May 202006
青春や祭りの隅に布団干し
須藤 徹
季語は「祭(り)」。俳句で「祭」といえば夏のそれを指し、古くは京都の「葵祭」のみを言った。他の季節の場合には「秋祭」「春祭」と季節名を冠する。その葵祭や東京の神田祭も過ぎ、昨日から明日までは浅草の三社祭である。夏の祭とはいっても、各地の大きな祭礼はたいてい初夏の間に終わってしまう。掲句を読んで、京都での学生時代を思い出した。京都に住んでいると、春夏秋冬にいろいろな祭りや行事があるけれども、二十歳そこそこの私には、そのほとんどに関心が持てなかった。とくに京都の場合は多くが観光化しているので、人出だけがやたらに多く、ちゃんと見るなんてことはできなかったせいもある。が、それ以上に、祭りだと言って浮かれている人々と一緒になりたくないという、おそらくは「青春」に特有の偏屈さが働いていたためだと思う。句のように、なんとなく街中が浮いた感じの「祭りの隅」にあって、そんな祭りを見下す(みくだす)かのように、布団干しなどをしている自分の姿勢に満足していたのである。今となっては、素直に出かけておけばよかったのにと後悔したりもするのだが、しかし、そうはしないのが「青春」の青春たる所以であろう。何でもかでも無批判に、世間の動きにのこのこと付き従っているようでは、若さが泣こうというものだ。掲句はそこまで強く言っているわけではないが、青春論としてはほぼ同じアングルを持っている。遠くからの笛や太鼓の音が、青春に触れるとき、若さはまるで化学反応を起こすかのように、しょぼい布団干しなどを思いついたりするのである。『荒野抄』(2005)所収。(清水哲男)
December 042008
くちびるへ鞭のにほひの冬の雲
須藤 徹
十二月に入り寒さも本格的になってきた。「くちびる」を意識するのは冷たい空気に唇が乾燥して荒れるこれからだろう。細く裂けてざらっと舌に触れる唇の皮、それをそっと歯先にはさんで痛いぎりぎりまで引っ張ってみる自虐的な気持ち。その気分が「鞭」という言葉で表わされているようだ。ひゅっと宙を切る鞭の鋭い音や口に感じる皮の味を「にほひ」に転化させることで鞭が実在感をもって迫ってくる。感覚に直接的に訴えかける物の匂いを「冬の雲」に繋げることで、内部へ向かいかけた読み手の気分が雲に閉ざされた空を見上げる視線へと切り替わる。言葉と言葉の連関をたどることで味覚、嗅覚、視覚と感覚が立体的に立ち上がり、冬ざれの景へと広がってゆくのだ。そのとき初めて、何気なく置かれているように見える言葉が作者によって周到に配置されたものであるのに気づかされる。こんなふうに言葉で別の世界へ誘われるたび俳句が好きになる。『さあ現代俳句へ』(1989)所載。(三宅やよい)
February 252010
江ノ島のガソリン臭き猫の恋
須藤 徹
今夜も近所の野良猫や飼い猫たちが入り乱れて悩ましい声で呼び合っている。まだ寒いじゃないか、と蒲団にもぐりつつ思うけど鳴き始める猫たちは本能で春を感知しているのだろう。「恋猫の恋する猫で押し通す」(永田耕衣)の句にあるようにひたすらに恋に打ち込む猫がいとおしくもあり、滑稽でもある。家に猫を飼う人達にとっては気が揉める時節の到来だろう。春浅き江の島に車を飛ばして押し寄せてくる若いカップル。その車の下に潜む恋猫。その見つけどころに、「ガソリン臭き」とかぶせたところに現実味が漂う。それでいて猫の恋がちょっぴり抒情的であるのは背景に潮の香りが広がるからか、その二つの匂いが入り混じって忘れ難い印象を残す。掲句が作られてから10数年経過した今、江の島のバイク族も車もめっきり少なくなったことだろう。恋も体当たりだった行動派からメールやパソコンで恋情をやりとりする若者たちへ。匂いもなくどこか無機質なその恋愛と猫の恋をだぶらせようとしても、もはや遠いかもしれない。『幻奏録』(1995)所収。(三宅やよい)
August 012013
空蝉の薄目が怖い般若湯
須藤 徹
般若湯とは僧侶が使う隠語で「酒」を表すという。この句は「飲む」という題詠句会で出された句だったと思う。俳句で兼題と言えば名詞か季語が多いのだか、この時は川柳人との合同句会で「題詠での動詞をどう扱うか」で両者の差異を探ろうと試みた。掲句では「飲む」を僧侶が飲む酒とその行為へ転嫁している。空蝉の「薄目」に見られることがお釈迦様の半眼に見られているような後ろめたさを感じさせる。「般若湯」の一語に隠れて「飲む」行為が隠されているわけで、それをどう読み解くかが鍵と言える。須藤さんの句は俳句への知識と自らの思想に裏打ちされた言葉が多く、おいそれと近づくのを許さない雰囲気があった。しかし、句会では私をはじめ多くの若手俳人が「般若湯」の意味を解せず、「銭湯の名前かと思った」という意見もあって大笑いになったが、そんな発言もおおらかに受け止めてくれる人だった。東京へ来て数知れぬ恩を受けたが、この数年言葉を交わす機会もなく逝ってしまわれたことに悔いが残る。『荒野抄』(2005)所収。(三宅やよい)
January 062014
七種粥ラジオの上の国家澄み
須藤 徹
一日早いが、「七種」の句を。ラジオを聞きながら、作者は七種粥を前にしている。万病を除くという七種粥の祝膳に向かっていると、普通の食膳に対しているときとは違い、作者はいささかの緊張感を覚えている。七種粥は味を楽しむというよりも、この神妙な緊張感を保ちながら箸をつかうことに意義がありそうだ。おりからのラジオは、今年一年の夢や希望を告げているのだろう。その淑気のようなものとあいまって、七種粥のありようも一種の神々しさを帯びて感じられる。国家も、そして何もかもが澄んでいるようだ。が、作者はかつて国家が澄んだことなど一度もないことを知っている。知っているからこそ、国家が澄んでいるのはラジオの上だけのことと、いわば眉に唾せざるを得ないのである。いや、眉に唾しておく必要を強く感じているのだ。人は誰しもが雰囲気に流されやすい。時の権力は、いつでもそこを実に巧みに突いてくる。対して、身構えることの必要を、この句は訴えている。なお、作者の須藤徹氏は昨年六月に66歳の生涯を閉じられた。合掌。「ぶるうまりん」(27号・2013)所載。(清水哲男)
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