昨日は渋谷、今日は新宿。そして明日は? どこにも行かずに終日うつむいて原稿書き也。




2006N612句(前日までの二句を含む)

June 1262006

 母とみる帽子の底の初蛍

                           松本秀一

語は「(初)蛍」で夏。子どもの頃の思い出だ。子と母のどちらが捕った蛍だろうか。子どもなら、年齢は小学生くらいで、今年はじめての蛍を発見し、帽子を脱いで追いかけてつかまえた。それを母親に見せたい一心で、走って家に戻り、母と頬を寄せながらそおっと帽子を開くと、底のほうで蛍が明滅している。「ねっ」と、母を見上げる得意満面な子の表情が浮かんでくるようだ。母が捕まえてきたのだとすれば、子どもはまだ幼い。「初蛍」はこの夏に見るはじめての蛍ではあるけれど、ここには子どもにとっての初見の「蛍」の意も込められているような気がする。「ほら、ホタルよ。きれいでしょ」。言われて子どもは帽子をのぞき、また母親の顔を見てにっこりし、そしてまた不思議そうに帽子の底を見ている。どちらにしても微笑ましい情景だが、そのことを越えて掲句が私に響くのは、昔はこのように、自然を媒介にした親子の交流があったことを思い出させてくれたことだ。蛍ばかりじゃない。夏になればセミだとかカブト虫だとか、カタツムリやナメクジも出てくるし、ときにはゲジゲジにだって親子の会話は弾んだものだった。このことがいかに親子の交流を円滑にし、子育てにも有用だったか。親が子を殺し、子が親を殺す。近年はそんな事件が珍しくなくなったが、それもこれもがみんな蛍がいなくなったせいだと言えば、きっと呆れて嗤う人も多いだろう。しかし私は大真面目にそう思っているし、全国的な蛍の減少の過程がそのまま人心の荒廃度に比例してきたと信じている。この句の作者のように、蛍の季節になれば、自然に母親のことを思い出す。そういう子どもは、もうほとんど今の世の中にはいないのである。『早苗の空』(2006)所収。(清水哲男)


June 1162006

 ことのほか明るき佐渡や梅雨に入る

                           関根糸子

語は「梅雨に入る」で夏。「入梅」に分類。作者は「佐渡」にいるのではなく、対岸の本土側から佐渡島を眺めているのだろう。曇天や雨だと佐渡はよく見えないけれど、今日は特別と言いたいくらいの上天気で、「ことのほか」明るく見えているのだ。ええっ、そんなに晴れているのに、では、なぜ「梅雨に入る」なのかと疑問を感じる読者もおられると思う。専門俳人でも、こんがらがってしまう人がいるくらいだから、無理もない。実は掲句は、暦の上の「入梅」という日を詠んだものである。立春から数えて一三五日目を昔の暦では「入梅」と定めていて、今年はそれが今日に当たる。だから、たとえば「立春」がちっとも春らしくない日だったりするのと同じことで、「梅雨に入る」と言ってもしとしとと雨が降っているとは限らない。句のように、快晴の日もあったりするわけだ。日本の暦は農作業の目安に使われることが多かったから、あらかじめ「入梅」の日を設定しておいて、それを目安に仕事を運んでいた。雨の季節にはできなくなる仕事を、あらかじめ片付けておくのに、暦の「入梅」は必要だったのである。もうここまで書けばどなたもおわかりのように、掲句の作者は「入梅」の日というのに、こんなにも晴れてしまった天の配剤に(あるいは天のしくじりに)、大いに気を良くしている。これからの本当の雨期には見えなくなる佐渡の姿を、上機嫌で見ている作者の表情までもが目に浮かぶようだ。歳時記などを繰ってみても、なかなか「入梅」の本意にそくした句は見つからないが、掲句はまっとうに本意を押し出している句として記憶されてよい。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


June 1062006

 時の日や縄文服を着てをりぬ

                           宮岡節子

語は「時の記念日」で夏。大正九年に定められ、天智天皇の十年(661)四月二十五日(陽暦六月十日)、漏刻(水時計)を使用した日を記念した日だ。滋賀県大津市の近江神宮では例年通り、今日の午前11時から「漏刻祭」が行われる。つまり「時の記念日」は「時間の記念日」ではなく「時計の記念日」である。私の子どもの頃には、この記念日は、今とは比較にならないくらいに、社会的に意識されていたと思う。学校の朝礼では時間厳守の大切さが話されたし、新聞でも必ず時計に関する何らかの話題が載っていた。それはひとえに、まだ時計が高価であり普及していなかったせいだったろう。時間厳守と言われても、子どもが腕時計を持つこともなかったし、大人でも田舎で持っている人は稀だった。時計といえば、家に固定された柱時計のみで、一歩表に出るや、正確な時刻などはわからない。わからないから、待ち合わせの時間に遅れるなどは日常茶飯事であり、いくら教師がしゃかりきになって時間厳守を説いても、無駄な説教なのであった。私の田舎では、いまでも農作業や山仕事の人々に時刻を知らせるために、朝昼夕と役場のサイレンを鳴らしている。そんな環境なので、集会の開始時刻なども、いまだに「田舎時間」のようだ。定刻通りに、きっちりとははじまらないのである。ひるがえって今の都会では、時計は自分の腕をはじめとして、いたるところに存在している。たとえ時計を持っていなくても、すぐに時刻がわかるほどだ。便利といえば便利だが、時計の普及のせいで、私たちの生活の合理化は極端に進んでしまい、もはや道具にすぎないはずの時計に支配されていると言っても過言ではない。掲句は、そんな世の中に対する皮肉なのだろう。擬似的にせよ、何かのイベントで縄文服を着てみることくらいしか、私たちはゆったりとした時の流れを味わうこともままならないというわけだ。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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