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2006ソスN5ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2652006

 売られゆくうさぎ匂へる夜店かな

                           五所平之助

語は「夜店」で夏。作者は、日本最初の本格的なトーキー映画『マダムと女房』や戦後の『煙突の見える場所』などで知られる映画監督だ。俳句は、久保田万太郎の指導を受けた。掲句はありふれた「夜店」の光景ながら、読者に懐かしくも切ない子供時代を想起させる。地べたに置かれた籠のなかに「うさぎ」が何羽か入っていて、それを何人かの子どもらが取り囲んでいる。夜店の生き物は高価だ。ましてや「うさぎ」ともなれば、庶民の子には手が届かない。でも、可愛いなあ、飼ってみたいなあと、いつまでも飽かず眺めているのだ。このときに、「うさぎの匂へる」の「匂へる」が、「臭へる」ではないところに注目したい。近づいて見ているのだから、動物特有の臭いも多少はするだろうが、この「匂へる」に込められた作者の思いは、「うさぎ」のふわふわとした白いからだをいとおしく思う、その気持ちだ。「匂うがごとき美女」などと使う、その「匂」に通じている。この句を読んだとたんに、おそらくは誰もがそうであるように、私は十円玉を握りしめて祭りの屋台を覗き込んでいた子どもの頃を思い出した。そして、その十円玉を祭りの雑踏のなかで落としてしまう少年の出てくる映画『泥の川』(小栗康平監督)の哀切さも。『五所亭句集』(1069)所収。(清水哲男)


May 2552006

 光りかけた時計の表梅若葉いま

                           北原白秋

語は「若葉」で夏。ちなみに「柿若葉」「椎若葉」「樫若葉」という季語はあっても、「梅若葉」の季語はない。やはり、何と言っても梅は花が第一だからだろう。しかし、それを承知で「梅若葉」とやったところに、白秋の少しく意表を突き新味を出そうとするセンスが感じられる。「時計」は柱時計で、窓際近くに掛けられている。そこに折りからの初夏の日差しがとどいて文字盤が「光りかけ」、窓から見える梅は若葉の盛りだ。柿若葉のように葉に艶はないけれど、いかにも生命力の強そうな感じの葉群が見えている。状況からして午前中も早い時間の光景であり、活力のある一日のはじまりが告げられている。白秋らしい明るい句だ。大正末期の作と推定され、白秋はこの時期に集中して自由律俳句を書いたが、以降は短歌に転身してしまう。体質的に、情を抒べられる短歌のほうが似合ったのだろう。このあたりのことを考えあわせると、五七五の定型句ではなく自由律を好んだ理由もわかるような気がする。「梅若葉」で、もう一句。「飯の白さ梅の若葉の朝」。朝の食卓に、梅若葉の清々しくも青い影が反射している様子だ。ただ、私には「飯の白さ」が気にかかる。米騒動が起きたほどの米価高騰時代の作としては、白秋は単なる彩りに詠んだつもりかもしれないが、当時の読者のなかにはむかっと来た者も少なくはなかったはずだからだ。『竹林清興』(1947)所収。(清水哲男)


May 2452006

 夏の日の匹婦の腹にうまれけり

                           室生犀星

語は「夏の日」。「匹婦(ひっぷ)」とは、いやしい女の意だ。作者は自身で何度も書いているが、父の正妻ではない女性の子であった。いま私は、犀星の最後の作品『われはうたへどもやぶれかぶれ』を読んでいる。年老いて身動きもままならぬ自分を、徹底的に突き放して書いた、すさまじい私小説だ。掲句もそうであるように、作家としての犀星の自己暴露は、終生首尾一貫していた。生まれてすぐに生家の体面上、他家にやられた作者にはほとんど母親の記憶がない。わずかな記憶は、「殆醜い顔に近い母親だった」ことくらいだ(『紙碑』)。この句に触れて、娘の室生朝子が書いている。「犀星は膨大な作品を残したが、そのなかで数多くの女性を描いた。(中略)ひとつの作品のなかで生きる女は、犀星の心の奥に生きている、形とはならない生母像と重なり合いながら、筆は進んでいく。犀星はどのように難しいプロットを小説のために組み立てるよりは、好きなように女を書く楽しみのなかに、苦しみと哀しみが重なり合っていたのではないかと思う。/この一句は犀星の文学を、あまりにもよく表している、すさまじい俳句である」。犀星は幻の実母の死を、父親の先妻に告げられて知った。彼女は、こう言ったそうだ。「あれは食う物なしに死んだのです」。つまり、餓死ということなのか。それにしても、いかに憎い相手だったとしても、故人を指して「あれ」とはまた、すさまじい言い方だ。犀星という作家は、そんなすさまじい体験を逆手に取って、珠玉のような作品をいくつも書いたのだった。まことに、すさまじい精神力である。『鑑賞現代俳句全集・第十二巻』(1981)所載。(清水哲男)




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