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August 0882006

 けさ秋の一帆生みぬ中の海

                           原 石鼎

さ秋は「今朝秋」。「今朝の秋」と同じく立秋の日をさす。所収されている句集『花影』では、代表句「秋風や模様の違ふ皿ふたつ」の隣に位置し、大正二年から四年春までの「海岸篇」とされる。海岸篇には「米子の海近きあたりをさすらへる時代の作」とあるので、鳥取県米子から眺める景色であろう。高浜虚子は『進むべき俳句の道』のなかで、石鼎を「君の風情は常に昂奮している」と評しているが、掲句では帆が「生まれる」と感じたことに石鼎の発見の昂奮があるかと思われる。それにしても思わず「一帆生みぬ海の中」と平凡に読み違えそうになる。しかし、中の海とは宍道湖が日本海へと流れ出る間をつなぐためについた吐息のような海域の名称である。目の前に広がる海が大海原ではなく、穏やかな中の海であることで荒々しい背景を排除し、海面と帆はさながら母と子のような存在で浮かび上がる。白帆を生み落とした母なる海には、厳粛な躍動と清涼が漂っている。まだまだ本格的な暑さのなかで、秋が巡ってくることなど思いもよらない毎日だが、あらためて「立秋」と宣言されれば、秋の気配を見回すのが人の常であろう。こんな時、ふと涼しさが通りすぎるような俳句を思い出すことも、秋を感じる一助となるのではないかと思う。『花影』(1937)所収。(土肥あき子)


August 1582006

 三児ありて二児は戦死す老の秋

                           佐藤紅緑

藤紅緑の実生活は、最初の妻に四人の息子、二番目の妻に二人の娘、さらに他所にも子供があり、「三児ありて」にして既に事実ではない。正岡子規門下の俳人だった紅緑だが、のちに劇作家、小説家となった彼の俳句に虚構や仕掛けがあることは当然だろう。しかし、このような事象が周囲にいくらでもあったことはゆるぎない事実である。当人の家庭環境が真実どうであったかということは、掲句にとってさほど重要ではない。兵隊に連れて行かれ、戦場のなかで命を落とした還らぬ我が子に思いを馳せる老人。生きていればいま何歳か。亡くなった子の年齢をいくたび指折り数えたことだろう。今日で大戦の終結から61年。私も含め、戦争を知らない世代からすれば途方もない年月を経たように思うが、時間が経過することは忘れ去ることでは決してない。今ここに頭を垂れて、愛する者を失った多くの人々の慟哭に耳を傾ける。『文人俳句歳時記』(1969・生活文化社)所載。(土肥あき子)


August 2282006

 踊らねば只のししむら踊りけり

                           行方克巳

つかは見たいと願っている盆踊りも、岐阜郡上八幡の郡上踊りが終わり、秋田羽後の西馬音内盆踊りが終わり、富山八尾のおわら風の盆を残すばかりとなった。結局今年もまた、どの思いも叶わぬまま夏が終わる。しかし、元来盆踊りとは、盂蘭盆の行事であり、死者を供養するためのものであることを考えると、ゆかりのない土地の盆踊りを「見に行く」とはたいへん奇妙なことにも思う。踊りのさなか、風土はそこに暮らす人間を固く結びつけ、一方日常を遠くに引き離していく。句にある「ししむら」とは、肉の塊のことである。踊らぬ手足は単なる肉塊なのだという。この乱暴な断定が、自分の身体をことさら他人事のように眺め、また目の前に躍動する四肢の魅力をはちきれんばかりに輝かせる。踊り続けることで、肉体はますます個人から離れ、今やしなやかに呼吸する風土の一部となっている。しかし、この甘美な闇をさまよう肢体は、翌朝にはまた綿々と続く日常を歩く、ただの肉塊に戻らねばならない。「踊りけり」と強く言い切ることで、心のどこかで願う狂気を振り払い、わずかに日常との接点を保ちつつ踊り続けるのである。『祭』(2004)所収。(土肥あき子)


August 2982006

 花茗荷きょうが終ってしまいけり

                           宇咲冬男

の長い残暑もようやくその尾を巻き取ろうとしている。ひと筋の風が頬に触れ 、蜩の声が聞こえると、どこか遠くで準備されていた秋が、すぐそこに近づいてきたのだと気づく。新しく巡る季節のなかで、秋の始めをことさら意識するのは、夏が力づくでやってきて、まるで終わることなど考えられないような激しさで毎日を攻めたてていたからだ。力のあるものの終わりを見つめることの悲しみが、秋の始まりにはある。一日が「終わる」のではなく「終わってしまう」という掲句もまたこの時期ならでは焦燥感が込められている。さらに「けり」の切れ字によって、自分ではいかんともしがたい圧力が加わり、途方に暮れる気持ちが一層強まる。茗荷の花という一般にあまり馴染みのない花の、地面からいきなり突き出る唐突とさえ思えるような形が、作者のとりとめのない心情にぴったりと寄り添い、はかなく美しい秋を象徴しているようだ。永遠に続くと思っていた夏休みもあと三日。たっぷり残った宿題を前に呆然としていた小学生時代こそ、今日が終わってしまうことにすがるような心地であったことをふと思い出す。『塵劫』(2006)所収。(土肥あき子)


September 0592006

 爽やかに檜の幹を抱き余す

                           伊藤白潮

林浴という言葉が一般的に知られるようになったのは1980年代というから、まだ日の浅い習慣である。少し年配の方からすれば、そんな大層な言葉を使わずとも、裏山や社寺境内で深呼吸をすることが即ち森林浴であったと思われることだろう。とはいえ、いまや「森林浴」は現代人の大好きな癒しのキーワードとなっている。都会の喧噪を離れ、森の小径を散策すれば、木漏れ日は歩くたびに形を変え、まだ半袖の素肌にさまざまな日向のかけらを放り投げる。取り囲む大樹は静かに呼吸し、ありのままの自分を森がたっぷりと包み込んでくれる。自然の健やかさと愛おしさに、思わず木の幹に触れてみるところまでは、今までも多くの俳人が作品として形にしてきたことだろう。しかし、掲句の魅力は「抱き余す」の「余す」に凝縮される。一等好ましい大樹に両腕を回せば、木の胴は思いのほか太い。というより、両腕に抱えられる大きさが意外に小さいことに気づかされる。左右の指先は目に届かない大樹の後ろ側で、あとどのくらい離れているかも分らない。幹に触れている頬に、しっとりと濡れた木肌が匂う。この肌のすぐ向こうには、地中から運ばれた水が走り、それは梢の先、葉のすみずみまで行き渡っているのだ。抱き余すことによって、年輪を重ねた大樹を祝福し、敬う心が伝わってくる。身体のなかは透明の秋の空気に満たされ、抱いているはずの大樹の幹に、今は抱きしめられている心地となる。『ちろりに過ぐる』(2004)所収。(土肥あき子)


September 1292006

 露の玉こはれて水に戻りたる

                           塩川雄三

ほどさまざまな象徴を込められている大気現象はそうないだろう。袖の露(涙)、露と消える(はかなさ)、露の間(ほんのわずかな時間)など、あげればきりがない。しかし、実際に実物を目にすれば、やはりそのいつとも知れずできた細やかな美しさに心をうばわれる。掲句ではきらめく太陽を封じ込め、天地を映していた端正な露の玉が、持ちこたえられず一瞬にして形を崩す。雫となってしたたり落ちた水滴は、今やなんの肩書きもないただの水だ。張り詰めた美しさから解放され、心持ちほっとした様子を作者は水のなかに見て取り、完璧な美を破壊することで、露の玉の存在はあらためて読者に明確に印象付けられる。あくまで写生句として位置しながら、秋の静けさを背景に持ち、整然と美しい玉が壊れて水に戻る健全さが描かれ、さらに露が持つ文芸的要素を浮遊させる。源氏物語を始め、露が命のはかなさや涙などをたとえている多くの小説のなかで、掲句に壇一雄の『光る道』を重ねた。三の宮の姫君を背負い宮廷で働く衛士が失踪する道中で、ふたりの長い沈黙を破ったのは一面の野に散り敷かれた白玉の露だった。姫宮は自然の光に輝く露に囲まれ、はじめて声をあげる。美しくもはかない白玉の露が、姫宮と現実との初めての接点であったことが、その後の結末を予感させる華麗で残酷な小説だった。十七音に絵画や小説を凝縮させる力を思い、これこそ俳句の大きな魅力だと感じる。『海南風』(2006)所収。(土肥あき子)


September 1992006

 遠ければ瞬きに似て渡り鳥

                           平石和美

やつくつく法師の声がすっかり聞こえなくなり、虫の声もまばらになる頃、しばらくすると海の向こうから鳥たちがやってくる。渡り鳥とは海を渡る鳥を総称するが、俳句ではこの時期の大陸から日本に向かう鳥を「鳥渡る」、春に大陸へ戻る鳥を「鳥帰る」と区別している。はるかかなたから群れをなし羽ばたく鳥の姿は、まさに「瞬き」であろう。さまざまな種類の鳥たちが、羽を揃え、かの地からこの地へ毎年あやまたず渡ってくる。空の片隅に現れる芥子粒ほどの鳥たちは、瞬きのあやうさを持ちながら、しかし瞬くたびに力強く大きく迫ってくる無数の矢印である。イソップ寓話のなかに「詩歌の女神ムーサが歌うと、当時の人間の一部は楽しさに恍惚となるあまり、飲食を忘れて歌い続け、知らぬ間に死んでいった。死んでいった連中は蝉となった。蝉たちは今でも、生まれても食物を必要とせず、飲まず食わずに直ちに歌い始めて死に至る」という話がある。一定の土地に安住することができない渡り鳥たちにも、どこか通じるような気がしてならない。瞬きに似る鳥たちを手招く作者の胸に、かつて翼を持っていた頃の記憶が灯っているのかもしれない。『桜炭』(2004)所収。(土肥あき子)


September 2692006

 畳から秋の草へと続く家

                           鴇田智哉

本家屋には地続きの楽しさがある。お寺の離れに仮住まいしていた友人が、ある朝寝返りを打った拍子に頭に当たるものがあり、万年床をめくるとタケノコが生えていたという良寛さんのような話しも、畳と縁の下があればこそだ。家という器に、土や外気が接触している関係はまったく当然のことながら、掲句になつかしさを感じるのは現在の生活が、密閉され、孤立することを最優先に求めているからだろう。都心の建物は高層化の一途をたどり、いまや地上47階などという鳥の背中を見て暮らすようなマンションさえある。便利に慣れた身体には、高層で暮らす不安より、隣近所や通行人に覗きこまれ、解放される恐怖がまさるのかもしれない。現在間借りしているわが家は、タケノコこそ生えてこないが、築50年という年代ものの木造家屋である。台風で木戸が飛んでしまったり、瓦がずれて雨漏りしたりと、ときに小さな驚きもまじえながら、地続きの暮らしを楽しんでいる。ふと、部屋に敷かれた畳の生い立ちも草であることに気づいた。畳、大黒柱、障子、庭。どれも呼吸するひと続きの仲間となって手を取り合い、そこに暮らす人間をやさしく包んでくれている。『こゑふたつ』(2005)所収。(土肥あき子)


October 03102006

 名月や江戸にいくつの潮見坂 

                           吉岡桂六

伏の多い東京には神楽坂、九段坂、道玄坂、と坂の付いた地名が今も多く残る。これらの地名はそれぞれ生活に密着したものだが、富士見坂、江戸見坂、潮見坂などはそこから何が見えるかという眺望によって名付けられた。永井荷風の『日和下駄』に「当代の碩学森鴎外先生の居邸はこの道のほとり、団子坂の頂に出ようとする処にある。二階の欄干に佇むと市中の屋根を越して遥かに海が見えるとやら、然るが故に先生はこの楼を観潮楼と名付けられたのだと私は聞伝えている。(団子坂をば汐見坂という由後に人より聞きたり。)」という一節がある通り、そこから見えるものがそこに暮らす者の誇りであった。富士山を見上げ、海原を眺めて日々を暮らしていた頃には、旅人もまた道中垣間見える海を眺めて心を休めていた。はるかに浮かぶ真帆白帆。現在でも山や月を見上げることはできるが、海を望む場所はもはや高層ビルの展望台に立たない限り無理だろう。しかし潮見坂の文字を思う都度、人が海を恋い慕う気持ちが付けた名なのだとあたたかく思い起こす。十五夜まであと3日。だんだん丸くなってゆく月に、各所の潮見坂から海を眺めた人々の姿を重ねる。『東歌』(2005)所収。(土肥あき子)


October 10102006

 とどまらぬ水とどまらぬ雲の秋

                           若井新一

霖(しゅうりん)と呼ばれる秋の長雨が明け、文字通り天高く澄み渡る青空になるのは、ようやくこれからの日々だろう。寝転んでいるのか、はたまた仁王立ちに空を仰いでいるのか、豊かな水が湧く大地と、薄く流れる雲に挟まれる心地良さを掲句に思う。作者は新潟県南魚沼市在住とあるので、おそらく無粋な電線にさえぎられることのない、どこまでも続く秋の空をほしいままにしているのだろう。正岡子規が「春雲は絮(わた)の如く、夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如く」と記したように、ごつごつと伸びあがる夏の雲と違い、秋の雲は水平に風に乗って広がっていく。空色の画用紙にひと筆を伸ばしたような雲や、はるかかなたを目指す仲間たちのようなうろこ雲の集団が頭上を流れる様子に、ふと海の底を覗き込んでいるような錯覚を起こす。川は山から海へ向かい、雲は風まかせに流れ、地球も自転し、ひいては時間も流れているのだと思うと、人はこんなにも縦横無尽に動くもののなかで生きているのかと、めまいする気分はますます深まる。底が抜けたような空の青さが、心もとない不安を一層募らせるからだろうか。お天気博士倉嶋厚氏の著書のなかで「cyanometry(青空測定学)」という言葉を見つけた。青空を測定・研究する学問で、測定の一つに、青さの異なる8枚のカードと比較し、空の青さを分類していく方法があるのだという。もしかしたら、カードの一枚には「不安を覚えるほどの青」という色があるかもしれない。『冠雪』(2006)所収。(土肥あき子)


October 17102006

 小鳥来るはじめて話すことばかり

                           明隅礼子

語「小鳥来る」は、秋に渡ってくる鳥のなかでも鶇(つぐみ)、鶸(ひわ)などの鳥に限定されて使われる。身体の小さな鳥たちが賑やかにさんざめく様子もさることながら、「コトリクル」の愛らしい響きには華やぎがあり、続く「はじめて話すことばかり」の調べにも明るいきらめきを感じる。並ぶ句に「胎の子の四方は闇なり虫の夜」とあることから、掲句もおそらくお腹の子へ語りかけているのだと推察する。というのも「話す」の文字を使ってはいても、どこか人の気配を感じさせない静謐さを漂わせているからだ。とかく秋という季節が持つ背景が、ひとりきりの空気を引き出すからだろうか。小鳥たちが頭を寄せ合う景色をゆるやかにまとい、静かにひとりごちている作者の姿がある。そこから見える風景や、自分のこと、家族のこと、そしてどんなにかあなたをみんなが待っていること。清らかな秋の光りに包まれ、それは歌うようにいつまでも続き、お腹の子が耳にするはじめての子守唄となっていることだろう。精神的な父親の自覚と違い、母親の自覚は常に肉体的なものだが、女性も出産と同時に瞬時に母親になるのではない。自分のなかにもうひとつの命のある不思議さを躊躇なく受け入れたときから、こうして胎児と濃密なふたりきりの時間をじゅうぶん過ごしつつ、母性は茂る葉のように育っていくのだろう。「はらはらと麒麟は青葉食べこぼし」「しやぼん玉はじめ遠くへ行くつもり」なども羨望の句。『星槎』(2006)所収。(土肥あき子)


October 24102006

 腰おろす秋思の幅をあけ合ひて

                           亀田憲壱

の寂しさに誘われる物思いが秋思(しゅうし)であるという。この言葉に硬質の孤独を感じるのは、故郷を恋う杜甫の「万里悲秋」などの漢詩を敷く、ひとりの人間が抱く絶対の孤独や無常を思わせるからだろう。同じような心持ちを表す季語に「春愁(しゅんしゅう)」があるが、こちらは「春のそこはかとない哀愁。ものうい気分をいう。春は人の心が華やかに浮き立つが、半面ふっと悲しみに襲われることがある。」と解説される通り、どちらかというと他人の心と相反する自己を愛する気持ちが芯となり引き出されているようだ。春愁は心のどこかで人を求め、秋思は人を遠ざける。毛皮にも甲羅にも覆われていない人間は、心もまたむきだしで傷つきやすくできているように思えるが、全身を堅い甲羅で覆われている蟹にも脱皮する時期がある。脱皮を繰り返すことによって、身体を成長させ、また怪我した部分を再生させるのだが、この無防備で柔らかな身体の時間、蟹たちはお互いが傷付くことを怖れ、岩陰などにじっと潜んでいるという。掲句の発見である「秋思の幅」が、人間の傷つきやすい心をかばうように、無意識に取り合う距離なのだと思うと、そのにぎりこぶしひとつほどの空間が、とても大切で愛おしいものに見えてくる。『果肉』(2006)所収。(土肥あき子)


October 31102006

 しつかりとおままごとにも冬支度

                           辻村麻乃

辞苑によると「ままごと」とは「飯事」と書き、子供が日常の生活全般を真似た遊びとある。ママの真似をするから「ままごと」なのかと思っていたが、遊びとしては江戸時代から貴族の子供は塗り物の道具、庶民の子供は木の葉や紙の道具、と昔から広く楽しまれていたようだ。ままごとで使うものは生活環境によってさまざまである。わたしは公園よりも、実家が持っていた印刷や製本の工場の裏で遊ぶことが多かった。インテル(活字の隙間に詰める薄い板)を使って雑草を刻み、古くなった文選箱(選んだ活字を入れる箱)に盛りつける。つぶれた活字をもらっては、椿の葉に刻印し「こういうものでございます」などと、大人たちに自慢気に配っていたことも思い出す。子供による日常生活の再現は、はたから見ていると驚くべき観察力であることがわかる。母親の口癖や、父親の態度など、はっと我が身を正す機会にもなったりもする。ほらコートを着ないと風邪をひきますよ、さぁおふとんを干しましょう。掲句のかわいらしいお母さんたちは一体どんな冬支度をしていたのだろう。「をかしくてをかしくて風船は無理」「足元に子を絡ませて髪洗ふ」などにも、体当たりで子育てをしている若い母親の姿が浮かぶ。『プールの底』(2006)所収。(土肥あき子)


November 07112006

 拭ひても残る顔あり今朝の冬

                           藤田直子

と自分がここにいる不思議を思う瞬間がある。鏡を覗き込む顔も見知らぬ者のように映り、水にくぐらせた皮膚に冬の空気が通りすぎる感触さえ、どこかよそよそしく感じる。句集は作者が配偶者に先立たれた時間のなかで作られたものであり、掲句からは愛する者を亡くしたのちも実体のある自身を持て余すようなやりきれなさが伝わってくる。しかし、残された者には望むと望まざるに関わらず、連綿と日常が控えている。今日から冬が始まることは、同時に作者の新しい日々が始まることでもある。エジプトの王ツタンカーメンの棺には、妻アンケセナーメンが摘んだ矢車草の花が添えられていたという。暗殺説もある複雑な人間関係のなかで、夫婦の愛情だけは確かに育まれていたのだ。残された若きエジプト王妃もまた、悲しみを拭うように朝を迎えていたことだろう。「秋麗の棺に凭れ眠りけり」「そぞろ寒供花ふやしてもふやしても」「がらんどうの冬畳より立ち上がる」、途方もない虚無感がごつごつと胸を乱暴に駆け抜ける。長い長い時間をかけてようやく悲しみは、かけがえのない思い出となる。『秋麗』(2006)所収。(土肥あき子)


November 14112006

 耳の奥かさと音して冬ぬくし

                           小野淳子

やお臍など、手ずからメンテナンスする身体の部位には、長年付き合ってきた独特の親しさがある。作者もいつからか耳の奥で「かさ」と音をたてるなにかに、わずかな愛着を感じている。とはいえ、掲句が耳鼻科医の目に触れたら「すぐに来院しなさい」と囁かれるかもしれない。立ち上がるたびに覚える軽いめまいのように、身の内から発信されるシグナルに「こんなものだ」と馴れようとする気持ちが、不調を見逃す大きな過ちであることも多いと聞く。しかし「耳の奥」とは、単に医学の範疇ではなく、奥の奥、すなわち顔の把手のような一対の耳にはさまれた大いなる空間を指しているものとも取れる。このたび興をつのらせ、あらためて耳の内部を図鑑で確認してみた。外耳から内耳へと細い道は続き、なんとも不思議なものに出会う。つち骨、きぬた骨、あぶみ骨なる小さな骨が連結して、鼓膜の振動を伝えているという。まるで騎馬隊がにぎやかに小槌を打ち鳴らしながら、中枢部へと馬を走らせているようである。さらに奥には前庭、蝸牛なる名称が続き、広大で風変わりな世界に迷い込んでいる心地となる。人体に宇宙がこっそりと収まるとしたら、それは胃袋でも、心臓でもなく、きっと耳の奥に違いない。冬の日だまりでゆっくりと頭を傾け、私の宇宙を回転させる。『桃の日』(2004)所収。(土肥あき子)


November 21112006

 霜の夜の目が濡れているぬいぐるみ

                           山田貴世

の夜とは、霜が降りる夜。気温が低くてよく晴れた風のない夜は霜が降りやすい、との解釈を読んで、ああ、霜は「降りる」ものなのだ、とあらためて感じいる。夜に発生した露が、秋では水の形態のまま明け方の露となり、冬も深まり朝方の放射冷却によって霜となるのかと理解する。しかし言葉の上では、露の「結ぶ」は地上が生み出すもの、霜の「降りる」は天上から賜るもの、という変化がある。地続きの露と比べ、「霜が降る」にはどこかファンタジーを感じる。また、霜の相に雪の結晶が見られることから「霜の花」という美しい表現もある。夜明けに清潔なガーゼを広げたように輝く一面の霜も、日が昇るにつれ、しっとりと消えてなくなってしまう。その夜明けの一瞬にだけ開く花の姿に、人形たちの夜中の舞踏会が終わる時間が重なる。アンデルセンの「すずの兵隊」やホフマンの「くるみ割り人形」に見られるように、人間が寝静まる時間におもちゃたちの遊び時間が始まり、朝日とともに動かぬ人形に戻る時間。掲句の「目が濡れている」には、黒々とした釦の目の形状を指しながら、あたかも今までまばたきをしていたかのような、ぬいぐるみの秘密の動から静の瞬間を見て取ることができる。「尼寺に静かなる修羅秋の蜘蛛」「忽と婆西日の景にまぎれこむ」などにも、季語から手渡されていく物語がある。また、本句集は新かなで通されている。作者の師である倉橋羊村氏は、まえがきで「作者が新仮名づかいを通してきたのは、同世代以降の読者を意識してのことだ」とあり、これは現代の俳句を詠む者として、常に胸にわだかまっていることだ。『湘南』(2006)所収。(土肥あき子)


November 28112006

 どれとなく彼方のものを鶴と指す

                           谷口智行

国大陸より渡ってくる鶴は「鶴来る」として秋の季題となり、丹頂鶴は北海道の湿原で留鳥として暮らす。しかし、単に「鶴」といえば冬の季題となる。言われてみれば、鶴ほど冷たい空気が似合う鳥もないだろう。その気高い姿を日本人は昔から愛してきた。それは吉兆の象徴となり、祝いごとの図案や装飾などに使われ、現在もっとも多く触れる機会としては、千円札の夏目漱石氏の裏側にある丹頂鶴「鶴の舞」だろうか。しかし、その象徴の偉大さは実物を大きく超えて存在する。掲句においても、鶴の姿がことさら眼前になくとも、指さし「鶴」と呟いた瞬間、その遥か彼方にあるものは鶴以外のなにものでもなくなる。その景色は指さすことで完結し、まるで鶴がいた風景に永遠に閉じ込められてしまったようである。句集名『藁嬶(わらかか)』は、藁屑にまみれて働く農家の主婦のことだそうで、「身じろぎもせざる藁嬶初神楽」から取られている。「ぶらんこに座つてゐるよ滑瓢(ぬらりひょん)」「縫へと言ふ猟犬の腹裂けたるを」「雪降るか歌よむやうに猿啼きて」など、作者の暮らす土地が匂うように立ち現れる。その風土のなかで「鶴とは、よそ者の目には決して見えない生きものなのですよ」と静かに言われれば、そうであったのか、と思わず納得してしまうような気になるのである。『藁嬶』(2004)所収。(土肥あき子)


December 05122006

 寒禽の落としてゆきしものの湯気

                           上野龍子

え込みも日に日に本格的となる今日この頃。寒禽とは、切るような冷たい冬の空を舞う鳥たちのことである。もちろん身体の大きな鷲や鷹なども含まれるが、掲句にはヒヨドリやムクドリなど、民家の庭先に訪れる身近な鳥の姿を思う。「落としてゆきしもの」とは、もちろん尾籠なるフンのことであるが、少しも汚らしさがないのは、そこに生きとし生けるものの体温がそのまま「湯気」としてあらわれているからであろう。また、落としてゆくもののなかに、運搬された新天地で芽吹きの時を待つ種子などが含まれることも考え、その湯気にはさまざまないのちのあたたかみが詰まっているようにも思う。厳しい自然のルールのなかの死は、穏やかな老衰とは無縁で、餓死か、天敵に捕われるかのどちらかだと聞く。また、野鳥は弱っていると見られたら最後、真っ先に狙われることもあり、死の直前まで決して弱々しい姿を見せない。このため、死は驚くほどに唐突に訪れるのだという。以前、目の前で枝から落ちた小鳥を助けようと手に乗せたが、みるみる羽ばたきは弱まり、黒いビーズのような瞳に薄い膜がかかり、あっという間に亡くなってしまった。なにひとつ手出しすることを拒むような死だった。冬を乗り越えることも大きな命の節目であろう。生きろ生きろ、と冬の鳥や獣たちに力いっぱいエールを送る。『中洲』(2006)所収。(土肥あき子)


December 12122006

 雪女くるべをのごら泣ぐなべや

                           坊城俊樹

粋を承知で標準語にすれば「雪女がくるぞ男の子なんだから泣くな」とでもなるのだろうか。雪女は『怪談』『遠野物語』などに登場する雪の妖怪で、座敷わらしやのっぺらぼうに並ぶ、親しみ深い化け物の一人だろう。雪女といえば美しい女として伝えられているが、そのいでたちときたら、雪のなかに薄い着物一枚の素足で佇む、いかにも貧しい姿である。一方、西洋では、もっとも有名なアンデルセンの『雪の女王』は、白くまの毛皮でできた帽子とコートに身を包み、立派な橇を操る百畳の広間がある氷の屋敷に暮らす女王である。この豪奢な暮らしぶりに、東西の大きな差を見る思いがするが、日本の伝承で雪女は徹底した悪者と描くことはなく、どこか哀切を持たせるような救いを残す。氷の息を吹きかけるものや、赤ん坊を抱いてくれと頼むものなどの類型のなかで、その雪のように白い女のなかには、幸いを与えるという一面も持っているものさえもあり、ある意味で山の神に近い性格も備えている。さらに掲句には、美貌の雪女にのこのこと付いて行く愚かな人間の男たちへの嘲笑が込められているような、女の表情も垣間見ることができる。「雪女郎美しといふ見たきかな」(大場白水郎)、「雛の間の隣りは座敷童子の間」(小原啄葉)など、かつて雪に閉じ込められるように暮らしてきた人々が作り出した妖怪たちに、日本人は親しみと畏れのなかで、深い愛情を育んできたように思えるのだ。『あめふらし』(2005)所収。(土肥あき子)


December 19122006

 猪屠るかはるがはるに見にゆきぬ

                           大石悦子

ろそろ年賀状を考えなければならない時期である。毎年のように干支を年賀状で意識させられることもあり、十二支の動物たち、ことに自分の干支にあたる動物にはどことなく愛情を感じる人も多いだろう。来年の干支である猪は、昔から田畑を荒らす害獣でありながら、一方で貧しい村の飢えを満たす益獣でもあり「恩獣」という言葉も見られる生活に密着した動物であった。歳時記のなかでは、晩秋に山から下りてくる生きものとしての猪は秋、身体を芯からあたためる薬喰いの一種としての猪料理は冬の季語として分類されている。大きなもので百キロ近い獣が横たわり、村の男たちの手で解体され、生き物が肉塊となっていく行程はさぞや圧巻だろう。その現場をおそるおそる覗く者は、刃物をふるう一種の興奮状態からやや離れた位置で猪と対峙しているように思う。屍となり横たわる猪の宙を見据える目を、まざまざと感じてしまう距離である。同書に収められた〈闇汁に持ち来しものの鳴きにけり〉となると、その持参された「鳴く」ものに傾く哀れは一層濃くなる。万葉集巻16-3885にある「乞食者(ほかひひと)の詠」は、生け捕られた鹿が、その肉のみならず耳も爪も肝も加工され献上されていく様子を事細かに詠った長歌だが、最後に「右の歌一首は鹿の為に痛(おもひ)を述べてよめり)」の一文が添えられる。もし、掲句に添え書きがあるとすれば、それはやはり「猪のために痛みを述べて詠めり」だろうと思われる。『耶々』(2004)所収。(土肥あき子)


December 26122006

 雪原の黒きが水の湧くところ

                           三上冬華

面の銀世界にぽつんと黒。一読ののち、はっとするのは、黒が闇や死を連想させるためか、おおむね凶事に傾くものが多いなかで、清らかな湧き水と結びつける違和感からであろう。しかし、銀世界のなかでは、黒点こそがこんこんと水が湧く場所なのだ。黒は雪を分けた大地の色だ。黒は凍結された空気のなかで、一点の瑞々しい命であり、大地があたたかく呼吸している場所なのである。何年か前になるが、年末年始を長野県栄村で過ごした。平家の谷と異名をとる秘境である。その谷底の村から見る景色は、まさに白い壷の底から見上げるような白一色の世界であった。色彩の一切許されないような雪原のなかで、一本の川の流れだけが黒々と輝いていた。雪原に記される動物たちの足跡は、水を飲むための川へと集まり、唐突に途絶えているものは、そこから飛び立った鳥たちであろう。鳥たちが落とす影など、普段意識したこともなかったが、雪の上ではあからさまにその姿を映していた。銀世界では、黒こそが命そのものとなり、豊かに刻印されているのであった。『松前帰る』(2006)所収。(土肥あき子)


July 0772015

 べうべうと啼きて銀河の濃くありぬ

                           小林すみれ

うべう(びょうびょう)は江戸期まで使われていた犬の鳴き声。動物や鳥の鳴き声の擬音は国により様々だが、時代によっても異なる。現在使われる「ワン」は従順で快活な飼い犬の声にふさわしく、「びょう」は野犬が喉を細くして遠吠えする姿が浮かぶ。今夜は七夕。天の川に年に一度だけカササギの橋がかかり、織り姫と彦星の逢瀬が叶う。このたびあれこれ調べるなかで「彦星」が「犬飼星」の和名を持つことを知った。今夜聞こえる遠吠えはすべて、いにしえの主人を慕う忠犬たちのエールにも思えてくる。〈開けられぬ抽斗ひとつ天の川〉〈バレンタインデー父をはげます日となりぬ〉『星のなまへ』(2015)所収。(土肥あき子)


July 1472015

 扇風機うしろ寂しき形して

                           伊藤庄平

本に初めて輸入された電気扇風機は1893(明治26)年。スイッチひとつで風が送られる装置は蒸し暑い夏にどれほどありがたかったことだろう。クーラーに圧倒されながらも、現代でも羽根のないタイプなど新機種が登場する。しかし、掲句で描かれる扇風機は新型とはほど遠い昔ながらの扇風機だ。しかも、おしゃべりになった今どきの家電は、お風呂は「沸きました」と知らせ、電話は「着信一件です」と報告するなかで、扇風機は今も昔もひたすら寡黙を通している。風を送り続けるということが「作業」というより「労働」を感じさせるからだろうか。振り続ける首筋にそこはかとない哀愁が漂う。〈入日より取り出すやうに林檎捥ぐ〉〈母子草その名を知りてより折らず〉『初蝶』(2015)所収。(土肥あき子)


July 2172015

 空中で漕ぎし自転車雲の峰

                           中嶋陽子

ダルを漕ぐ姿勢は常に地から足が離れているという事実。普段気にとめない日常の動作が、実は空中で行っているものだと気づいたとき、ものすごい芸当であるような感覚が生まれる。そういえば、かつて自転車から補助輪を外したときの喜びは途方もないものだった。大人と同じであることが大きな自信につながっていた。実際、徒歩しかなかった行動範囲がずっと自由に大きく広がった瞬間だった。むくむくと盛り上がる入道雲に「こっちへおいで」と手招きされ、どこまでも行けるような晴れ晴れした心地をあらためて思い出す。〈山の神海の神ゐて風薫る〉〈短夜の声変へて子に読み聞かす〉『一本道』(2015)所収。(土肥あき子)


July 2872015

 ゴム毬に臍といふもの草いきれ

                           大島英昭

うそう確かに空気を入れる部位をおヘソと呼んでいた。弾みが悪くなればここから自転車の空気入れなどを使って空気を入れるのだが、微妙な具合が分からないとカチンカチンになってしまう。弾みすぎるようになるとかえって勝手が変わって使いづらかった。少女にとってゴム毬はお気に入りの人形と同等の愛情を傾ける。掲句では草いきれが、彼女たちの熱い吐息にも重なり、ゴム毬に注ぐ情熱にも思える。弾みすぎるゴム毬もそのうち空気が抜けてまた手になじむようになる。英語だとball valve(ボール・バルブ)。工具じゃあるまいし、なんとも味気ない。身近な道具のひとつひとつを慈しみ深く見つめているような日本語をあらためて愛おしく思う。『花はこべ』(2015)所収。(土肥あき子)


August 0482015

 そしてみんな大人になりぬ灸花

                           村上喜代子

五の「そしてみんな」の「みんな」と括られたなかには、作者自身に加え、親しい誰彼、そしてわが子も含まれるだろう。やりとげた充実感に満たされつつ、手が離れてゆくさみしさが押し寄せる。胸に空いたがらんとした空間がじわじわと広がる思いに途方に暮れる。どこかでアガサ・クリスティーの名作「そして誰もいなくなった」の、登場人物がひとりずつ減っていく恐怖も引き連れているように思われるのは、大人になることで失ってしまうものの大きさを大人である作者、そして読者もじゅうぶん知っているからだろう。喜ぶべき成長の早さを嘆いてはならぬと思いながらも抱いてしまう複雑な心情を映し、花弁の芯に燃えるような紅紫色を宿す灸花が赤々と灯る。現代俳句文庫77『村上喜代子句集』(2015)所収。(土肥あき子)


August 1182015

 鶏頭の俄かに声を漏らしけり

                           曾根 毅

には植物というより、生きものに近いような存在感を持つものがある。鶏頭もそのひとつ。花の肌合いが生きものそのものといった感じもあり、個人的には少々苦手。生命力も旺盛な花で、真夏の暑さでもぐんぐん成長し、直射日光の下で深紅や黄色の鮮やかな花を付ける。その鶏頭が声を漏らすという。「俄かに」とは、急に、だしぬけに、という意味。同句集が東日本大震災の作品が多く収められているということを踏まえると、掲句は強靭な鶏頭が見た惨状への声と思わせる。鶏頭が生きものめいているだけに声を持つことに一瞬なんの躊躇もなかったが、それはいかにも不気味で禍々しい。作者は四十歳未満であることが応募資格の第4回芝不器男俳句新人賞受賞。震災ののちの現状を平素の景色のなかで詠む。副賞が句集上梓というのも若い俳人へのエールにふさわしい。〈滝おちてこの世のものとなりにけり〉〈桐一葉ここにもマイクロシーベルト〉『花修』(2015)所収。(土肥あき子)


August 1882015

 この山の奥に星月夜はあるわ

                           矢野玲奈

月夜とは星が月夜のごとく照り輝く夜。しかし、掲句には存在しない星空である。それは山の向こうにあるという。見に行こうとする者を誘うような、拒むような妖しい口調に底知れない魅力がある。山の奥の夜空には満天に貼り付くような星が競い輝いているのだろう。この世のものとは思えないほどの美しさは、決して見てはいけないものだと匂わせる。まるで「開けてはいけない」と言われた扉を必ず開いてしまう昔話のように。句集には会社員として働く姿を骨法正しく詠む〈百歩ほど移る辞令や花の雨〉がある一方で、掲句や〈また同じ夢を見たのよ青葉木菟〉のような幻想的な口語調も見られる。時折ふっと夢見心地に招かれるような加減が絶妙で心地よい。『森を離れて』(2015)初収。(土肥あき子)


August 2582015

 法師蝉鳴くわ赤子の泣き出すわ

                           きくちきみえ

の「〜わ」の「わ」は詠嘆を表す終助詞。例には「泣くわ喚くわ」やら「殴るわ蹴るわ」など物騒な文字が並ぶ。たしかにあまり愉快なことには使われないようだ。掲句もまた法師蝉と赤子、さらにおそらく残暑厳しい中となると、そのやりきれなさは計り知れない。大わらわ、てんやわんや、法師蝉のBGMまで背負ってわが子が怪獣となって襲いかかってくる感じ。もうへとへと、なにもかも放り出してしまいたい。それでも人生の盛りの時代はなんとか乗り切ることができるもの。法師蝉は秋の始まりに鳴く蝉。空にはもう夏の雲の間に刷毛で掃いたような秋の雲も流れているはず。もうすぐ過ごしやすい秋が待っている。がんばれ、お母さん。『港の鴉』所収(2015)。(土肥あき子)


September 0192015

 厄日来て糊効きすぎし釦穴

                           能村研三

日は立春から数えて210日目。この時期は台風の襲来などで農作物に被害を受けることが多いため、厄日として注意をうながした。先人の経験によって、後世に自然災害のおそろしさを呼びかけ、またある程度のあきらめも許容しなければならないものという思いが見られる。掲句はきちんと糊の効いたシャツに腕を通す心地良さから一転し、糊でつぶれてしまった釦穴に釦を押し込もうとして募るイライラにふと、「いいことばかりは続かない」などという言葉も浮かぶ。「厄」の文字は、は厂(がけ)の下に人が屈んだかたちを表す。見れば見るほど、おおごとが起こりそうな、胸騒ぎを感じさせる文字である。〈馬通す緩ききざはし秋気満つ〉〈胡桃には鬼と姫の名手に包む〉『催花の雷』(2015)初収。(土肥あき子)


September 0892015

 波音の平たくなりぬ秋の海

                           和田順子

く澄む空と呼応するように色が深まった秋の海。猛々しい太陽光にさらされ、にぎやかな人間に付き合った季節が過ぎ、海は海としての日常を取り戻す。沖で生まれた波が、渚に触れるときにたてる音は、そのひとつひとつが安らかな海の呼吸のように聞こえてくる。海から続く地に立つ爪先にも、その息吹は静かに、しかし力強く響く。波音が平たいとは、おだやかな音としての感覚だけではなく、こちらへと伸びてくるような形状もまた思わせる。秋の浜に立つ者は、胸の奥に届いた海の分身をこぼれないように持ち帰る。『流砂』(2015)所収。(土肥あき子)


September 1592015

 ブロンズの少女が弾く木の実かな

                           山本 菫

ず、誰もが木蔭に置かれたブロンズ像を想像する。容赦ない夏の日差しから葉を茂らせ、ブロンズ像の少女を守ってきた大きな木。季節はめぐり、思いを告げるように梢はポツリポツリと木の実をこぼす。固いブロンズにぶつかっては転がっていく木の実が、冷たく思いをはねつけているようにも見えるだろうか。それとも、あどけない少女がどれほど手を差し出して受け止めたいと、ブロンズの身を嘆いていると見るだろうか。たったひとコマの描写のなかに、静があり、動がある。物語が凝縮された作品を前に思いを巡らせ、結末をひもとく幸福な時間もまた、俳句の楽しみのひとつである。〈向日葵を切つて真昼を手中にす〉〈遠雷や柩にこの世覗く窓〉『花果』(2015)所収。(土肥あき子)


September 2292015

 秋の蝿日向日向へ身をずらす

                           大崎紀夫

になって命終が近づきつつある蝿に思う哀れが季題となっているのは秋の蝿のほかにも秋の蚊や秋の蝶があるが、秋の蝿にはひとしおの物悲しさが感じられる。以前、蝿は食べ物に止まり、病原菌を媒介する厄介な虫の代表であったが、住環境の向上により近年では激減した。家庭には必ずといってあった蝿叩きや、蝿帳もいつのまにか姿を消している。普段見かけないうえに、日差しも頼りない秋になってから見つける蝿には、憎い存在というより、発見の喜びすらあるような気がする。掲句でも日向から日向へと弱々しく移動する蝿に感じているのは、おそらく自分の日向まで明け渡すこともやぶさかではない同情の視線である。ぬくもりを探しながら生きていくことの愛おしさが、「ずらす」といういじらしい移動表現となったのだろう。『虻の昼』(2015)所収。(土肥あき子)


September 2992015

 この椅子にさっき迄居た穴惑い

                           西村亜紀子

き嫌いの差こそあれ、蛇ほど強い印象を与える生きものはいないだろう。穴惑いとは、春の彼岸に出、秋の彼岸に入るといわれる蛇が彼岸を過ぎてもまだうろうろと地上に姿を見せている様子。掲句は「さっき迄」というが、その姿はありありと作者の目に焼き付いている。と、まだこの辺にいるのではないかという恐怖が作者を動揺させているが、いないものは、いるものより怖い。椅子の上に刻印された蛇の輪郭はいつまでも煌煌と光りを発している。同著は船団所属同世代女性三人の合同句集。北村恭久子〈ちゃんちゃんこいつもどこかがほころびて〉、室展子〈システムのかすかな軋み星流る〉など三者三様の個性が光る。あ、今ようやく書名の理由に気がついた。『三光鳥』(2015)所収。(土肥あき子)


October 06102015

 太綱の垂るる産小屋そぞろ寒

                           鈴木豊子

小屋とは出産をするための施設。掲句は前書きに「色の浜」とあるため、福井県敦賀市色浜の海岸近くにあった産小屋を訪ねての作品である。産小屋は、出産を不浄とみなす観念から発生した風習であった。現在でも小屋には土間と畳の間が復元され、備品も若干残されていることから当時の姿を垣間見ることができる。いよいよ産気づいた妊婦は梁からおろされた太綱にすがり、出産を迎える。出産前後一ヶ月ほどを過ごす簡素な小屋はいかにも寒々しく、心細い。しかし、「古事記」の豊玉姫の昔から、女は海辺の小屋で子を生んできたのだ。万象の母である海に寄り沿うように、生むことのできる安らぎに思いを馳せる。耳を傾ければ波の音が母と子を強くはげますように寄せては返す。〈里芋を掘り散らかしてぬかるみて〉〈一括りして筍に走り書き〉『関守石』(2015)所収。(土肥あき子)


October 13102015

 虫の音に満ちたる湯舟誕生日

                           山田径子

の声が力強く響く夜。同じ季節の風物詩でありながら蝉や蛙のように「うるさい!」と一喝されないのは、心地よい秋の空気も味方をしてくれているのだろう。西欧人が虫や鳥の声を音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳が働くという。鳥の聞きなしや虫の音を「虫の声」と表現する日本語を思うと、大きく頷ける。掲句は湯船につかる幸せなひとときに、虫の音がたっぷりと届く。「満ちる」の斡旋によって、さみしげな印象を振り払い、誕生日の今日を寿ぎ、一斉に合奏してくれているようなにぎやかさに包まれた。湯船にひとり、幸せな虫の音の海にたゆたう。と、私事ながら本日誕生日(^^)〈いくたびも大志を乗せし船おぼろ〉〈林立も孤立も蒲の穂の太し〉『楓樹』(2015)所収。(土肥あき子)


October 20102015

 差し入れに行く新米の握り飯

                           中嶋陽子

いしい新米があふれる幸せな季節。精米の場合、「新米」と表示してよいのは、生産年の12月31日までに精米され、容器に入れられたか、包装された米(米穀安定供給確保支援機構HPより)。新米は白さが際立ち、やわらかく粘りがあり、香りも豊か。そして、炊きたてはもちろん、冷めてもおいしいのでおにぎりにするにもうってつけ。差し入れのおにぎりにはたくさんの愛情やエールが込められている。真っ白のおにぎりが手に手に行き渡る光景を想像するだけで力がみなぎる心地となる。ところが、最近のベネッセの調査によると小学生の4人に1人が「他人が握ったおにぎりに抵抗がある」という。行き過ぎた衛生観念や、他人との距離感など、たくさんの理由はあるだろうが、なんとさみしいことだろう。その家によって力加減が違うことや、いろんな中身があることを知る機会がないなんて…、と昭和のおばさんはささやかに憂うのであります。〈鈴虫の羽ととのへてから鳴きぬ〉〈バスに乗るチェロバイオリンクリスマス〉『一本道』(2015)所収。(土肥あき子)


October 27102015

 どうせなら月まで届くやうに泣け

                           江渡華子

うしようもなく泣く赤子に焦燥する母の姿というと竹下しづの女の〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎〉があるが、いくら反語的表現とはいえ世知辛い現代では問題とされてしまう可能性あり。ひきかえ、掲句のやけっぱちなつぶやきは、おおらかでユーモアのある母の姿として好ましいものだ。赤ん坊の夜泣きとの格闘は、白旗をあげようと、こちらが泣いて懇願しようと許されない過酷な時間だ。愛しいわが子がそのときばかりは怪獣のように見えてくるのだと皆、口を揃えるのだから、今も昔も変わらぬ苦労なのである。続けて〈「来ないで」も「来て」も泣き声夏の月〉や〈笑はせて泣かせて眠らせて良夜〉にも母の疲労困憊の姿は描かれる。とはいえ、子のある母は若いのだ。健やかな右上がりの成長曲線は子のものだけではなく、母にも描かれる。100日経ったらきっと今よりずっと楽。がんばれ、お母さん。『笑ふ』(2015)所収。(土肥あき子)


November 03112015

 ロボットの脚は空洞木の実落つ

                           椎野順子

付から介護支援など、近い将来の期待を一身に背負うロボット。なぜ人型である必要があるのかと疑問だったが、生活空間が人間のために設計されているため、ノブを回す、スイッチを入れるなど、人間のかたちを取るのがもっとも効率的なのだと聞いて納得した。人間に近づく滑らかな動きは、束ねられたケーブルの働きによるものだが、それを包む表面との間は空洞である。掲句はロボットが血や肉を持たない物体であることをさらりと述べている。降り注ぐ木の実が、なぜか実りの充実ではなく、満れば欠くる道理を思わせ、胸騒ぎを覚える。集中には〈信条はいつでも麦酒どこでもビール〉大いに同感(^^)『間夜』(2015)所収。(土肥あき子)


November 10112015

 木の化石木の葉の化石冬あたたか

                           茨木和生

竜や昆虫以外にも化石はある。木にも木の葉にも、時代を超えて化石となって残っているものがある。思わぬタイミングで残ってしまったものの悲しみを冬の始めのあたたかな日差しが包む。それはまるで、生まれたての赤ちゃんを包むおくるみのように、やわらかで清潔な太陽のぬくもり。長い時間をさかのぼり、化石が木であり、青葉だった時代にも、同じように太陽は頭上に輝いていた。その頃の木はなにを見てきたのだろうか。山は盛大に噴火を繰り返し、見慣れない鳥が枝に羽を休めていたのだろうか。それぞれの時間がそれぞれのなかでゆっくりと流れていく。『真鳥』(2015)所収。(土肥あき子)


November 17112015

 たのしくてならぬ雀ら初しぐれ

                           坂本謙二

る日、外出先で猫じゃらしを踏み台にして飛び比べをする4〜5羽の雀を目撃した。遊びに夢中でしばらく私が見ていることにも気づかぬ様子で、ピチピチと鳴き声をあげながら、順番に猫じゃらしに飛び移る。ああ、その頃スマホがあればこっそり動画を撮っていたのに、と悔やんでいた。しかし掲句を見て、そんな機会はたびたび訪れるのかもしれないと思い直した。欣喜雀躍という言葉もあるではないか。私事ながら先日引越しをして、多摩川の堤を散策するのが日課となった。遊び好きの雀たちに会える日も近いような気がする。『良弁杉』(2015)所収。(土肥あき子)


November 24112015

 いつも冬にあり木星の子だくさん

                           矢島渚男

宙情報センターによると、木星は太陽系のなかで最も大きな惑星であり、直径は地球の約11倍という。昔は汚れた雪だるまなどと呼ばれていた筋模様も、今ではハッブル宇宙望遠鏡のよりクリアな画像によって、美しい大理石のような縞模様であることが確認された。掲句の「子だくさん」たる所以は、衛星を67個も持つことによるもの。地球の衛星が月のひとつきりであることを思うと、11倍の大きさとはいえ、木星が肝っ玉母さんのように見えてくる。12月にかけて、空には明るい星がまたたく。明けの明星の金星に続き、木星、そして少し暗めの赤を放っているのが火星。宇宙の神秘を早朝味わうのもまた一興。『冬青(そよご)集』(2015)所収。(土肥あき子)


December 01122015

 藁玩具買ひふくろふに鳴かれけり

                           橋本榮治

を収穫したあとの藁は、生活のあらゆる場面で活用されていた。わらじや草履、縄、むしろ、わら半紙などもなつかしい。実用的なもの以外にも郷土玩具としてさまざまな細工物となって多くの人の手に取られてきた。歌川広重の「雑司ヶ谷之図」には鬼子母神門前の料理屋や参拝客が描かれており、手には「すすきみみずく」が提げられる。この玩具の由来は病気の母の薬を買うことができなかった貧しい少女の夢枕に一匹の蝶が現れ、「芒の穂でみみずくを作り、お堂の前で売るとよい」と託されたという。どれほど貧窮していようと藁だけは手に入れることができたのだ。掲句の玩具が「すすきみみずく」であるとは限らないが、下五の「鳴かれけり」によって、手にした玩具にふくろうが同調するようにも思えてくる。『放神』(2008)所収。(土肥あき子)


December 08122015

 人間が毛皮の中で生きている

                           清水 昶

和16年12月8日。日本軍が、当時の英領マレーとアメリカ・ハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった。開戦と緒戦の勝利を祝し、町や村では祝賀の行事がにぎやかに執り行われた。「進め一億火の玉だ」や「生めよ殖せよ」など戦時標語には、ヒートアップした情熱は感じられるものの、人間の顔が見えてこない。戦局の悪化にともない標語も「一億玉砕」「神州不滅」と変化し、ますますひとりひとりの命から離れていく。掲句は毛皮のコートを着ている人間を見つめたものだ。反対を唱えるでもなく淡々と描いてはいるが、毛皮という屍に包まれて満足していることもまた、命に対して無神経・無関心につながっているように思わせる。『俳句航海日誌』(2013)所収。(土肥あき子)


December 15122015

 うつぷんをはらして裸木となれり

                           岬 雪夫

憤(うっぷん)とは、表面には出さず心の中に積もり重なった怒りや恨み。作者は裸木を見上げ、覆われていた木の葉をふるい落としてせいせいとした風情であると見る。固定観念として裸木に込められた孤高や孤独のイメージは崩れさり、一転木の葉や花が樹木にとってあれこれ気を使わねばならなかった要因のように思われる。裸木の裸とは、寒さに震えるものではなく、また生まれ直す原点に戻ることなのだ。裸一貫で風のなかに立つ木のなんと雄々しく清々しいことだろう。『謹白』(2013)所収。(土肥あき子)


December 22122015

 冬至といふ底抜けに明るい日

                           能村登四郎

至とは一年のなかで太陽が最も南に寄るため、北半球では昼が一番短い日となる。偉大な太陽の力が脆弱となるため、さまざまな国で厄よけや滋養に力を尽くす風習が残る。日本でも江戸の銭湯が考案したという柚子湯や、長期保存が可能な南瓜や小豆を食べて風邪をひかないように工夫した。しかし、昼が短いとはいえ、この時期は冬型の気圧配置となり、太平洋側ではよく晴れる日が多い。澄んだ冬の空気が万象の輪郭を際立たせる様子を華美な表現を用いず、「底抜け」と直截に言い切ったことで、いっそう明朗な景色が描かれた。『幻山水』(1972)所収。(土肥あき子)


December 29122015

 一日の終ひの寝息蜜柑剥く

                           富樫 均

息はもちろん作者のものではなく、家族の誰かのもの。おそらく、子どもの健やかな寝息を確認したあとの、夫婦におとずれた心休まる時間だろう。蜜柑の清冽な香りと、元気や活気を感じさせる色彩が、家族とともに今、幸せなひとこまを過ごしていることを実感する。今年もあと数日。一日のおしまいが、一年のおしまいとなる日も近い。おだやかな一年を過ごせたことに感謝しつつ、またひとつ蜜柑に爪を立て、幸せな時間を堪能する。『風に鹿』(2006)所収。(土肥あき子)


January 0512016

 子の声が転がつて来る雪の上

                           山崎祐子

中学校の冬休みは地域によってまちまち。それでも今日はまだどこも冬休みである。三ヶ日やお年始というおとなしくしていなければならない大人の行事への付き合いも終わり、普段通りに思いっきり遊べる日がやってきた。子どもというのは遊べる日というだけで心は躍る。おまけに雪が積もっているとなれば、大喜びで飛び出していくことだろう。掲句の遊びはソリなのか、雪合戦なのか。どちらにしても、いつもよりスピードを感じさせ、通り過ぎてゆく声である。子どもの声の高さや笑い声を「転がつて来る」としたところで、雪玉がだんだんふくらんでいくような楽しさにつながった。〈形見とは黴に好かれてしまふもの〉〈風鈴を百年同じ釘に吊る〉『葉脈図』(2015)所収。(土肥あき子)


January 1212016

 もつと軽くもつと軽くと枯蓮

                           藺草慶子

あふれる蓮の葉、高貴で香しい蓮の花の時期を通り過ぎ、蓮の骨ともいわれる枯蓮は、耐えがたい哀れを詠むのが倣いである。ところが掲句は一転して、蓮は枯れることで軽くなろうとしているのだと見る。日にさらされ尽くした蓮は、風に触れ合う音さえも軽やかである。それはまるで植物としての使命を終えたのちに訪れる幸福な時間にも思われる。黄金色に輝く杖となった蓮の「もっともっと」のつぶやきは、日のぬくみとともに作者の胸の奥にも静かに広がっていることだろう。『櫻翳』(2015)所収。(土肥あき子)


January 1912016

 鮟鱇のややこしき骨挵りけり

                           山尾玉藻

篇に弄ぶと書く挵(せせ)るは、その字が表す通り、箸で食べ物をつつきまわすこと。決して行儀がよいことではないが、対象が鮟鱇であることにより、納得の一句となった。河豚にまさる美味と呼ばれる鮟鱇だが、グロテスクな見た目同様、その身もきれいな切り身となるわけではなく、どの部位もかなり複雑な形態をしている。骨にも皮にもゼラチン質の身をまとい、料亭によっては「骨についた身はすべてしゃぶって食べつくしてください」とまで言われるほど。ともあれ、ややこしくもおいしい鮟鱇にせっせと取り組んでいる姿は飾り気なく、鍋を囲むほっこりとあたたかい人間関係までが見えてくるのである。『人の香』(2015)所収。(土肥あき子)


January 2612016

 狐火や顔を隠さぬ殺人鬼

                           大澤鷹雪

夜に青白い焔がゆらめく現象を狐が口から吐く火といわれた狐火。実際には灯火の異常屈折や発光虫の仕業といわれるが、明かりの少ない時代にはさぞおそろしげに感じられたことだろう。まだ始まったばかりの今年だが、相変わらずおそろしい事件が続く。掲句の「顔を隠さぬ」にあるものは底知れぬ不気味さである。残忍な事件は昔からあったが、犯人たちは一様に顔を隠して捕らえらるのを常としていた。顔を隠すという行為は「世間に顔向けできない」という心理から出るものだ。それを見ることによって、罪を罪として意識している者に対して、同じ人間として憤りや侮蔑を感じるのである。顔を隠すことさえしない殺人鬼には、悪事という概念もないように思われ、そこには人としての心のかけらも見つけられない。不可解な季語と組み合わせることで、薄気味悪さを最大限に引き出すことに成功した。作者はテレビのコメンテーターとしても活躍する弁護士大澤孝征氏。集中には〈風呂敷に決め手の証拠春の風〉〈尋問の罠を工夫の夜なべかな〉など、職業に特化した作品も。『夏木立』(2015)所収。(土肥あき子)


February 0222016

 人のみにあらず春待つ水辺かな

                           稲畑廣太郎

な夕なにきらきら光る水面が目に入る川辺の地に転居して三カ月が経った。先月ごく近所の堤にみみずくが飛来したという。ここ例年のことだというが、野性に暮らすみみずくなど滅多に見る機会もなく、ものめずらしさに何度となく見に行っている。いつ行っても、木の回りには数人のカメラマンが立派なカメラを構えているが、昼間の彼らは当然ながら寝てばかり。見慣れぬ人間に寝姿を撮られて落ち着かないことだろうが、半年ほどの滞在を無事に過ごせるよう祈っている。以前はずいぶん汚れていた水も、今ではみみずくはもとより、鮎も住める程になったという。ところで、北海道の地名に多い「ナイ」や「ベツ」は川を意味しているという。昔から人が川とともに居住してきた証しのような言葉である。まだ身を切るような冷たい風も、水を慕うように川面に触れていく。人間も鳥も、風さえも、水辺に寄り添うように春を待つ。〈下萌に犬は足より鼻が先〉〈路地といふバージンロード猫の妻〉「玉箒」(2016)所収。(土肥あき子)


February 0922016

 形なきものにぶつかりしやぼん玉

                           市川 葉

に浮いたしゃぼん玉がぱちんと割れる。それは単に埃がぶつかったのか、重力によって上部が薄くなって割れたのか、なにか理由があるはずだが、人はそこに不思議ななにかを求めてしまう。それはガラスなどのワレモノとは異なり、しゃぼん玉が一滴の液体から生まれた実体のおぼつかないものであることが大きい。今年は凍っていくしゃぼん玉の映像が評判となった。美しくはあったが、それに違和感を覚えたのはしゃぼん玉に形を与えてしまうことへの不自然さなのだと気づいた。しゃぼん玉は、無にもっとも近い存在でなければいけないのだと思う。空に放たれ、震えるようにはじけていく。それらはまるで壊れやすさまでもが美の一端となっている。〈雪兎勝手に溶けてしまひたる〉〈生ビールいつも地球のどこか夜〉『市川葉俳句集成』(2016)所収。(土肥あき子)


February 1622016

 てのひらの仔猫けむりのやうにゐる

                           富川明子

が家の三代目となる猫姉妹も今年の春で三才。最初はそれぞれがてのひらに乗るほどの小ささで、クッキングスケールで体重を計っていたが、今ではどちらも約3キロ。二匹同時に膝に乗れば身動きができないほどの成長ぶりである。頼りなく心もとないけむりのような仔猫時代には毎日体重を計ってその成長をグラフにするほど喜ぶ一方で、この可愛い玩具のような日々が長く続けばいいとも思う。身勝手なようだが、どちらも本音であった。とはいえ、がっちり筋肉質で大きく育った猫もそれはそれでとてつもなくかわいいのである。〈ためらはぬとは竹皮を脱ぐかたち〉〈帰省してすぐに鴨居の低さ言ふ〉『菊鋏』(2015)所収。(土肥あき子)


February 2322016

 孫引きの果てなき獺の祭かな

                           中澤城子

十二候の暦では2月19日の「雨水(うすい)」から3月5日の「啓蟄」までの間を3つに区切って、「獺祭魚」「鴻雁来」「草木萌動」としている。初候である「獺祭」は今日あたりまでをさす。歳時記で獺祭の項をひいたり、検索してみても、どれも同じようなことが書かれている。「獺(かわうそ)が自分のとった魚を並べること。人が物を供えて先祖を祭るのに似ているところからいう。」というのがそれ。とはいえ、1979年以来目撃例がなくおそらく絶滅したとされるニホンカワウソが身近にいない現在では、事実関係は確かめようがない。それでも「獺祭」という言葉は、有名な日本酒の名にもなっており、引用が孫引きであろうと、こちらは絶滅の危険はなさそうである。言葉だけが子々孫々と残る不思議さもまた、いたずら好きの獺に似つかわしいように思えてくる。〈芽柳のやさしく風を抱きにけり〉〈誰もゐぬことも幸せ小鳥来る〉『狐の手袋』(2015)所収。(土肥あき子)


March 0132016

 今日はもう日差かへらず蕗の薹

                           藤井あかり

の薹は「フキノトウ」という植物ではなく、「蕗」のつぼみの部分。花が咲いたあと、地下茎から見慣れた蕗の葉が伸びる。土筆と杉菜のように地下茎でつながっている一族である。しかし、土筆が「つくしんぼ」の愛称を得ているような呼び名を持たないのは、そのあまりにも健気な形態にあるのだと思う。わずかな日差しを頼りに地表に身を寄せるように芽吹く蕗の薹。頭の上を通り過ぎた太陽の光りが、明日まで戻ることはないのは当然のことながら、なんとも切なく思えるのは、太陽に置いてきぼりにされたかのような健気な様子に心を打たれるからだろう。雪解けを待ちかねた春の使いは、今日も途方に暮れたように大地に色彩を灯している。本書の序句には石田郷子主宰の〈水仙や口ごたへして頼もしく〉が置かれる。師と弟子の風通しのよい関係がなんとも清々しい。『封緘』(2015)所収。(土肥あき子)


March 0832016

 大笑ひし合ふ西山東山

                           柏原眠雨

都を始めとして、日本にはさまざまな西山と東山がある。それは人間が右手の山と左手の山を折々眺めながら生活をしてきた証しでもある。「山笑う」は漢詩の「春山澹冶而如笑」に由来し、春の山は明るく生気がみなぎり、いかにも心地よさげに、あたかも笑うように思われることをいう。しかし掲句は、「笑い合う」としたところで、「いかにも」「あたかも」が取り外され、山そのものが命を持った存在へと変貌した。向かい合う山がお互いに大笑いする様子は、大きな腹をゆらして笑う布袋さまと大黒さまのようにも思え、まるで七福神の船に乗り合う心地も味わえる。作者は宮城県仙台市在住。本書のタイトルは五年前の東日本大震災を詠んだ〈避難所に回る爪切り夕雲雀〉から。『夕雲雀』(2015)所収。(土肥あき子)


March 1532016

 網膜に飼ふ鈍色の蝶一頭

                           杉山久子

に焼きつけるとは、見たものを強く記憶にとどめて忘れないようにすることの慣用句だが、実際に日の下でひとつのものをじっと見ると、目を閉じても浮かびあがる。光りの刺激を受けた視覚は、その光りが消えたのちも網膜が持っている残像効果によって視界に残る。掲句が抒情を超えた現実感を伴うのは、誰しもこのような状態を感覚としてよみがえらせることが可能だからだろう。そして、それでもなお詩情を失わないのは、あの軽やかではかない蝶が、大型動物と同じ一頭二頭と数える事実にもある。それによって蝶は突如として巨大で堅牢な存在となり、作者の眼裏にしばらく消えない刻印を残していったのだ。〈ゆふぐれはやし土筆ほきほき折り溜めて〉〈ぶらんこの立ち漕ぎ明日の見ゆるまで〉『泉』(2015)所収。(土肥あき子)


March 2232016

 囀りや屋根に展げし道具箱

                           菅野トモ子

根の修繕でもしていれば当然のこととも思えるが、屋根の上にものがあること自体が不思議に思える。屋根とは家のもっとも高い場所。いわば神聖なる空に触れるところである。その神聖なる場所に、日常中の日常である道具箱なるものがある。鳥たちの安住の地に広げられた道具箱に「なにかしら、なにかしら」とにぎやかに騒ぎ立てている様子がいかにものどかに描かれる。『花吹雪』(2015)所収。(土肥あき子)


March 2932016

 うつとりと雲を見つむる孕み鹿

                           大山雅由

み鹿は妊娠してお腹が大きな鹿。それでも臨月の人間のような派手な大きさにはならず、いざとなったら全速力が使える。鳥居の内では、神の使いとされ、大事にされてきた鹿は、どこかおっとりと人間をおそれるでもなく、鷹揚に過ごしている。自然界では動きがにぶくもっとも襲われやすい産み月となっても、のんびり空を眺める余裕があるのだ。黒目がちにうるんだ目で眺める先の春の空には、やわらかな雲が流れている。うっとりと見つめるまなざしとは裏腹に、草原を駆け回った遠い祖先の血がわずかに騒いでいるのかもしれない。『獏枕』(2015)所収。(土肥あき子)


April 0542016

 一本は転校生の桜かな

                           柏柳明子

島桜と江戸彼岸の交配によって生まれた染井吉野。接ぎ木で増やされ、現在では日本の桜の8割といわれるほど全国に浸透した。校庭にも必ず咲く桜もほとんどは染井吉野であるが、そこに一本だけ異なる種に目がとまる。接ぎ木という同じ性質を持つ染井吉野は同じ色合いで一斉に咲き、一斉に散る。そんな染井吉野に圧倒されるように、一本だけほんの少し濃く、あるいは薄く、時期が違えて咲く桜の心細さを転校生に見立てたのだ。成長が早く十年ほどで美しい樹形となり、葉が出る前に大輪の花が咲き揃いたいへん華やか、そして手入れが簡単で育てやすいこともあり、戦後競って各所で植樹された。しかし、同種での密集は年齢を重ねるほどに樹勢を衰えさせる。排他とは仲間以外を退けることを意味するが、集団は異物によってまたリフレッシュされるもの事実である。春は親の仕事の関係で転校生も増える季節。不安と緊張を乗り越え、がんばれ、転校生。〈花吹雪時計止まつてをりにけり〉〈サイフォンの水まるく沸く花の昼〉『揮発』(2015)所収。(土肥あき子)


April 1242016

 花の昼刺されしままの畳針

                           山本三樹夫

の花どきが日本列島をゆっくりと北上する。畳屋の店先に出された青畳に、太い畳針が刺されたままになっている景色。鋭い先端を深々と収めるおそろしげな光りは、のどかな桜の午後に似つかわしくないもののようにも思われる。しかし、満開の桜が持つ張り詰めた緊張感と、無造作に刺されたままになっている畳針には奇妙な一致も感じられる。おそらく、一方は美しすぎることから、もう一方は危ないものとして、どちらも「そこにあってはいけないもの」であるとみなす人間が抱く危機感のような気がする。そう思うと咲き満ちる桜を見上げるときに感じる、美しいものを見る感動の片隅にわき起こる心騒ぐ思いにふと合点がいくのである。〈石置けば小鳥の墓よ曼珠沙華〉〈ふるさとへ帰りたき日を鳥渡る〉『手を繋ぐ』(2015)所収。(土肥あき子)


April 1942016

 春眠や殺されさうになつて覚め

                           田宮尚樹

眠といえば「春眠暁を覚えず」。あるいは「春宵一刻値千金」。どちらも春の心地よさに浸るあまり、起床が困難になる現象をいう。しかし、明け方の夢はしばしば恐ろしいものを見せることがある。ある心療内科のホームページに興味深いことが書かれていた。「一晩の睡眠は前後2つに分けられます。前半は深い睡眠で脳の疲れを取り、後半は夢を見る睡眠(レム睡眠)で体の疲れを取ります。レム睡眠の間は、自律神経系の活動がとても不安定です。そのため血圧や心拍数や呼吸が急激に変化します。つまり、怖い夢を見て飛び起きた時に胸の動悸がおさまらないのは特別のことではなく、よくある生理的な現象と言ってもいいでしょう」。とはいえ、明け方の夢は正夢とか、縁起が悪いなどという迷信もあり、どうにもすっきりしないが、しかしものは考えよう。恐ろしい夢から解放され、花盛りの春に包まれている幸福に存分にひたるのも、春眠のまた一興であるように思われる。〈木のこころ溢れてしだれ桜かな〉〈刻といふもの落ちつづく冬の滝〉『龍の玉』(2015)所収。(土肥あき子)


April 2642016

 お日さまが見たくて蝌蚪の浮き沈む

                           関口恭代

蚪(かと)とはおたまじゃくしのこと。水底で孵ったおたまじゃくしは、つぎつぎと水面へと上昇する。それはきっとお日さまが見たいからだという掲句。おたまじゃくしの姿かたちも相まって、なんとも愛らしい景色となった。おたまじゃくしの呼吸はエラだけだと思われていたが、先年、皮膚と肺も使っていることが研究によって実証された。どのような環境でも生き延びることができるような進化の不思議が蛙の世界にも導入されていたのである。一匹の蛙が生む卵は約千個だが、そのうち蛙まで成長できるのはわずか2割。さらにその後、産卵できるまで育つのは数匹という。どのような工夫をこらしても、おたまじゃくしが生きながらえることは非常に厳しい。『冬帽子』(2016)所収。(土肥あき子)


May 0352016

 萌えに萌ゆ八十八夜の大地かな

                           竹内正與

岡生まれゆえ、朝な夕なに茶畑を見て育った。山腹を幾本も横切る茶畑が摘み頃になると、まるで大きな若草色の芋虫がごろりと横たわっているように見える。掲句の「萌えに萌ゆ」は土地への讃歌であり、大気がいま、あらゆる若葉の生気に満ちていることを予感させる。今年の八十八夜は5月1日だったが、ふるさとではきっと八十八夜の茶摘みが行われていたことだろう。つやつやと輝く美しい茶の新芽がやわらかに摘み取られていくと、山はすっぽりと茶の芳香に包まれる。新茶を入れるときに漂う香りは茶山の大地が立てる香りでもある。『鰯雲』(2016)所収。(土肥あき子)


May 1052016

 龍天に登る背中のファスナーを

                           嵯峨根鈴子

は春分の頃に雲を引き連れ天へと登り、秋分の頃に地に下り淵に潜むとされる。中国後漢時代の字典による俳人好みの季題である。しかし、作者は伝説上の生きものをとことん身近に引き寄せる。あるときは背中のファスナーに住みつき、またあるときは〈龍天にのぼる放屁のうすみどり〉と、すっかり飼いならされた様子となる。今頃はおそらく作者の家の欄間あたりに身を寄せているのではないか。なんというファンタジー、なんという愉快。目を凝らせばこのような景色が見えるのかもしれないと、慌てて見回してみれば梅雨入り間近の猫がひきりなしに顔を洗っているばかりである。〈ラムネ壜しぼれば出さうラムネ玉〉〈わたむしに重力わたくしに浮力〉『ラストシーン』(2016)所収。(土肥あき子)


May 1752016

 立つ岩も寝そべる岩も緑雨かな

                           菅 美緒

雨とは新緑の季節に降る雨のこと。葉に乗る雨粒は緑を宿し、万象は生命の輝きに包まれる。掲句の立つ岩はそびえ立つ岩を思わせるが、もうひとつ寝そべる岩があることで地上の表情がぐっと和らぐ。いかめしいばかりと映っていた岩も、実は思い思い好き勝手なかたちで大地に遊んでいるのだ。同じ雨を浴びればあの岩もこの岩もあの山もこの川も、地上に暮らす仲間のように思えてくる。〈途中より滝をはみ出す水の玉〉〈今年竹黄泉より水を吸ひ上げて〉『左京』(2016)所収。(土肥あき子)


May 2452016

 両腕は翼の名残夏野行く

                           利光釈郎

と翼と鰭はみんな同じものだという。腕は翼として羽ばたいていたかもしれず、鰭として大海原を泳いでいたのかもしれない。夏野の激しいエネルギーのなかに身をおけば、人間としてのかたちがほんの束の間の仮の姿のようにも思えてくる。男でも女でも、大人でも子どもでもなく、ずっと自由な生きものとして夏野を行く。しかし、ひとたび夏野を出れば、また元のきゅうくつな人間に戻ってしまうのだ。夏の野が見せる束の間の夢である。〈葱坊主みんな宇宙へ行くごとし〉〈万緑へ面打つ鑿をそろへけり〉『夏野』(2016)所収。(土肥あき子)


May 3152016

 植田から青田に変はる頃の風

                           名村早智子

年前に流れていたエビスビールのコマーシャルに「日本は風の名前だけでも2000もある国です」というコピーがあった。2000という数字に驚くが、しかし掲句のように名称はないが誰もが明瞭に描くことができる風がそのうえまだある。西洋に「刈りたての羊に風はやさしく吹く」の言葉があるように、頼りなくそよぐ植田に風はなでるように通り過ぎ、元気いっぱいの青田には隅々まで洗い上げるように行き渡る。幼な子が子どもになるまでのほんの束の間、そのとっておきの風は渡る。それはまるで、太陽と大地を両親に持つ苗の健やかな呼吸が、清潔で、みずみずしく、明るい風になっていくようにも思われる。その時期だけの旬の食べ物があるように、その時にしか吹かない旬の風を胸いっぱいに満たしたい。ふらんす堂自句自解2ベスト100『名村早智子』(2016)所収。(土肥あき子)


June 0762016

 突支棒はづれて梅雨に入りにけり

                           加藤静夫

雨の形容は、土砂降り、篠突く雨、バケツをひっくり返したような雨などなど。そしてあらたに「突支棒(つっかいぼう)がはずれたような雨」も掲句によって誕生した。それは、空のどこかにぶよぶよとした雨の袋が積まれていて、一本のつっかい棒で支えられているのだろう。おそらく天上にはつっかい棒を外す「梅雨棒外し」のような要職があり、うやうやしく棒を外す日などもあり、晴れて(晴れては変か…)棒が外されると、雨袋は我先にと地上へと転がり出ていくのだろう。つらつら考えてみると、梅雨の降雨量が夏の間の水を蓄えるわけで、天上から地下へ、水の固まりを移動させているだけではないのだろうか。雨の続く地表で、おろおろしている私たちがなんとも不格好で気の毒な生きもののように思われる。集中には〈遠足の頭たたいて頭数〉〈すでに女は裸になつてゐた「つづく」〉など、ニコリやニヤリが連続する一冊。『中略』(2016)所収。(土肥あき子)


June 1462016

 細胞はこゑなく死せり五月雨

                           髙柳克弘

月雨は陰暦五月の雨、梅雨のこと。湿度の高さに辟易しながら、人は半分以上水分でできているのに…、人間は水の中で生まれたはずなのに…、とうらめしく思う。暑ければ暑いで文句が出、寒ければ寒いで文句が出る。声とは厄介なものである。しかしこの文句の多い体を見つめれば、その奥で、細胞は声もなく静かに生死を繰り返している。降り続く雨のなかでじっと体の奥に目を凝らせば、生と死がごく身近に寄り添っていることに気づく。新陳代謝のサイクルを調べてみると「髪も爪も肌の角層が変化してできたもの、つまり死んだ細胞が集まったものです(花王「髪と地肌の構造となりたち」)」の記述を発見した。体の奥だけではなく、表面も死んだ細胞に包まれていたのだ。衝撃よりもむしろ、むき出しの生より、死に包まれていると知って、どこか落ち着くのは、年のせい、だろうか。〈一生の今が盛りぞボート漕ぐ〉〈標なく標求めず寒林行く〉『寒林』(2016)所収。(土肥あき子)


June 2162016

 代掻いて掻いて富士には目もくれず

                           黛 執

植え前の準備である代掻きとはいささか時遅しとも思うが、田植えを終える目安の半夏生まではまだ少し間があるということでお許し願いたい。生まれてから20年余を静岡市で育ったせいか、富士山は方角を知る目印のような山だった。毎日当たり前のように目に入る山が、どれほど美しいものだったのかを知るのは、遠くに離れてからである。代掻きは現代のトラクターを使用する方法でも、ひたすら田の面を見つめ、往復を続ける作業である。掲句でも「掻いて掻いて」の繰り返しに、その作業が単調であることと、なおかつ重労働であることが伝わる。ほんの少し目を上げれば美しい富士があることは分かってはいる。その「分かっている」という気持ちこそ、ふるさとの景色に見守ってもらっているのだという信頼関係を思わせる。仕事が終わり、もう暗くなった頃、富士のあったあたりに目を上げて、一日の無事を知らせるのだろう。『春の村』(2016)所収。(土肥あき子)


June 2862016

 くまモンの頬っぺは真っ赤新樹光

                           内ひとみ

州新幹線全線開業をきっかけに生まれた熊本のマスコットキャラクター「くまモン」。全国数あるキャラクターのなかでも群を抜いて認知度が高いのは、その親しみやすく利用しやすいデザイン性にあるという。大きな黒い体のなかに、情熱や活気を表す赤のコントラストがひときわ目を引く。熊本地震支援の一環で、許諾不要で使用可能という措置が取られ、また様々な人がくまモンのイラストを描くエールも誕生した。アンテナショップや物産展の利用、ふるさと納税など、災害にみまわれた地に向けて、新しい支援のかたちが生まれる。新樹からこぼれる光りのなかで、くまモンのほっぺはますます赤く染まり、地元を背負うキャラクターとして胸を張っているように見える。〈死者の海生者の海よ大花火〉〈山噴いて原始人めく夏の昼〉『道行』(2016)所収。(土肥あき子)


July 0572016

 人類の旬の土偶のおっぱいよ

                           池田澄子

房や腰まわりが強調された土偶は多産をもたらす象徴とされ、日本では縄文時代に多く作られた。母神信仰の象徴である土偶には乳房や妊娠線までもが描かれているという。「おっぱい」の語源には諸説あるが、なかでも「ををうまい=なんたる美味」が略されたといわれる説が好ましい。生まれて一番最初に向き合うもっとも大切なものの名にふさわしく、ふっくらとやわらかな語感を声に出せば、今も懐かしさと愛おしさに包まれる。掲句では、乳房のある土偶を前にして、人々が活気づき、輝いていた時代に思いを馳せる。人間ではなく人類としたことで、厳しい環境を経て二足歩行を覚え、道具を手にして生き延びてきた歴史にまでさかのぼる。子を生み、育てることが一大事だった時代にこそ、人類の豊穣があったのだと気づく。そして、掲句は無季である。私は力強い太陽が容赦なく照りつけるこそふさわしいと感じていたが、以前清水哲男さんが掲句を鑑賞した際には「冬の季節にこそ輝きを放つ句」とされていた。あるいは、生きものたちの恋の季節である春を思ったり、雨が緑の艶を深める梅雨の時期に重ねる読者もいるだろう。それぞれに手渡されていくときに、季節が邪魔になることもあると知る一句である。『たましいの話』(2005)所収。(土肥あき子)


July 1272016

 月涼し風船かづらふやしては

                           宇野恭子

夜は半月。球体の月が唯一直線を描く夜。風船かづらは、ムクロジ科の蔓性植物。小さな白い花が咲いたかと思うと、またたく間に緑の紙風船のような実がふくらむ。頼りない巻きひげはしかし、しっかりと虚空をつかみ天へ天へと伸び進む。うだるような夏の暑さにも負けず、涼やかな緑色の風船は、この世のものとも思われない軽やさで増えていく。それは夏の夜に月の力を得て、分裂でもしているようで、まるで小さな宇宙船が鈴なりに空へ吸い込まれていく姿にも思われる。見上げれば明るい月が手招くように、やさしい光りを差し伸べている。この不思議な風船になかには、やはり風変わりな種が収められる。黒い種にはどれも律儀にハートの刻印が押され、次の夏を待っている。『樹の花』(2016)所収。(土肥あき子)


July 1972016

 丑の日や鰻ぎらひを通しをり

                           片山由美子

用丑の日。この日ばかりは鰻屋に長蛇の列ができる。以前鰻屋のご主人と話したとき「鰻はハレの日の食べものだから、おなじみさんがなかなかできない」と嘆いていたことを思い出す。できたら月に一度は食べたいと願う筆者からすると、鰻嫌いな人が存在には「あれほどおいしいものがなぜ…」と首を傾げるばかり。掲句は『昨日の花 今日の花』(2016)に所載された一句。作品に続く小文には「鰻の蒲焼きが食べられない。昔は穴子も食べなかったが、天ぷらや白焼きは美味しいと思うようになった。ということは苦手なのは蒲焼きかも。皮や小骨が舌に触りそうでダメ」とあり(衝撃のあまり全文引いてしまった…)、苦手の根本が蒲焼きであることに二度驚く。そういえば、学生時代に「蒲焼きが裏向きになると皮が蛇みたいに見えるので、絶対に裏にならないように食べる」と言っていた友人がいたことを思い出した。裏返しにならないように気を抜くことなく進める箸では、おそらく味どころではなかっただろう。鰻を苦手とする各位が本日をつつがなく過ごせることを祈るばかりである。(本日土用入でした。丑の日は7/30(土)。鰻好きのあまり、気が急いてしまいました。深謝)(土肥あき子)


July 2672016

 おまへだつたのか狐の剃刀は

                           広渡敬雄

前に特徴のある植物は数あれど、「キツネノカミソリ」とはまた物語的な名である。由来は細長い葉をカミソリに見立てて付けられたというが、そこでなぜキツネなのか。イヌやカラスはイヌタデやカラスムギなど役に立たないものの名に付けられる例が多いが、キツネは珍しいのではないか、と調べてみると結構ありました。キツネアザミ、キツネノボタン、キツネノマゴ、キツネノヒマゴとでるわでるわ。犬や鴉同様、狐も日本人に古くから馴染みの動物だったことがわかる。そして、カミソリやボタンなど、人間に化けるときに使うという見立てなのかもしれない。掲句は幾度も見ていた植物が、名だけを知っていた思いがけないものであったことの驚き。出合いの喜びより、ささやかな落胆がにじむ。〈腹擦つて猫の欠伸や夏座敷〉〈間取図に手書きの出窓夏の山〉『間取図』(2016)所収。(土肥あき子)


August 0282016

 香水に思い出す人なくもなし

                           清水哲男

俳満了まであと6日。今日が最後の火曜日です。読者であった10年と、書き手となった10年の思い出が錯綜します。パソコンにはショートカットキーなるものがあります。ことによく使われているのがundo(アンドゥ)と呼ばれる復活のコマンドです。左隅のCtrlキー(macだとコマンドキー)を押しながらZを押すと、ひとつ前の動作に戻ります。これを覚えておくと、うっかり消してしまった画面や、誤った選択をしたとき元に戻ることができるのです。人生にはたびたびこの復活のコマンドが使えたらどんなによいかと思う瞬間が訪れます。掲句で思い出される人とは、遠い過去の知り合いでしょう。香りの記憶はさまざまな思い出を引き連れて、やや強引に迫ってきます。下5の言い回しは作者特有の恥じらいと、すべて思い出すことへのためらいを感じさせます。作者はふっと横切る香りのなかで、復活のコマンドを使うことなく、おそらく固有名詞さえ思い出すことを封じて「なくもなし」と完結します。清水さんの俳句作品には〈四股踏んで雀の学校二学期へ〉〈だるまさんがころんだ春もやってきた〉のような相好が崩れる愛らしいものと、掲句や〈釣忍指輪はずして女住む〉〈糸の月人に生まれて糸切り歯〉のような臈長けた色香が混在することも特徴です。ときに甘やかに、ときにクールに、絶妙な匙加減で読者を楽しませてくれるのです。『打つや太鼓』(2003)所収。(土肥あき子)




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