パソコンぶっ壊れで、あちこちに問い合わせ。こういうときの英語は難しいなあ。とほほ。




2006ソスN5ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 3152006

 釘文字の五月の日記書き終る

                           阿部みどり女

語は「五月」。五月も今日でおしまいだ。今年の五月は天候不順のせいで、いわば消化不良状態のままで終わってゆく。日記をつけている人なら、毎日の天気の記載欄を見てみると、あらためて「晴れ」の日の少なかったことに驚くだろう。それはともかく、掲句は句集の発行年から推して、作者八十代も後半の作かと思われる。「釘文字」は、折れ曲がった釘のように見える下手な文字のことだ。もちろん謙遜も多少はあるのだろうが、しかし九十歳近い年齢を考えると、その文字に若き日のような流麗さが欠けているとしてもおかしくはない。つまり、やっとの思いで文字を書いているので、金釘流にならざるを得ないということだと思う。そんな我ながらに下手糞な文字で、ともかく五月の日記を書き終え、作者はふうっと吐息を漏らしている。そして、そこで次に浮かんでくる感慨は、どのようなものであったろうか。一般的に、高齢者になればなるほど時の経つのが早いと言われる。作者から見れば、まだ息子の年齢でしかない私ですら、そんな感じを持っている。すなわち、もう五月が終わってしまい、ということは今年もあっという間に半分近くが過ぎ去ったことに、なにか寂寞たる思いにとらわれているのだろう。このときに「釘文字」の自嘲が、寂寞感を増すのである。句の本意とは別に、この句は読者に読者自身の文字のことを嫌でも意識させる。私のそれは、学生時代にガリ版を切り過ぎたせいだ(ということにしている)が、かなりの金釘流だ。おまけに筆圧も高いときているから、流麗さにはほど遠い文字である。若い頃は、文字なんて読めればいいじゃないかと嘯いていたけれど、やはり謙虚にペン習字でもやっておけばよかったと反省しきりだ。が、既にとっくに遅かりし……。『月下美人』(1977)所収。(清水哲男)


May 3052006

 セルむかし、勇、白秋、杢太郎

                           久保田万太郎

語は「セル」で夏。薄手のウールのことで、初夏の和服に用いられ、肌触りが良く着心地が良い。。明治になって織られはじめ、一時大流行したという。掲句には「『スバル』はなやかなりしころよ」の前書きがある。「セル」を着る季節になって、作者はその大流行の時期に文芸誌「スパル」で活躍した何人もの文人たちを、懐かしく思い出している。「勇」は歌人の吉井勇のことだが、あるいは句の三人がセルを着て写っている写真があるのかもしれない。石川啄木が編集長だった創刊号が出たときには、作者は十歳くらいであったから、その後の多感な少年期にリアルタイムで「スバル」を読み、大いに刺激を受け啓発されたのだったろう。しかも、その執筆メンバーの、なんとはなやかで豪華だったことか……。この他にも、森鴎外がいたし与謝野晶子がいたし、若き高村光太郎も参加していた。この句には、いかにも文壇好きという万太郎の体質が出ているけれど、ひるがえってもはや後年、こうして懐旧されることもないだろう現代の文学界に対して、こういう句を読むと寂しさを覚える。なかで「俳壇」だけは現在でもかろうじて健在とは言えそうだが、しかし半世紀後くらいにこのように懐かしんでくれる読者がいるだろうかと思うと、はなはだおぼつかない。その要因としては、むろん明治や大正とは違い、メディアの多様化や受け手の関心の細分化などがあるとは思う。が、しかしジャンルとしては昔のままの文学様式はまだ生きているのだから、そこには志や情熱の熱さの往時との差があるのかもしれない。物を書いて飯が食えなかった時代と食える時代との差。そう考えることもできそうだ。俳誌「春燈」60周年記念号(2006年3月)所載。(清水哲男)


May 2952006

 草刈女朝日まぶしく人を見る

                           西村公鳳

語は「草刈女(くさかりめ)」で夏、「草刈」に分類。牛馬の飼料や堆肥にするために、草刈は夏の大切な農作業の一つだった。たいていは、早朝に刈ったものだ。朝早くのほうが草が濡れているので、鎌が使いやすいということもあるが、それよりも日が高くなると暑いからという理由のほうが大きいだろう。主に、女性の仕事だった。この句は、そんな草刈の一場面だ。早朝なのでめったに人も通らないから、たまに通りかかると、鎌の手を休めて「誰かしらん」と顔を上げるのである。すると、朝の低い太陽が目に入って「まぶしく」、ちょっと目をしばたかせながら「人」、つまり作者を見たのだった。いかにも農村の朝らしい、清々しくも人間味のある情景ではないか。草刈といえば、坪内稔典が近著の『季語集』(2006・岩波新書)に、こんなことを書いている。「かつて私が勤務していた京都教育大学では、年に二度、教職員と学生が総出でキャンパスの草刈りをした。乏しい予算をカバーするためにはじまった草刈りだが、予算のことなどを忘れ、みんなが半日の草刈りを楽しんだ」。この件を読んで、私は少年期に同じような体験をしたことを思い出した。ただし「総出」でではなく、似たような学校の事情からだったと思うが、それぞれの生徒に草を刈って学校に持参するようにと「宿題」が出た。みんな文句の一つも言わずに持っていったけれど、あれらの草を売った代金はいくらぐらいになって、何のために使われたのだろうか。父兄にはおそらく報告があったのだろうが、いま、不意にそれを知りたくなった。けっこう重労働だっもんなあ……。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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