはどうしても寂しく思えてしまう。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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