立秋の風とともに『新・増殖する俳句歳時記』をお届けします。お楽しみください。




2006ソスN8ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0882006

 けさ秋の一帆生みぬ中の海

                           原 石鼎

さ秋は「今朝秋」。「今朝の秋」と同じく立秋の日をさす。所収されている句集『花影』では、代表句「秋風や模様の違ふ皿ふたつ」の隣に位置し、大正二年から四年春までの「海岸篇」とされる。海岸篇には「米子の海近きあたりをさすらへる時代の作」とあるので、鳥取県米子から眺める景色であろう。高浜虚子は『進むべき俳句の道』のなかで、石鼎を「君の風情は常に昂奮している」と評しているが、掲句では帆が「生まれる」と感じたことに石鼎の発見の昂奮があるかと思われる。それにしても思わず「一帆生みぬ海の中」と平凡に読み違えそうになる。しかし、中の海とは宍道湖が日本海へと流れ出る間をつなぐためについた吐息のような海域の名称である。目の前に広がる海が大海原ではなく、穏やかな中の海であることで荒々しい背景を排除し、海面と帆はさながら母と子のような存在で浮かび上がる。白帆を生み落とした母なる海には、厳粛な躍動と清涼が漂っている。まだまだ本格的な暑さのなかで、秋が巡ってくることなど思いもよらない毎日だが、あらためて「立秋」と宣言されれば、秋の気配を見回すのが人の常であろう。こんな時、ふと涼しさが通りすぎるような俳句を思い出すことも、秋を感じる一助となるのではないかと思う。『花影』(1937)所収。(土肥あき子)


June 3062006

 六月の氷菓一盞の別れかな

                           中村草田男

十代の私に俳句を読むことの醍醐味を教えてくれた中村草田男の一句をもって、しばしお別れの挨拶とさせていただきます。この句は九年前(1997)の六月に一度取り上げていて、そのときの全文は次の通りでした。『氷菓(ひょうか)』にもいろいろあるが、この場合はアイスクリーム。あわただしい別れなのだろう。普通であれば酒でも飲んで別れたいところだが、その時間もない。そこで氷菓『一盞(いっさん)』の別れとなった。『盞』は『さかずき』。男同士がアイスクリームを舐めている図なんぞは滑稽だろうが、当人同士は至極真剣。「盞」に重きを置いているからであり、盛夏ではない『六月の氷菓」というところに、いささかの洒落れっ気を楽しんでいるからでもある。『いっさん』という凛とした発音もいい。男同士の別れは、かくありたいものだ。実現させたことはないけれど、一度は真似をしてみたい。そう思いながら、軽く三十年ほどが経過してしまった」。淡々たる別れの情景は、湿度も低く、こうして傍目に見ていても気持ちが良いものですね。それでは今日こそ私も真似をして、一盞のアイスクリームをちょっと掲げて「さようなら」を申し上げます。長い間のご愛読、お励ましに感謝しつつ。また、秋からの新増俳でお会いしましょう。(清水哲男)

[ 謝辞 ]末筆になりましたが、この間、技術的に当サイトを支えつづけてくれた長尾高弘さんに深甚の謝意を表します。ありがとうございました。


June 2962006

 カップ麺待つ三分の金魚かな

                           上原恒子

語は「金魚」で夏。うん、たしかにあの三分という待ち時間は、なんとも中途半端である。作者は仕方なく「金魚」鉢に目をやっているわけだが、この句を読んで、では他の人たちは、この間何をして待っているのだろうかと興味が湧いた。いや、それよりも自分は普段どうしているのかな。「カップ麺」を食べるときは、たいてい家に一人でいるときだ。発売当時(1971年)ならばまだしも、一家そろってカップ麺などという情景は、あまりいただけない。でも、三分間では、タバコに火をつけて一服やるには短かすぎる。しかし、何もしないでじっとカップ麺の蓋を眺めているには長過ぎる。かといって、他にすることも思いつかない。それこそ仕方がないから、金魚を飼っていない私は、たいてい壁の時計を見てきたようだ。別に正確に三分間を待とうというのではないのだけれど、なんとなく三分という時間のことが頭にあるので、それで結局は時計を見る習性がついてしまったのだろう。この句の手柄は、誰もが持つそうした日常的な些細な無為の時間を、あらためて思い起こさせるところにある。俳句の題材は、見つけようと思えば、どこにでもあるという見本のような作品だと思う。ところで、こうした無為の時間を気にするのは、どうやらメーカー側も同じのようで、日清食品のホームページには、こんなコーナーができている。一分間で出来上がりというスパゲッティ「スパ王」用のキッチン・タイマーならぬ「美女タイマー」だ。一応なるほどとは思ったけれど、なんか見てるだけでせわしない。それに、すぐ飽きてしまう。他に、妙案はないものだろうか。『正午』(2001)所収。(清水哲男)




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