ラジオで聞いた。昔、鉱石ラジオで聞いたヘルシンキ五輪。敗れた古橋を思い出す。




2006N623句(前日までの二句を含む)

June 2362006

 蛍より麺麭を呉れろと泣く子かな

                           渡辺白泉

語は「蛍」で夏。敗戦直後の句だ。掲句から誰もが思い出すのは、一茶の「名月を取てくれろとなく子哉」だろう。むろん、作者はこの句を意識して作句している。とかく子どもは聞き分けがなく、無理を言って親や大人を困らせるものだ。それでも一茶の場合は苦笑していればそれですむのだが、作者にとっては苦笑どころではない。食糧難の時代、むろん親も飢えていたから、子供が空腹に耐えかねて泣く気持ちは、痛いほどにわかったからだ。こんなとき、いかに蛍の灯が美しかろうと、そんなものは腹の足しになんぞなりはしない。それよりも、子が泣いて要求するように、いま必要なのは一片の麺麭(パン)なのだ。しかし、その麺麭は「名月」と同じくらいに遠く、手の届かないところにしかない。真に泣きたいのは、親のほうである。パロディ句といえば、元句よりもおかしみを出したりするのが普通だが、この句は反対だ。まことにもって、哀しくも切ないパロディ句である。あの時代に「麺麭を呉れろ」と泣いて親を困らせた子が、実は私たちの世代だった。腹の皮と背中のそれとがくっつきそうになるほど飢えていた子らは、その後なんとか生きのびて大人になり、我が子には決してあのときのようなひもじい思いをさせまいと、懸命に働いたのだった。そして、気がついてみたら「飽食の時代」とやらを生み出していて、今度は麺麭の「捨て場所」づくりに追われることにもなってしまった。なんという歴史の皮肉だろうか。そしてさらに、かつて麺麭を欲しがって泣いた子らの高齢化につれ、現在の公権力が冷たくあたりはじめたのは周知の通りだ。いったい、私たちが何をしたというのか。私たちに罪があるとすれば、それはどんな罪なのか。『渡邊白泉全句集』(2005)所収。(清水哲男)


June 2262006

 さるすべり辞令束なす半生よ

                           五味 靖

語は「さるすべり(百日紅)」で夏。我が家の窓から見える「さるすべり」はまだ花をつけていないが、そろそろ咲きはじめた地方もあるだろう。この花は、なにしろ花期が長い。秋風が立ちそめても、まだ咲いている。その長い花期の時間が、作者の「半生」のそれに重ね合わされているのだろう。どこか遠くを見るような目で花を見上げながら、作者はぼんやりと来し方を振り返っている。そして、思えば「辞令束なす半生」だったと……。そこには良く今日まで無事に勤め上げてきたものだという感慨と、しかしその間に失ってきたもののことも思われているようで、句にはうっすらとした哀感が漂っている。暑さも暑し。だが、真夏の昼間にも、人は物を想うのである。私はサラリーマン生活が五年ほどと短かったので、むろん束なす辞令とは無縁で来た。でも、その間に三度の入退社があり人事異動もあったので、五年にしては辞令の数は多かったのかもしれない。で、最も役職の高い辞令をもらったのが二十八歳のときだったと思う。辞令には「課長代理待遇」に任ずると書いてあった。ぺーぺーの二十代にしては、けっこうな出世である。と、客観的にはそう思われるだろうが、しかし、話は最後まで聞いてみないとわからない。そんな辞令を会社が交付したのは、単なる給与調整のためだったからだ。その会社に私は途中入社したので、同年代の同僚に比べてかなりの安月給。その辺を横並びに、つまり私の給料を少し上げるために、会社は苦肉の策で「課長代理待遇」なる架空に近いポストをひねり出し、それをもって給料アップの根拠としたのだった。そんな辞令をもらっても、だから依然としてぺーぺーであることに変わりはなかったのである。『武蔵』(2001)所収。(清水哲男)


June 2162006

 東京都式根無番地磯巾着

                           曽根新五郎

っきり夏の季語とばかり思っていたら、「磯巾着(いそぎんちゃく)」は春だった。ま、いいか。春の季語にした理由は、どうやら春にいちばん数多く見られるからということらしい。「式根」は式根島で、東京から南に160キロの太平洋に浮かぶ小さな島だ。ただし、伊豆七島の数には入っていない。新島の属島という扱いで、式根の住所は「東京都新島村式根島255番地1」などと表示される。この句は、「無番地」と磯巾着の取り合わせが面白い。無番地ゆえに人は居住しておらず、すなわち人影も無く、浜辺には磯巾着のみが散在して静かに暮らしている。磯巾着に郵便物が来ることはないから、無番地でもいっこうに構わないわけだが、しかし無番地に平気で住んでいるというのは、どことなく可笑しいし、いくばくかの哀しさも感じられる。とまあ、初読の感想はこのようであった。おそらくは作者の狙いも、このあたりにありそうである。しかし、ちょっと気になったので「無番地」のことを調べてみた。そうすると、まず無番地とは、いわゆる地番が無いことではなく、「無」というれっきとした地番があるということだった。たとえば「神奈川県横須賀市田浦港町無番地」といった「無番地地番」は、全国に数えきれないほどある。それこそ伊豆諸島の有人の島ては最南端にある青ヶ島の地番は、全島が無番地だ。では、なぜ無番地なのかと言えば、もともとが番地の無い国有地が払い下げられたものだったり、自治体がとりあえず無番地とした土地がそのままになっていたり、あるいは川などを埋め立てた新しい土地だったりと、一言では定義できないほどに様々である。実は東京の四谷駅も無番地なんだそうで、無番地にも人はたくさんいる場合があるということがわかった。となれば、掲句の無番地はどう解釈すべきなのか。なんだか、よくわからなくなってきてしまったが、作者はやはり人里離れた土地という意味で使ったのだろうと、一応はそうしておきたい。『合同句集 なかむら 1』(2006)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます