May 232006
更衣して忘れものせし思ひ
柴田多鶴子
季語は「更衣(ころもがえ)」で夏。旧暦時代には四月一日、衣服だけではなく、室内の調度や装飾の類を夏のものに更新することを言った。新暦になってからは六月一日にするところが多くなったが、昨日の「asahi.com」に、こんな記事が出ていた。「神戸市灘区の松蔭中学・高校の女子生徒たちが22日、一足早く衣替えをし、夏服で登校した。神戸市内の今朝の最低気温は平年より3度高い19.2度。半袖の白いワンピースに身を包んだ生徒たちは、朝から照りつける初夏の日差しを浴びながら、学校までの長い上り坂を元気に歩いた」。女生徒たちの写真も添えられていて、まさに「夏は来ぬ」の感じだった。福永耕二に「衣更へて肘のさびしき二三日」があるが、どうなんだろう。私などは福永の句に同感するけれど、まだ若さの真っ只中にある女生徒たちにとっては、半袖の「肘のさびしさ」よりも開放感から来る嬉しさのほうが強いのではなかろうか。ただ、いくら若くても、掲句のような気持ちにはなるだろう。昨日までの冬の制服の厚みや重さが突然軽くなるのだから、それこそ「二三日」の間は、毎朝ように何か「忘れもの」をしたような頼りない気分が、ふっと兆してきそうな気がする。学校の制服制度の是非はともかく、もはや当事者ではなくなった私などには季節の変化を知ることができ、また一つの風物詩として、毎夏新鮮な刺激として受け止めている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)
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