午後から16日の詩の朗読会に向けてのリハーサル。詩朗読会の練習ははじめてだ。




2006ソスN6ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1162006

 ことのほか明るき佐渡や梅雨に入る

                           関根糸子

語は「梅雨に入る」で夏。「入梅」に分類。作者は「佐渡」にいるのではなく、対岸の本土側から佐渡島を眺めているのだろう。曇天や雨だと佐渡はよく見えないけれど、今日は特別と言いたいくらいの上天気で、「ことのほか」明るく見えているのだ。ええっ、そんなに晴れているのに、では、なぜ「梅雨に入る」なのかと疑問を感じる読者もおられると思う。専門俳人でも、こんがらがってしまう人がいるくらいだから、無理もない。実は掲句は、暦の上の「入梅」という日を詠んだものである。立春から数えて一三五日目を昔の暦では「入梅」と定めていて、今年はそれが今日に当たる。だから、たとえば「立春」がちっとも春らしくない日だったりするのと同じことで、「梅雨に入る」と言ってもしとしとと雨が降っているとは限らない。句のように、快晴の日もあったりするわけだ。日本の暦は農作業の目安に使われることが多かったから、あらかじめ「入梅」の日を設定しておいて、それを目安に仕事を運んでいた。雨の季節にはできなくなる仕事を、あらかじめ片付けておくのに、暦の「入梅」は必要だったのである。もうここまで書けばどなたもおわかりのように、掲句の作者は「入梅」の日というのに、こんなにも晴れてしまった天の配剤に(あるいは天のしくじりに)、大いに気を良くしている。これからの本当の雨期には見えなくなる佐渡の姿を、上機嫌で見ている作者の表情までもが目に浮かぶようだ。歳時記などを繰ってみても、なかなか「入梅」の本意にそくした句は見つからないが、掲句はまっとうに本意を押し出している句として記憶されてよい。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


June 1062006

 時の日や縄文服を着てをりぬ

                           宮岡節子

語は「時の記念日」で夏。大正九年に定められ、天智天皇の十年(661)四月二十五日(陽暦六月十日)、漏刻(水時計)を使用した日を記念した日だ。滋賀県大津市の近江神宮では例年通り、今日の午前11時から「漏刻祭」が行われる。つまり「時の記念日」は「時間の記念日」ではなく「時計の記念日」である。私の子どもの頃には、この記念日は、今とは比較にならないくらいに、社会的に意識されていたと思う。学校の朝礼では時間厳守の大切さが話されたし、新聞でも必ず時計に関する何らかの話題が載っていた。それはひとえに、まだ時計が高価であり普及していなかったせいだったろう。時間厳守と言われても、子どもが腕時計を持つこともなかったし、大人でも田舎で持っている人は稀だった。時計といえば、家に固定された柱時計のみで、一歩表に出るや、正確な時刻などはわからない。わからないから、待ち合わせの時間に遅れるなどは日常茶飯事であり、いくら教師がしゃかりきになって時間厳守を説いても、無駄な説教なのであった。私の田舎では、いまでも農作業や山仕事の人々に時刻を知らせるために、朝昼夕と役場のサイレンを鳴らしている。そんな環境なので、集会の開始時刻なども、いまだに「田舎時間」のようだ。定刻通りに、きっちりとははじまらないのである。ひるがえって今の都会では、時計は自分の腕をはじめとして、いたるところに存在している。たとえ時計を持っていなくても、すぐに時刻がわかるほどだ。便利といえば便利だが、時計の普及のせいで、私たちの生活の合理化は極端に進んでしまい、もはや道具にすぎないはずの時計に支配されていると言っても過言ではない。掲句は、そんな世の中に対する皮肉なのだろう。擬似的にせよ、何かのイベントで縄文服を着てみることくらいしか、私たちはゆったりとした時の流れを味わうこともままならないというわけだ。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


June 0962006

 走り去る蜥蜴の視野を思ひをり

                           北野紙鳥

語は「蜥蜴(とかげ)」で夏。私の子どものころには、庭先などによく出没したものだが、近年はとんとお目にかからない。動きは実に俊敏で、しげしげとと眺めたことはないけれど、その目はどこか冷たいものを孕んでいるように見えた。と言っても、ずる賢そうな目ではなく、とても怜悧な目という印象だ。「視野」の範囲は視線からの角度で表し、これはあくまでも人間の場合だが、片方の目での視野は上方60度、内方60度、下方70度、外方100度だという。同じ角度で、上下左右がまんべんなく見えているわけではないのである。また、視野の広さは色によっても異なり、白がもっとも広く、青、黄(赤)、緑の順に狭くなるのだそうだ。となれば、蜥蜴の視野はどうなのだろうか。人間よりもよほど眼球が左右に飛び出ているので、それだけ人よりも視野は広いのだろう。で、例によってネットで調べてみたら、蜥蜴は両目ともに同じ物が見える範囲こそ前方18度と数値は低いが、眼球が飛び出しているおかげで、片目だけで見える範囲を含めると、なんと280度が見えている。つまり、蜥蜴に見えない部分(いわゆる「死角」)は真後ろの80度ほど(比べて、人間の死角は152度とかなり広い)だから、「走り去る」方向によっては、句の作者も蜥蜴の視野にはちゃんと入っていることも考えられるのだ。仮に蜥蜴のような目を持つピッチャーがいるとしたら、心持ち首を左右に振るだけで、二塁ランナーが見えてしまう理屈である。もっとも、これは視力が人間並みかそれ以上だったと仮定しての話だが、調べてもそのあたりのことはわからなかった。等々と、つい掲句につられて私も「蜥蜴の視野」をいろいろ想ってしまったけれど、この句の良さは、読者にまさにそうした想いをうながす点にあるのだと思う。この句を読まなければ、私は一生、蜥蜴の視野などに想いをめぐらすこともなかっただろう。不思議な発想の句も、また楽し。俳誌「梟」(2006年6月号)所載。(清水哲男)




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