O謔「句

August 1082006

 雨風の濡れては乾き猫ぢやらし

                           三橋鷹女

語は猫ぢやらし(猫じゃらし)で秋。緑の花穂が小犬のしっぽに似ているので狗尾草(えのころぐさ)の呼び名もある。草花の知識の乏しい私でも言い当てることの出来る数少ない草だ。何気なく茂っているので、ことさら季節を意識せずにいたが、八月から十月頃が花期らしい。「雨風に」ではなく「雨風の」と表現したところに、雨風が勝手にやって来て猫じゃらしをずぶ濡れにしては乾き、またやって来ては乾きと、いたぶられることが他人事みたいな余裕が感じられる。道端にのほほんと穂を揺らすこの草にはなるほどそんな風情がある。自我を中心にした個性的な句を数々ものにした鷹女五十歳の作。戦中戦後の暗い時代を経てようやく来し方を振り返る余裕も出来たのだろう。老いへ向う人生の節目を迎えた鷹女が気負いなく猫じゃらしを詠んだことで、この草の持つ飄々としたたくましさがさらりと描き出されたように思う。『白骨』(1952)所収。(三宅やよい)


August 1782006

 天の川由々しきことに臍がある

                           永末恵子

気の冴えた田舎の暗闇に初めて天の川を見たのは、三十近くになってからだった。夜空の中央に白っぽく明るんでいる帯が天の川だと教えられたときには「MilkyWay」の命名の妙に感じ入ったものだった。が、同時に頭上の銀河は想像していたきらきらしさにはほど遠く、その落差にちょっとがっかりもした。永末の句は言葉の展開に、ふっと虚をつかれるような意外性がある。俳句とともに連句もこなす作者は、付けと転じの呼吸から俳句の上五から中七座五へと綱渡る感覚を磨いたのだろうか。予想のつかない言葉の転がりに読み手がどのぐらい丁寧に付き合ってくれるか定かではないが、それもお好みのままに、と言った淡白さが持ち味に思える。中天にかかる「天の川」を思う気持ちは「由々しきことに」と普段使わぬ古風な言葉に振りかぶられ、身構える。そこに座五で「臍がある」と落とされると、なぁんだ、と気が抜ける同時に臍があること自体が由々しきことのような不思議な感触が残る。頭上に流れる壮大な天の川から身体の真ん中にある臍へ。その引き付け方に滑稽な現実味が感じられる。『借景』(1999)所収。(三宅やよい)


August 2482006

 爽かや寝顔に笑顔別に在り

                           池内友次郎

書きに「八月二十八日。偶成。」とある。興が湧いて俳句が自然にできたという意味だろう。「爽か(爽やか)」はすがすがしく快い様子。さっぱりした気分が秋の空気の透明感に似つかわしいので秋の季語になっている。むかし乳母車を押して街に出ると、すれちがう人たちが、実に優しげな顔で赤子に微笑みかけるのを不思議に思っていた。幼子の笑顔は親だけではなく、味気ない日常に黙しがちな大人の清涼剤であるらしい。邪気のない笑顔とはまた別に、無防備に体を広げて熟睡する寝顔も可愛らしいもの。昼の暑さとはうって変わって心地よい初秋の夜、父親が子供の寝顔を見ているうちふっと句が出来たのだろう。昼間の笑顔を見ることは出来なかったけど、寝顔だけでも充分。深夜の帰宅に玄関から子供部屋に入り寝顔を確かめてから着替えだす父親も多いだろう。幼子の笑顔と寝顔にどれだけの力を与えられているか子育ての渦中にいるとなかなかわからない。日常から気持ちをすっと離して子供を見つめる視線にもさわやかさを感じる。虚子の次男、音楽家である友次郎は柔らかな感性で明るくモダンな俳句を残した。『調布まで』(1947)所収。(三宅やよい)


August 3182006

 学校へ来ない少年秋の蝉

                           藺草慶子

日から二学期。子供の頃はこの日が嫌いだった。毎日のお天気マークはでたらめだし、宿題帳はほとんど白紙のまま。休み中逃げ続けた現実に直面するのが今日だった。この頃の学校は宿題が減っているようなので、そんな情けない思いをしている子は少ないかもしれない。それでも中には明日から始まる学校に不安を感じている子もいるだろう。とりわけ不登校の子供達はどんな気持で今日を過ごしているのか。夏休みの間は自分と同じように家にいて、ときどき近所で顔を合わせていた友達も明日から学校へ行ってしまう。学校へ行かない、行けない子供達にまた長いひとりぼっちの日々が始まる。「秋の蝉」は、夏過ぎても鳴いている蝉の総称。残暑の続くうちは声に勢いがあるけど、だんだん鳴き声も疎らに、細くなってゆく。「学校へ来ない」の措辞から考えると句は教師の立場から書かれたものだろう。平常の授業が始まったクラスにぽつんと空いた席。生徒ではなく「少年」と表現したことで、教壇から見下ろす視線ではなく、学校へ来ない彼の寂しい胸のうちを、秋蝉の声にだぶらせて思いやる心持ちが伝わってくる。『現代俳句最前線』(2003)所載。(三宅やよい)


September 0792006

 水引草空の蒼さの水掬ふ

                           石田あき子

引草の咲く水辺に屈み、秋空を映す水を掬っているのだろうか。「水引草」と「水」のリフレイン、秋の澄み切った空と可憐な水引草の取り合わせに清涼感がある。この草のまっすぐ伸びた細長い花穂の形状とびっしりついた小花を上から見ると赤、下から見ると白なので紅白の水引に見立てたのが名前の由来とか。あき子は石田波郷の妻。結核療養する夫を看病しつつ秋桜子の「馬酔木」に投句を続けた。波郷は妻の俳句にはいっさい干渉しなかったが、いよいよ余命短い予感がしたのか「おまえの句集を作ってやる」と言い出した。瀕死の病床であき子の句稿に目を通し表紙絵をデザイン。画家に装画を依頼して、書簡で細かな注文を出した。あとは自ら筆をとって後書を書くだけだったのに、波郷は亡くなり、その一月後にあき子の句集は上梓された。赤い花をちらした水引草の花穂が表紙の表裏いっぱいに何本も描かれている美しい句集だ。波郷の決めた題名は『見舞籠』。目立たずに秋の片隅を彩る水引草は波郷がつかのまの健康を取り戻した自宅の庭に茂っていた花であり、傍らにいつも寄り添ってくれたあき子その人の姿だったのかもしれない。『見舞籠』(1970)所収。(三宅やよい)


September 1492006

 胸といふ字に月光のひそみけり

                           仁藤さくら

野弘に「青空を仰いでごらん。/青が争っている。/あのひしめきが/静かさというもの。」(『詩の楽しみ』より抜粋)「静」と題された詩がある。漢字の字形から触発されたイメージをもう一度言葉で結びなおしたとき今まで見えなかった世界が広がる。胸の右側の「匈」。この字には不幸にあった魂が身を離れて荒ぶるのを封じる為「×」印を胸の上に置いた呪術的な意味がこめられているときく。「胸騒ぎ」という言葉が示すように動悸が高まることは不吉の前兆でもある。不安や憂いに波立つ感情を胸に抱えて、闇に引き込まれそうな心細さ。そんな胸のざわめきをじっとこらえているとやがて胸にひそむ月がほのかに光り、波が引くように心が静まってゆく。「雪国に生まれた私にとって、ひかりというものは、仄暗い家の内奥から垣間見る天上的なものでした。それは光の伽藍とも呼ぶべきもので、祈りを胸に抱きながら、ひかりの中にいたように思います。」胸の月光は作者が「あとがき」で語るひかりのようでもある。さくらは二十年の沈黙を経たのち俳句を再開。静謐な輝きを持った句を詠み続けている。「霧を来てまた霧の家にねむるなり」。『光の伽藍』(2006)所収。(三宅やよい)


September 2192006

 大阪の夜霧がぬらす道化の鼻

                           石原八束

温が急に下がり空中の水蒸気が冷やされると霧が発生する。今や不夜城となり、昼の熱気がいつまでも去らない都会ではめったにお目にかかれない自然現象だろう。大阪の夜霧が濡らす道化の鼻とは誰の鼻をさしているのか。作者自身の鼻ともいえるし、ピエロの赤い鼻、道頓堀の食いだおれ人形の鼻などを思い描くことができる。たとえ対象が外にあったとしてもこの情景に投影されているのは作者の鋭敏な自意識だろう。大阪を来訪した八束は、時にやんわり、時にはあっけらかんと言葉を受け流す上方の如才ないふるまいに、孤独の思いを深くしたのかもしれない。世間と関わる自分を道化と言わずにはおれない八束の胸塞がる思いがこの言葉に託されているようだ。深い夜霧に身を沈めたいのに、顔の真ん中にでっぱっている鼻は隠しようがない。昼は人目に晒され、夜は霧に濡れるにまかせている道化の鼻は八束にとって羞恥の象徴なのかもしれない。道化という言葉と句の醸し出す雰囲気に太宰や織田作之助といった文学の匂いを感じる。時代は遠く、いたしかたない自分の身を隠したくとも煌々と明るい都会の夜に夜霧は遠のいていく一方なのかもしれない。『秋風琴』(1955)所収。(三宅やよい)


September 2892006

 秋茄子を二つ食べたるからだかな

                           栗林千津

さが身上の紫紺の秋茄子をいただいたからだがどうだと言うのか。内容だけみるとただごとに近いが、「からだかな」と置かれた強い切れは、食べたからだと食べられた秋茄子のその後を想像させる。何回か読み下してみると、ア音の多い明るい響きときっぱりした断定が消えた二つの秋茄子の輪郭をかえって鮮明に浮かび上がらせるようだ。「(動植物)を写生して親しむのではなく、対象に同化し、ときにそれらに変身してしまう」坪内稔典は句集の解説で千津の俳句について述べている。掲句の場合だと千津のからだが食べたはずの二つの秋茄子になって揺れ出すのかもしれない。彼女にとっての秋茄子は自分のからだと等量の存在なのだろう。同じ作者の句に「地続きに火噴く山ありひきがえる」「極寒期うまの合ひたる鮫とウクレレ」などがある。動植物を人になぞらえたり、対象に距離を置いて描写するのではない。秋茄子や、ひきがえると同じ次元に身を置いて、彼らと親しみ、入れ替わる通路を千津は見出したにちがいない。50歳半ばから俳句を始めた彼女は92歳で没するまで動植物との交流を中心に、日常の時空間から少しずれた俳句を作り続けた。『栗林千津句集』(1992)所収。(三宅やよい)


October 05102006

 運動会の地面をむしろ多く見る

                           阿部青鞋

の頃は一学期のうちに終えてしまう学校も多いようだが、運動会といえば九月末から十月にかけて行われるのが相場。朝早くから学校に出向いて観客席を確保した経験を持つ人も多いのではないか。茣蓙やビニールシートをコーナーぎりぎりに広げたので、駆けて来る子が勢いあまって観客席に飛び込むハプニングもあった。地べたに座り込んで競技を追う目線を思うと「地面をむしろ多く見る」という捉え方はもっともで、そう言われて初めて土を蹴立てて走ってくる日焼けした脚や、スタートラインに並ぶ運動靴、競技と競技の合間のがらんとしたグラウンドなどが、現実味を帯びた記憶として甦ってくる。運動会を詠むのに運動会の高揚した気分や競技ではなく冷たい地面に着目する。「むしろ」という比較表現でその上に展開している情景を暗黙のうちに立ち上がらせる手腕。青鞋(せいあい)の句は固定観念にとらわれた見方をすっとずらし、在るがままの風景を見せてくれる。「水鳥の食はざるものをわれは食ふ」「ゆびずもう親ゆびらしくたゝかえり」『俳句の魅力』(1995)所載。(三宅やよい)


October 12102006

 新聞を大きくひらき葡萄食ふ

                           石田波郷

朝の駅で買った新聞をお見舞に差し入れたことがある。長らく入院していたその人は紙面に顔を近づけると「ああいい匂いだ」と顔をほころばした。真新しいインクの匂いは一日の始まりを告げる朝の匂い。朝刊を食卓にひろげ置いて、たっぷりと水気を含んだ葡萄を一粒ずつ口に運ぶ。「大きくひらき」という表現に、紙面にあたる朝の光や、窓から流れ込んでくる爽やかな空気が感じられる。葡萄は食べるのに手間がかかる果物。記事を目で追いつつ手を使って含んだ葡萄の粒からゆっくり皮と種をはずす。片手で吊り革に掴まり、細長く折った新聞をささえ読むのとは違う自分だけの朝の時間だ。そのむかし、巨峰、マスカット、といった大粒品種は値段も高く、普段の生活で気楽に食べられる果物ではなかった。今でも柿や無花果といった普段着の果実にくらべ大きな房の垂れ下がる葡萄は色といい、形といいどこかお洒落でエキゾチックな雰囲気を漂わせている。この句のモダンさはそんな葡萄の甘美な印象と軽いスケッチ風描写がよく調和しているところにあるのかもしれない。とある朝の明るく透明な空気が読むたびに伝わってくる句だ。『鶴の眼』(1939)所収。(三宅やよい)


October 19102006

 秋風や酒で殺める腹の虫

                           穴井 太

きぬける風が身にしむ頃となってきた。ビールから熱燗に切り替えた人も多いのではないか。酒好きの人ならひとりでふらりと寄れる居酒屋の一軒ぐらいはあるだろう。掲句からは馴染みの店で黙々と盃を重ねる男の姿が思い浮かぶ。「風動いて虫生ず。虫は八日にして化す」四季折々の風が吹いてその季節の虫を生じるとか。穴井太も山頭火の評論にこの風の字解を引用しており、この句にもその考えは自ずと反映されているだろう。虫が好かない。虫唾が走る。「虫の成語には科学的根拠は乏しく、人間の心の感情を指している。何か心を騒がせ、制御しきれない動きをする。」と穴井は述べる。収まりのつかない腹の虫を生じる秋風は世間の冷たい風の意を同時に含んでいるのかもしれない。四六時中世間の風に吹かれていれば殺めたい腹の虫はいくらでもわいて出てくるだろう。腹の虫を酒で殺め、腹立つ気持ちにけりを付けて家路をたどるか、虫もろとも酔いつぶれて電車のシートに沈むか。そんな男の飲み方に比べ女の場合たいていは友達連れで屈託がない。腹の虫を酒で殺めるというより、酒にもらう元気で虫を外へたたき出しているようではある。『穴井太句集』(1994)所収。(三宅やよい)


October 26102006

 女湯もひとりの音の山の秋

                           皆吉爽雨

和二十三年、「日光戦場ヶ原より湯元温泉」と前書きのあるうちの一句。中禅寺湖から戦場ヶ原を抜け、湯元温泉に行くまでの道は見事な紅葉で人気のハイキングコース。爽雨(そうう)もこれを楽しんだあと心地よく疲れた身体をのばして温泉につかったのだろう。今は日光からの直通バスで湯元まで簡単に行けるようだが、昔の旅は徒歩が基本。若山牧水の『みなかみ紀行』にも山道を伝って幾日もかけ、山間の温泉を巡る旅が書かれている。湯元は古くからの温泉地。掲句からは鄙びた温泉の静かな佇まいが伝わってくる。温泉の仕切りを隔てた隣から身体に浴びせかける湯の音や木の湯桶を下に置く音がコーンと響いてくる。「隣も一人。」旅の宿に居合わせ、たまたま自分と同じ刻に湯につかっている女客。顔も知らず、たぶん言葉を交わすこともなく別れてしまうであろう相手の気配へかすかな親しみを感じている様子が「ひとりの音」という表現から伝わってくる。ひそやかなその音は湯殿に一人でいる作者とともに読み手の心にも響き、旅情を誘う。「山の秋」という季語に山間の冷涼な空気と温泉宿を包んでいる美しい紅葉が感じられる。『皆吉爽雨句集』(1968)所収。(三宅やよい)


November 02112006

 秋の暮通天閣に跨がれて

                           内田美紗

天閣は大阪新世界にそびえる高さ100メートルのタワー。東京タワーと同じ設計者で、作られた時期も同じ頃なのに、まったく違う外観を呈している。両方ともその都市のシンボルであるが、東京タワーは赤いドレスを着て澄まして立っていて少し近寄りがたいが、通天閣は派手な広告をお腹につけて色の変わる帽子をかぶり、庶民的で気さくな雰囲気がある。足元には将棋場、歌謡劇場もある。展望台でビリケンのとがった頭をなでてジャンジャン横丁の串カツを食べて帰る。何でもありの天王寺界隈の賑わいにどこかもの寂しい秋の夕暮れがせまってくる。古来「秋の暮」は秋の夕暮れの意と、秋の季節の終わり(暮の秋)の両義を含みながら曖昧に用いられてきたらしい。「今では秋の日暮れどきだけに使う」(『新歳時記』河出文庫)となっているが、どうだろう。掲句のように大きな景には夕暮れの景色とともに一つの季節が終りつつある気分をも重ね合わせてみたい。通天閣が跨(また)ぐと擬人化した表現に大阪の街並みを見下ろしている通天閣の大きさと頼もしさが的確に表現されている。さらに「て」の止めに、暮れはやき今、ここで通天閣に跨がれている作者の安心が感じられるように思う。『魚眼石』(2005)所収。(三宅やよい)


November 09112006

 生き急ぐ馬のどのゆめも馬

                           摂津幸彦

調の無季句。「馬のどのゆめも馬」と、反復のリズムが前のめりに断ち切られ「生き急ぐ」不安そのものを表している。家畜としての馬が生活の周辺から消えた今、馬と言えば走る宿命を負わされた競走馬だろう。数年前の秋の天皇賞、稀代の逃げ馬と称されたサイレンススズカははるか後方に馬群を引き離す天馬のような走りを見せたものの4コーナー手前で減速、ついには立ち止まってしまった。前脚の骨が砕けたのだ。走るために改良されたサラブレットは骨折すると生きてはいけない。予後不良と診断されたサイレンススズカは翌日命を絶たれた。彼ばかりでなくどの競走馬も常に死の影を引きずっている。厳しい戦いを勝ち抜いても、引退後生き残れる馬は一握りにすぎない。「生き急ぐ」宿命を背負わされた馬は馬群にあれば先行馬に追いすがり、トップにたてばひたすら逃げ続けるしかない。「馬」と「馬」の字面に挟まれた厩舎でのつかの間の眠り。夢に放たれてもなお馬は馬と競い合っているのかもしれない。作者は直観的に掴み出した馬のイメージを俳句に投げ入れることで、その背後にある実像まで描いてみせた。この句に漂う哀愁は馬の哀しみでもある。摂津は四十九歳で急逝。今年は没後十年にあたる。『摂津幸彦全句集』(1997)所収。(三宅やよい)


November 16112006

 一枚の落葉となりて昏睡す

                           野見山朱鳥

核療養のため、生涯の多くを病臥していた朱鳥(あすか)晩年の句。「つひに吾れも枯野のとほき樹となるか」もこの頃の作である。体力が衰え、身体がきかなくなるのに最期まで意識が冴え渡っているとは、何と残酷なことだろう。回復の希望があるならまだしも、この時期の朱鳥はもはや死を待つばかりの病状であり、自然に眠りにつくなど難しい状態だった。病が篤くなるにつれ痛みも増し、薬を服用する回数も多くなるだろう。睡眠薬やモルヒネの助けを借りて眠りにおちる「昏睡」(こんすい)は突然、奈落の底へ落とされるような暴力的眠り。目覚めたときには眠りが一瞬としか思えないぐらい深い意識の断絶があり、それは限りなく死に近い闇かもしれない。晩秋から冬にかけて散った木の葉はもう二度と生命の源である樹につながることはできない。枝からはずれたが最後、落ちた場所で朽ちてゆくしかないのだ。身動きの出来ない身体を横たえたベットで息絶えるしかないことを朱鳥は深く自覚している。落葉は見詰める対象物ではなく、今や自分自身なのだ。「一枚の落葉となりて」という措辞に希望のない眠りにつく朱鳥のおそろしいほど切実な死の実感がこめられているように思う。『野見山朱鳥句集』(1992)所収。(三宅やよい)


November 23112006

 きょうは顔も休みだ

                           岡田幸生

日は勤労感謝の日。祝日法の規定によると「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう日」らしいが、能力主義のはびこる今の世の中、毎日喜びをもって働いている人がどのくらいいるだろう。家族のため、生きるため、気にそぐわない職を続けている人も多いのではなかろうか。仕事に身をすり減らす日常を離れて本来の自分に立ち返れるのが週末の休みや今日のような祝日だろう。1962年生まれの作者は「短い言葉で世界を穿つ」魅力に惹かれ、感覚とひらめきで作る自由律俳句を始めたという。句集に収められた作品は韻律も形も様々だが、掲句の場合、きょうは/(2・1)/顔も(2・1)/休みだ(2・2)と三節に分かれ、2音と1音の反復、最後は2音の連続のリズムに落ち着く形で内容が凝縮されている。「きょうは」という限定で普段は毎日出勤して緊張を強いられた生活を送っている様子が、「顔も」という表現で心身ともにのびのび開放して休みを楽しんでいる気分が伝わってくる。休日の電車で、通勤時に見かけるサラリーマンがセーターにジーパンのラフなスタイルで家族と並んで座っているのに出くわすことがある。スーツに身を固め会社に向う緊張した面持ちとは違う和やかな表情。きっと顔も休みなのだろう。四六時中、仕事に追われている人たちにとって今日が祝福の一日でありますように。『無伴奏』(1996)所収。(三宅やよい)


November 30112006

 外套のなかの生ま身が水をのむ

                           桂 信子

和30年代の冬は今より寒かった気がする。家では火鉢や練炭炬燵で暖をとり、今では当たり前のようになっている電車や屋舎での空調設備も整っていなかったように思う。時間のかかる通勤、通学にオーバーは欠かせない防寒衣。父が着ていた外套は毛布のようにずっしり重く、そびえる背中が暗い壁のようだった。厳しい寒さから身を守る厚手の外套は同時に柔らかな女の身体を無遠慮な世間の視線から守ってくれるもの。夫を病気で亡くし、戦争で家を焼失したのち長らく職にあった信子にとって、女である自分を鎧っていないと押し潰されそうになる時もあったのではないか。重い外套に心と身体を覆い隠して出勤する日々、口にした一杯の水の冷たさが外套のなかの生ま身のからだの隅々にまでしみ通ってゆく。その感触は外套に包み隠した肉体の輪郭を呼び起こすようでもある。逆に言えば透明な水には無防備であるしかないから厚い外套を着たまま水を飲んでいるのかもしれない。「生身」ではなく「生ま身」とひらがなを余しての表記に、外套からなまみの身体がのぞく痛さを感じさせる。彼女の俳句には緊張した日常の中でふっとほころびる女の心と身体が描かれていて、せつなくなる時がある。『女身』(1955)所収。(三宅やよい)


December 07122006

 雪降ってコーヒー組と紅茶組

                           中原幸子

いと思ったら、この街ではめったにお目にかかれない雪が舞いはじめた。外の情景をさっと描写したところで視点は喫茶店の内側へと切り替る。どっと入ってきてようやく席に落ち着いた一行。注文をとりに来たウェイトレスを前に幹事役の人が「コーヒーの人」「紅茶の人」と賑やかに声をかけ、手を挙げてもらっている。たくさん人が集まればよく見かける光景であるが、いい大人が「はい、はい」と、素直に手を挙げる様子もどこか子供じみて可愛げがある。幹事のとっさの問いかけであったが、この時は他の注文もなく、きれいにコーヒー組と紅茶組に分かれたのだろう。そんな偶然をきっかけにちょっと堅かった座の雰囲気も自然にほぐれる。「そういえば、あなた朝食はごはんそれともパン?」「猫が好き?犬が好き?」よく話題にのぼる二分法についてコーヒー組と紅茶組との間で会話が弾み始めたかもしれない。暖かな飲物もゆきわたり、ほっと落ち着いた気分で窓に眼をやれば雪はちらちらと降り続いている。白く細やかな雪が楽しげな室内の空気をいっそう引き立てるようである。幸子の句には都会で暮らす日常のなにげない出来事が季節を感受する喜びとともに生き生きと書きとめられている。それは今の暮しの原風景であるように思える。『以上、西陣から』(2006)所収。(三宅やよい)


December 14122006

 雌の熊の皮やさしけれ雄とあれば

                           山口誓子

の頃は山に食べ物がないせいか里に降りてきた熊が人と出くわす事件がよく起きている。冬のあいだ雄熊はおおかた眠っているが、雌熊は冬ごもる間に子を産み育てるらしい。驚かさないかぎり人を襲うことは稀なようだが、穴に入る前の飢えた熊は要注意と聞く。この句の前書きに「啼魚庵」とある。浅井啼魚は妻波津女の父。大阪の実業家で、ホトトギス同人でもあった。その家に敷き延べられている二枚の熊の毛皮。それだけで見れば恐ろしげな雌(め)の熊の皮ではあるが、並べ置かれた雄(お)の皮よりひとまわり小ぶりで黒々とした剛毛すら柔らかく思える。雌雄一対にあってそれぞれの属性が際立つ。そう見れば毛皮にされてなお雄に寄り添うかのような雌の様子が可憐で哀れである。雌熊の皮を「やさしけれ」と表現する誓子の眼差しにしみるような情感が感じられる。義父宅を前書きに置いたのは、雌雄の熊の皮に新婚の妻と自分の姿を重ね合わせているからだろう。家庭的に不幸な幼少期を過ごした誓子が妻に抱くなみなみならぬ愛情が伝わってくる。即物非情・知的構成と冷ややかさが強調されがちな誓子ではあるが、その底にこのような叙情が湛えられていたからこそ、多くの俳人の心を惹きつけたのだと思う。『凍港』(1932)所収。(三宅やよい)


December 21122006

 冬ざるるリボンかければ贈り物

                           波多野爽波

れはてて眼に入るもの全て寂しく荒れた様子が「冬ざるる」景色。そんな寒々としたシーンを読み手の脳裏に広げておいて、リボンをかけた贈り物へきゅっと焦点が絞られる。きっちりと上五で切れた二句一章の句だが、冬ざれた景そのものにサテンのリボンをかけて贈り物にしたような大らかさも感じられる。今やプレゼントも四季を問わず気軽に交換しあうものになりつつあるが、冬の最大の贈り物と言えばやはりクリスマスプレゼントだろう。この日の贈り物については昔から様々な物語がある。ブッシュ・ド・ノエルと呼ばれるクリスマスの棒状のケーキは、贈り物を買えない貧しい青年がひと抱えの薪にリボンを結んで恋人に贈ったのが始まりとか。愛する人を喜ばせようと心をこめて結ばれるリボン。「リボンかければ贈り物」と当たり前すぎるぐらい率直な言葉が贈り物の秘密を解き明かしているようである。この句のよさを言葉で説き明かすのは難しいけど作者の心ばえが、冬ざれた景に暖かい灯をともしているのは確かだろう。もうすぐクリスマス。間近に控えた大切な夜のため、きれいなリボンをかけた贈り物が押入れの奥に、車のトランクにそっとしまわれているかもしれない。『波多野爽波句集』第2巻(1990)所収。(三宅やよい)


December 28122006

 門松や例のもぐらの穴のそば

                           瀧井孝作

日で仕事を納め、買物に家の掃除に本格的な年用意を始められる方も多いだろう。門松は神が一時的に宿る依代として左に雄松、右に雌松を飾るのだとか。物の本によると29日に飾るのは「二重苦」「苦を待つ」に通じ、31日は一日飾りと言って忌み嫌われるとある。お雑煮と同様、各地で竹の切り方や飾りのあつらえ方に違いがあるのだろうか。広島の田舎では裏山から切り出した竹を斜めに切り、裏白と庭の南天、松の枝をあしらった自家製の門松を門の両脇に括りつけていた。生まれ育った神戸ではそんな松飾りとも縁遠く、ホテルやデパートに据え置き式の門松を見るぐらいだった。あれは、植木屋さんに作ってもらうのか。終ったあとはどう処分されているのか、今でも不思議だ。この句の場合は門飾りではなく、据え置き式の門松だろう。「例の」とあるからもぐら穴は一家に馴染みのもの。騒動を起こしたもぐらをむしろ懐かしがっているようにも思える。主の消えた穴が門口に残っているのか、穴もろとも塞いでしまった跡なのか。どちらにしてもこのあたりと記憶に残る場所に見当をつけ、門松を置いている。今年一年の出来事を振り返り、家族総出で新しい年の準備をする気分が横溢した句のように思える。『浮寝鳥』(1943)所収。(三宅やよい)


July 0272015

 台形の面積のこと蛇のこと

                           中谷仁美

形の面積?小学校のときに習ったけど思い出せない。ネットで検索すればすぐに公式は出て来るけど、丸暗記した記憶は頭の片隅にも残っていない。「こんなこと勉強しても仕方がない」苦手な理数科系の教科の試験の前にはいつでもそんな不満が頭を渦巻いていた。そんな台形の面積と蛇が並列においてあるってことは句の裏の気持ちはどちらも苦手っていうことか。で、なくとも台形の面積を学んだあとに蛇のからだの仕組みの授業なのかも。唐突に台形の面積と公式と蛇が並ぶこの並びかたがおかしい。田畑の多い田舎では夏場の蛇はありふれたものだったが、最近は青大将も動物園の爬虫類館でみる有様、蛇も公式と同じように今や観念的存在なのかも。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


July 0972015

 立ち読みの皆柔道部夏の暮

                           森島裕雄

るいる。部活帰りの重そうなビニールバッグを足元に置いて、柔道部の連中が書店の雑誌売り場にコミック売り場にごそっと溜まって立ち読みをしている。見回りの先生が一瞥すれば、野球部のメンツ、サッカー部のメンツ、とすぐに判別がつくのだろう。それにしても柔道部ときたらみんなガタイがよくて、おまけに暑苦しそう。夏の暮は七時ぐらいになってもまだ明るい。通勤帰りの客がちょっと書店でも寄ってみようかと思う時間帯でもある。場所ふさぎの連中には退去してほしいが、店の人が声をかけるのも躊躇するぐらい迫力があるのかも。柔道部の連中もそんな店の雰囲気を察して大きな身体を縮こませて立ち読みをしているのかも。そんな情景を想像すると掲句の「柔道部」に何ともいえない愛敬とおかしみがある。『みどり書房』(2015)所収。(三宅やよい)


July 1672015

 空はまだ薄目を開けて蚊喰鳥

                           村上鞆彦

の夕暮れは長い。日差しが傾き、炎熱に抑えられていた風が心地よく吹き始め、戸外で夕涼みをするには一番の時間帯だ。夕焼雲と藍色がかった空がグラデーションを描く。暗くなりそうでならない、薄明の暮時でもある。その様子を「空はまだ薄目を開けて」と言い取ったところが魅力的だ。蚊喰鳥、こうもりが飛び始めるのもそんな時間帯。「薄目」はほとんど見えているかどうかわからないこうもりの目の表情も連想させる。この頃めっきりこうもりを見なくなったと思っていたが、先月琵琶湖畔に盛んに飛び回っているのを見た。かはほりは「川守」に通じるというので、水辺に多いのだろうか。飛び交う蝙蝠と暮れていく夏の宵を存分に楽しんだ、そのことが掲句を読んで鮮やかに蘇った。『遅日の岸』(2015)所収。(三宅やよい)


July 2372015

 通知簿の涼しき丸の並び方

                           工藤 恵

日明日あたりは終業式、子供たちはランドセルに通学バッグに通知簿を持ち帰り、親にこってり絞られることだろう。この頃の小学校の評価はどうなっているかわからないが、むかしむかしの子どもの通知表を数十年ぶりに引っ張り出して、涼しい丸の並び方を考えてみた。「たいへんよい」「よい」「がんばろう」で涼しく丸がならぶって、横一列にぎっしり並んでなくて、三つの評価が間合いよくばらばらと並んでいる方が風通しがいい。「たいへんよい」の横一列になるまでがんばれと子どもを叱咤激励することを思えば。ばらばらの丸の配置の通知簿を「何だかこの丸の並び方、涼しげねぇ」なんて、ほほんとしている親の方が子どもにとって気楽だろう。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


July 3072015

 草取りの後ろに草の生えてをり

                           村上喜代子

始めは柔らかかった草も夏の日にさらされ、雨に打たれどんどんふてぶてしくなってゆく。地面からはとめどなく草が噴出してきて、放っておけばたちまち家の周りが雑草だらけになる。田舎の家で草取りをすると、玄関で草取りをして裏まで回って、また玄関を見れば取り残した草だけでなく、もう新しい草が生え始めている。まったく草取りは果てしない作業に思える。夏の盛りに田んぼに草取りをする人をあまり見かけなくなったのは農薬が飛躍的に進歩したせいかもしれないが、そう除草剤に頼るわけにはいかないだろう。田舎にも久しく帰らず、草取りも何十年もしたことがないが田舎の家や墓所を維持するのは並大抵なことではないと掲句に出会ってつくづく思った。『村上喜代子句集』(2015)所収。(三宅やよい)


August 0682015

 広島に生まれるはずはなかったのだ

                           武馬久仁裕

季句。1945年8月6日 午前8時15分。原爆が投下された直後、その悲劇に遭遇した人の口からこの言葉がうめきごえと共に洩らされたかもしれない。あの戦争では偶然のなりゆきで生死を分け、家族と離ればなれになって筆舌に尽くしがたい苦労を背負い続けた人が何万人もいたことだろう。広島、長崎と引き起こされた悲劇。人は生まれる場所を自分で決めることは出来ない。広島に生まれるはずはなかったけど広島に生を受け、原爆にさらされた人。亡くなった人。今は戦後であるが、次に始まる戦争前だと捉える人も多い。憲法をないがしろにする安全保障関連法案が衆議院で強行採決され、きな臭い匂いが高まっている。小さな火種をきっかけに戦争はある日突然始まり、争いはたちまちのうちに拡大してゆく。いまこそ自分が生まれた場所が再び戦争の惨禍に巻き込まれないよう小さな声でも発言していくことが必要なのだろう。『武馬久仁裕全集』(2015)所収。(三宅やよい)


August 1382015

 曇天や遠泳の首一列に

                           曾根 毅

泳と言えば平泳ぎ、波に浮き沈みする頭が沖へ沖へと連なっているのだろう。私が若い頃赴任した山口県秋穂の中学校では遠泳大会があり、湾を囲むように突き出た岬から岬へ1年から3年まで全員が泳いだ。もちろん先生が舟に乗って監視をしながらではあるが。都会育ちで金槌の私は役立たずということで砂浜に座って沖へ連なる頭を見ているしかなかった。ここでは「首一列に」という表現に胴体から切り離された打ち首が並んでいる様子を想像せざるを得ない。空は夏の明るさはなくどんよりと曇っている。その色を映して海も灰色で夏の明るさはないだろう。夏の眩しさと対照的に日本の夏は原爆と敗戦と同時に加害者としての戦争の記憶を拭い去ることは出来ないだろう。一列に続く遠泳の首のイメージはその暗さを象徴しているように思える。『花修』(2015)所収。(三宅やよい)


August 2082015

 金魚泳ぐ一本の茎となるまで

                           松本恭子

魚鉢の金魚が丸い金魚玉の側面に沿ってくるくる同じところを回っている。作者の目には同じところを回る金魚がらせん状に巻き上がって柔らかい緑の茎になっていくように思えたのだろう。句の背後には狭い水に閉じ込められて回転している金魚への哀れみが感じられる。木ではなく茎としたのは水槽にゆらぐ藻の色、金魚の柔らかさが映し出されているのだろう。茎となりその先端からはこぼれるように赤い花が開くかもしれない。詩的な隠喩は言葉を視覚的なイメージに昇華させ今まで見たこともない像を描き出す。「胸濡らす中国民謡黒金魚」この句集に収められている金魚の句は鑑賞の対象ではなく、作者の情感と深く結びついている。金魚を見つめる目は同時に自分の内部へ向けられ夢幻の世界に泳ぐ金魚そのものになっているのだ。『花陰』(2015)所収。(三宅やよい)


August 2782015

 キリンでいるキリン閉園時間まで

                           久保田紺

リンや象を檻の前のベンチに座ってぼーっと見ているのが好きだ。檻の内部にいる象やキリンは餌の心配がないとはいえ狭い敷地に押し込められて飼い殺しの身ではある。もう出られないことはわかっていてもキリンはキリン、象は象、の姿で人間の目にさらされる。キリンらしいふるまいを求める人間には付き合いきれない「キリンでいるのは閉園時間までさ」ともぐもぐ口を動かしながら人間を見下ろすキリンの心の声を聞きとっているようだ。キリンを見る人間と見られるキリンの関係に批評が入っている。同時に少し横にずらせば、「医者でいるのは病院にいる時間だけさ」「先生でいるのは学校にいる間だけ」と私たちの日常の比喩になっているようにも思える。「尻尾までおんなじものでできている」「別嬪になれとのりたまかけまくる」日常につかりながらも日常から少し浮き上がって自分も含めた世界の在り方を見る、川柳の視線の置きどころが面白い。『大阪のかたち』(2015)所収。(三宅やよい)


September 0392015

 子規の忌のたたみの縁のふかみどり

                           冬野 虹

治三四年九月一九日、長塚節の小包に同封された手紙に「蕎麦の花もそろそろ咲き出し候 田の出来は申分なく秋蚕も珍しく当りに候」と書かれており「ちょっと往ってみたい」「母は稲の一穂を枕元の畳のへりにさされた」という記述が子規の「仰臥漫録」にある。子規が亡くなったのはちょうどこの一年後であるが、この句はそうした事情も踏まえ「たたみの縁のふかみどり」の音韻の響きと色が効いている。母がさした稲穂のふちの深緑は広がる山野の見立てでもあり臥して見る子規の心を田園に遊ばし、慰めた色でもあった。今でも日常何気なくみる畳の縁の深緑ではあるが、そのときの子規の心持を思うと、心に染みる思いがする。『雪予報』(2015)所収。(三宅やよい)


September 1092015

 広げたる指すみずみに秋の風

                           守屋明俊

のうだるような暑さがひどかったせいか、とりわけ秋の風がありがたく感じられる。秋を知らせる初秋の風をとくに「初秋風」と言うことがあったと山本健吉解説の「大歳時記」にはある。日が衰え、秋風は次第に冷たくなり寂しさも増してくる。秋のあわれさを感じさせる中心に秋風があることは間違えないようだ。まだ暑さが完全に行き過ぎない九月はとりわけ吹き抜ける風に敏感になるころ。広げた五本の指のすみずみにひんやりとした秋の風が通ってゆく、指を吹きとおってゆく風は春風でも寒風でもなく、秋の風でなければならない。単純で当たり前なように思えるけど身体で感じる秋をなかなかこうは表現できない。『守屋明俊句集』(2014)所収。(三宅やよい)


September 1792015

 雲海を抜けて時計の統べる国

                           黒岩徳将

い山に登ったときに頂上から見下ろす雲海は夏の季語であるが掲載句の「雲海」は飛行機で飛行するときの「雲海」を表しているように思う。この場合は無季の扱いになろうか。例えば海外リゾートの常夏の島や秘境と呼ばれる国を飛行機で訪れると、雲海を抜けて眼下に広がる国は日本のように何もかもがスケジュール通りではなくのんびりと時間が流れている。反対にそうした国から日本に帰ってくるとき、朝の出勤から会社の退社時間まで、はては人生の予定表まで時間で運行される国だと思うと雲海を抜けて人間がぎっしり詰まった街が見えてくるとちょっとうんざりかも。ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる時間どろぼうを思う。一度日本の外に出ると日本の輪郭がかえってくっきりする。確かに私が生まれ育った国は「時計の統べる国」であるなぁ。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


September 2492015

 手の音もまじり無月の鼓うつ

                           大石雄鬼

を打つのは手ではあるが、手の音も混じるとは、鼓の縁を打つ響きなのだろうか。真っ暗な雲に月は見えないが故に雲に隠された煌々と輝く月の存在をかえって強く感じさせる。「いよーっ」と合いの手を入れながら打つ鼓は一つなのだろうか、無数に並んでいるのか。いずれにせよ「手の音」と即物的に表現したことで鼓を打つ手が生き物のようで少し不気味である。無月の「無」が後の叙述を実在しない光景のようにも感じさせて前半のリアルな描写と絶妙なバランスを保っている。余談だが、「鼓月」という銘菓が京都にある。鼓と月は相性がいいのだろか。お菓子の命名の由来は「打てば響く鼓に思いを寄せ、その名中天の月へも届け」という願いを込めて名付けられたそうだ。今年の月はどんな月だろう。『だぶだぶの服』(2012)所収。(三宅やよい)


October 01102015

 十五夜の山ぞろぞろと歩きだす

                           酒井弘司

年の十五夜は九月二十七日だった。毎月必ずめぐってくる満月だが、中秋の名月は、やはり特別な月に思える。マンション暮らしで縁先もなく、まわりに野山もないので薄を飾ることもないけれど十五夜と思えばまず月の出る方向を探して狭いベランダをうろうろする。十五夜の月はきっと普段の月よりあらゆるものを引き付ける力が強いのだろう。いろいろな不思議が起こりそうな気がする。掲句は十五夜の山、でいったん切れ「ぞろぞろと歩き出す」の主体は山ではなく人間たちだろうが、十五夜の月の光に照らし出されて連なっている山々ににょきにょき足が生えて、歩きだすと考えてもおかしくはない。『谷戸抄』(2014)所収。(三宅やよい)


October 08102015

 コスモスや死ぬには丁度いい天気

                           仲 寒蟬

川の昭和公園のコスモス、小金井公園のコスモス。毎年見ごろになると見に出かける。秋晴れの丘陵にコスモスが咲く様子はとても気持ちがいい。腰が弱くてひょろひょろしていて、それでいて群れて咲くとどんどん広がってゆく。町中ではプランターや花壇で育てるより空き地や駅の塀など路傍に咲いているのが似合いの花だ。明らかに澄み切った秋の昼にコスモスが咲いて、ほんとうに死ぬには丁度良さそうだ。私もじめじめ雨が降る夜に死ぬより、とびきり天気が良くてコスモスが見ごろのころがいい。歳時記でコスモスの項目を見ると飯田龍太が「やや古めかしいモダニズムといった感じの花である」と解説をしていたが、そのニュアンスのコスモスに掲載句の措辞はぴったりに思える。掲載句のようにあっけらかんと明るく死ねるのは願望なのだけど、現実ははて、どうだろう。『巨石文明』(2014)所収。(三宅やよい)


October 15102015

 電球や柿むくときに声が出て

                           佐藤文香

学校のとき高いところにある電球を取り換えるのに失敗して床に取り落としたことがある。「あっ」と手元が滑ったとき落下してゆく電球と粉々に割れる様までスローモーションのようにはっきり見えた。それ以来電球の剥き出しの無防備さが気になって仕方なかった。背中がむずがゆくなってくるほどだ。掲載句は「電球や」ではっきり切れているのだけど、柿をむく行為と、電球のつるりと剥き出し加減が通底している。そして「声が出て」は読み手に意味付けなく手渡されているのだけど、何かしらエロチックなものを想像してしまう。俳句に色気は大事である。柿の句でこんな句は見たことがないし、この句を読むたび身体の奥が痛くなる。言葉の配列の不思議が強く印象に残る句である。『君に目があり見開かれ』(2015)所収。(三宅やよい)


October 22102015

 秋うらら他人が見てゐて樹が抱けぬ

                           小池康生

阪と違い東京の公園は大きな樹が多い。新宿御苑、浜離宮、新江戸川公園など昔の武家屋敷がそのまま公園として保存されているからだろう。この頃はグリーンアドベンチャーとか言って、木肌や葉を見て札で隠された樹木の名を当てながらオリエンテーリングできるようになっている。クスノキやケヤキの大木は見ているだけでほれぼれするけれど時には太い幹に腕を回して、木肌に身体をあてて生気をもらいたくなる。ひとところに動かぬまま根を張り何百年も生き続ける樹木はそれだけで偉大だ。かぎりなく透明に晴れ渡った秋空にそびえる太い幹を抱いてみたいが「他人が見てゐて」樹が抱けぬと。まるで恋人を抱くのを他人に見られる恥じらいを感じさせるのがおかしい。抱けばいいのに。でもやっぱり恥ずかしくてできないだろうな、私も『旧の渚』(2011)所収。(三宅やよい)


October 29102015

 上着きてゐても木の葉のあふれ出す

                           鴇田智哉

思議な句である。風の又三郎のようにこの世にいながらこの世の人でないような人物の姿が想像される。上着の下に隠された身体からどんどん木の葉があふれだしてしまい、はては消えてしまうのだろうか。風に舞い散る木の葉、頭上から落ちてくる木の葉。落ちた木の葉を掃いて集めてもふわふわ空気を含んでなかなか収まらず袋に入れようとしてもあふれ出てしまう。上着を着ていることと、木の葉があふれることに何ら関係もないはずなのだが、「着てゐても」という接続でまったく違うイメージが描き出されている。特別なことは言っていないのに違う次元の世界に連れ出されるこの人の句はつくづくスリリングである。『凧と円柱』(2014)所収。(三宅やよい)


November 05112015

 立冬の水族館の大なまず

                           星野麥丘人

まずはの表記は魚編+夷、一般には鯰と書くことが多いがこの句ではずんぐりとした大なまずを強調する意味でこの漢字を用いているのだろう。水族館の暗い水槽に沈んでいる大なまずは季節の変化はほとんど関係がない。昨日、今日、明日同じ状態が持続していくだけである。「ひたすらに順ふ冬の来りけり」という句も並んでいる。身を切る寒さ、足元の危うい雪や凍結の道路。年を経るにしたがって、耐え忍ぶ冬を超えて春を待ちのぞむ気持ちは強くなる。いよいよ立冬。動き回ることが少なくり炬燵に立てこもる姿は大なまずと同じということか。さて今年の冬の寒さはどんなものだろう。『雨滴集』(1996)所収。(三宅やよい)


November 12112015

 ヒップホップならば毛糸は編みにくし

                           岡田由季

枯らしが吹いて、そろそろ厚いセーターやマフラーが恋しい季節になった。以前は電車の中や病院の待合室でも編み棒をせっせと動かしてセーターやマフラーを編んでいる人を見かけたが、軽くて安くて暖かい冬の衣料がいくらでも手に入る昨今、とんと見かけなくなった。ただひたすらに記号に沿いながら編み針をうごかしている時間は無心になれて楽しいものである。そこにクラッシックでも流れていれば編み針もスムーズに進むのだろうが、ヒップホップで調子がついてしまうとさぞ編みにくかろう。ヒップホップのリズムで身体を跳ね上げながら編み物をしている姿を想像しておかしくなってしまった。こういうユーモアを持った俳句、とてもいい。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


November 19112015

 冬銀河鍵一本の街ぐらし

                           荒井みづえ

会ではなかなか見ることのできない冬銀河であるが、冬はきりっと引き締まった冷気に星の光が一段と輝く季節。掲句では銀河が鍵と響きあって、カチッと回転させる音まで聞こえてきそう。出歩くときは必ず持ち歩く住まいの鍵。一軒家は出るときの戸締りが大変で帰宅してからも何かと防犯の心配がつきないが、マンション暮らしは気楽なもので、分厚いベランダの窓を閉め、スチールのドアを閉めて鍵を回すだけで完了する。密閉性が高いマンションは孤立しやすいともいえるが、街ぐらしの気楽さに孤独はつきものである、一つ一つの星の瞬きが光の帯になる冬銀河と同様に孤独の灯が連なり銀河のようにまたたく都会の冬の夜である。『絵皿』(2015)所収。(三宅やよい)


November 26112015

 空色にからまりからまり鶴来たる

                           こしのゆみこ

路で見る丹頂鶴はその大きさも美しさもずばぬけているが渡りはしない。全体が黒っぽいなべ鶴の飛来地は鹿児島県出水、山口県八代で、縁あってその両方で鶴が来るのを見たことがある。昔日本各地のどこにでも来ていた鶴は狩猟でとりつくされ、一時は絶滅の危機になったが、飛来地の農家が餌付けしながら増やし、今では相当数は増えたと聞く。なべ鶴は丹頂鶴ほど大きく美しくもないが、数羽連れだって冬空を飛んでくる様は力強い。雲のない青空をじっと見つめていると細かい無数の点がだんだんと大きくなってきて、羽がからまりそうな近さで羽ばたきながら数羽の鶴が飛んでくる。「空色にからまる」まさにそんな様子で鶴は遥かシベリアから真っ青な空を渡ってやってくるのだ。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)


December 03122015

 老人が群れてかごめや十二月

                           筑紫磐井

稚園や小学校低学年で「かごめ」や「あんたがたどこさ」や「はないちもんめ」を楽しんだのはどの世代までだろう。もはや子供が群れて遊ぶ路地もなく、ぶらんこと滑り台の取り残された公園はがらんとしている。それぞれの家で子供たちは何をして遊んでいるのか。掲句では「老人が群れて」とあるが老人たちが自発的に集まって歌いながら「かごめ」をやっているなら牧歌的だが、老人が集められる施設での光景を連想させる。一年の最後の月で働きざかりの人には何かとあわただしい十二月だが、もはや曜日も月も関係のなくなった老人が群れてかごめに興じる姿は十二月であるだけに物悲しい。『我が時代』(2014)所収。(三宅やよい)


December 10122015

 黄金の寒鯉がまたやる気なし

                           西村麒麟

った冬の沼のふちにたたずんでいると、ぽっかり口をあけた鯉がどんよりした動きで近寄ってくる。寒中にとれる鯉は非常に味がいいというので「寒鯉」が季語になっているようだ。歳時記を見るとだいたい動きが鈍くてじっと沼底に沈んでいる鯉を描写した句が多いように思う。掲載句では「黄金」「寒鯉」「が」というガ行の響きの高まりに「また」と下五を誘い出して、何がくるかと思いきや「やる気なし」と脱力した続きようである。むだに立派な金色の鯉がぼーっと沼に沈んでいる有様が想像されてなんともいえぬおかしみがある。『鶉』(2013)所収。(三宅やよい)


December 17122015

 鮟鱇のくちびるらしき呑み込みぬ

                           平石和美

鱇のぶつ切りがスーパーに並ぶ季節になった。寒い日はアンコウ鍋でしょう、と買ってくるがぶつ切りになった部位のどこがどこやら、わからぬまま鍋に入れる。筋やら皮やら肝やら、ちょっと気味が悪いがホルモンだって同じこと。美味しけりゃいいと食べている間はどこの部位かなんてさほど気にしない。しかし口触りで、鮟鱇のくちびる?と思うが回りで食べている人に確かめるのも気が引ける。一瞬の躊躇のあと、えいとばかり呑み込んでしまう。深海魚であるあんこうの口は大きくて、くちびるは分厚そうだ。人間の口の中で咀嚼されて呑み込まれるくちびる、ことさらに考えると何か異常なものを食している気にもなる。食に隠されている気味悪さが際立つのも俳句の短さならではの効果といえる。『蜜豆』(2014)所収。(三宅やよい)


December 24122015

 冬の蚊のさびしさ大工ヨゼフほど

                           池田澄子

日はクリスマスイブ。家がカトリックだったので小さいころから夜中のミサに出かけるのが常だった。ツリーやプレゼントで浮き立っている街をよそ眼にひたすら地味なクリスマスを過ごした。聖家族の中でもマリアやキリストに比して話題にのぼらないのが大工ヨゼフ。飼葉桶に眠る赤子のイエスに跪いてマリアと共に見守る以外聖書の中でも出番がない、現在の父親並みの影の薄さである。セーターの上から人を刺しても満腹になるとは思えず寄る辺のない冬の蚊と聖家族の中に居づらい様子の大工ヨゼフのさびしさ。こんなことをよく思いつくなぁ、クリスマスがあっても聖家族を思うことすら少ない世の中で。『拝復』(2011)所収。(三宅やよい)


December 31122015

 大年の土間のバイクと日のすぢと

                           大石香代子

会の家は土間を作る余裕などないのだろうが、昔の作りの家は玄関の引き戸を開けると比較的広い土間があって、雨がひどい日などは自転車や外の植木などを取り込んだものだ。外と段差がない土間ならではの収納スパースはいろいろなことに活用された。ある家では軽自動車が両端ぎりぎり収まっていて、なんという運転技術。と驚いたこともある。おおみそかの日、家のうちもすっかり片付いて。今年一年働いてくれたバイクも磨き上げ、土間に引き入れた。引き戸の間から差し込む光は今年最後の「日のすぢ」でもある。ひと仕事終えて、ふっと目をやった先にあるひっそりとした大晦日の空気感が表現されている。『鳥風』(2015)所収。(三宅やよい)


January 0712016

 人日の鳥のぼさぼさ頭かな

                           櫻木美保子

月七日は「人日」なぜこのように呼ぶのか。「一日には鶏、二日に狗、三日に羊、四日に猪、五日に牛、六日に馬、七日に人を占い八日に穀を占う。毎日の天候によって動物や人の一年を占い皆、清明温和な天候であれば畜息安泰、陰寒惨烈なら疾病衰耗と為す」と平井照敏の「新歳時記」に説明がある。「人日」という言葉を知ったのは俳句を始めてからで、七日と言えば七草粥を食べ、学校が始まる日と思っていた。鳥のぼさぼさ頭と言えば、ウッドペッカーやスヌーピーのウッドストック、はたまたハシビロコウが思い浮かぶ。ぼさぼさ頭が寝起きの頭のようで愛嬌がある。きっと人間が動きだす日なんぞ鳥には関係ない、とシニカルなまなざしでのんびり眺めていることだろう。『だんだん』(2010)所収。(三宅やよい)


January 1412016

 鏡餅開く僧侶の大頭

                           波戸辺のばら

開きは十五日だと思っていたが、関東では十一日という説もある。どちらにしても鏡開きをしてぜんざいを作る家も少なくなっているのではないか。だいたいがマンション暮らしだと床の間もなく鏡餅を飾る場所もない。カビが生えないようパック入りの鏡餅をテーブルに置くぐらいだが、この句の鏡餅は床の間に飾られた立派な鏡餅でないといけない。もとより僧侶の大頭で鏡餅をかち割るのではないけれどこう並列に並べられてみると、別別の事項であっても連想が結びついて笑ってしまう。僧侶の大頭でかち割られた鏡餅は豪快に砕けそうだ。『地図とコンパス』(2015)所収。(三宅やよい)


January 2112016

 冬晴れへ手を出し足も七十歳

                           坪内稔典

晴れへ足と手を出して、ああ、自分も七十歳なのだなぁ。と感慨を込めて空を見上げる情景とともに、この「手を出し足も」が曲者だと思う。「手も足も出ない」となると。まったく施す手段がなくなって窮地に陥るという意味だが、この言葉を逆手にとって、手も足も出すのだから、なに、七十歳がどうした、これからさ、という気概が感じられる。また「手を出し」でいったん休止を入れて「足も」と音だけで聞くと、伊予弁の「あしも」と重なり。早世した子規と作者が「あしも七十歳ぞ」と唱和しているようだ。「霰散るキリンが卵産む寸前」「びわ食べて君とつるりんしたいなあ」言葉の楽しさ満載の句集である。『ヤツとオレ』(2015)所収。(三宅やよい)


January 2812016

 冬うらら猫とおんなじものを食べ

                           寺田良治

倍青鞋の句に「水鳥の食はざるものをわれは食ふ」という句がある。空を飛んで遠くの国から渡りをする水鳥が食べるものは軽くて清い印象がある。その裏には肉をはじめあらゆるものを食べて生きている人間の猛々しさが隠されているのだろう。水鳥とおなじものを人が食するのであれば仙人のような気がするが、「猫とおんなじもの」は生活感が漂う。豪華ではなく、ささやかな食を猫と分け合って食べている様子とともに自分の食生活へのペーソスが感じられる。ごちそうや珍味と呼ばれるものに魅力も感じず、お前と同じもので十分だよと膝に乗せた飼いネコに話しかける。「猫まんま」はいいけど、キャットフードはいやだな。『こんせんと』(2015)所収。(三宅やよい)


February 0422016

 立春の木を吐き魚を飲むからだ

                           山下つばさ

日は立春。白々と夜が明ける時刻もだんだんと早くなり、降り注ぐ光も一段と明るさをます。掲載句は不思議な句で一読したときから謎がとけない。このからだの主体はなんなのか。春になると木々も芽を出し、雪解け水に川も沼も水量も豊かに、冬のあいだ水底に沈んでじっとしていた魚も動き始める。この主体は季節の順行に変化する自然そのものかも。訪れた春に木を吐く大地。水の温度の変化を敏感に感じ取って動き始めた魚たちを迎え入れるたっぷりした海や川。謎は謎としてこの句に表された生き生きした自然の動きを自らのからだで感じつつ、今年の春を迎えたい。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


February 1122016

 恋猫に夜汽車の匂ひありにけり

                           太田うさぎ

の路地で猫が悩ましげな声で鳴くシーズンになって来た。今や家の中だけで外に出さずに飼われる猫が大半で、悩ましげな声に誘われてするりと家を抜け出し何食わぬ顔で戻ってくる猫は少なくなっているだろう。掲句の猫はきっとそんな自由奔放な猫で、まだ寒い戸外から帰ってきて主人の膝に冷えた身体を丸めたのだろう。抱き上げて顔を寄せればひんやりと外気の匂いがする。外から帰ってきた恋猫に「夜汽車」のイメージをかぶせたことで、本能に従い闇を疾走しつつも主人の膝へ帰ってくる猫が健気に思える。遠い旅から戻ってきたのだ。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


February 1822016

 泣きながらそっと一マスあけはった

                           久保田紺

保田紺さんは大阪の川柳人。四十七歳のときに末期ガンの宣告をうけながらも九年の歳月を生き、数冊の句集をだした。紺さんの「ここからの景色」というエッセイに次の一文がある。「命を限られてからの日々は、確かに辛いものでした。でも決して不幸なことばかりではありません。霧がかかっていた視界は良好となり、好きなものと嫌いなもの。嫌いだと思っていたけど好きなだったもの。必要だと思っていたけれどもそうでなかったもの、そんなものが全部わかるようになりました」句集全体に漂う独特のユーモア、哀愁、やさしさは死への恐怖や不安を乗り越えてのものだった。例えば掲句、泣きながらあけたこの一マスにどれほどの断念があったことか。敬愛してやまない紺さんは闘病やむなく先月亡くなられた。『大阪のかたち』(2015)所収。(三宅やよい)


February 2522016

 春雪や吹きガラスまだ蜜のごと

                           津川絵理子

樽のガラス工場を見学したことがある。ちょうど積雪のころでまだ寒い戸外と対照的に工場中は火がかんかんと熾り、長い吹き竿にふーっと息を吹き込むと竿の先に色ガラスがふくらんでいく。飴のように柔らかいガラスの様を「まだ蜜のごと」と表現したことで熱をもったガラス器の触れればぐにゃりと歪んでしまいそうな状態がよく言い表されている。明るく軽い春雪との取り合わせも新鮮だ。「まだ」の一言が単なる比喩を超えた臨場感といきいきとした印象を読み手に残すのだろう。上手く書けている俳句と心に残る俳句の違いは些細なようで大きい。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


March 0332016

 立子忌の坂道どこまでも登る

                           阪西敦子

日は雛祭り。星野立子の忌日でもある。立子の句はのびのびと屈託がなく空気がたっぷり感じられるものが多い。例えば「しんしんと寒さがたのし歩みゆく」という句などもそうである。まず縮こまる寒さが「楽し」という認識に自然の順行が自分に与えてくれるものを享受しようとする開かれた心の柔らかさが感じられるし、「歩みゆく」という下五については山本健吉が「普通なら結びの五文字には何かゴタゴタと配合物を持ってきたくなる」ところを「歩みゆく」さりげなく叙するは「この人の素質のよさ」と言っているのはその通りだと思う。掲句の坂道を「どこまでも登る」はそんな立子のあわあわとした叙法を響かせているのだろう。立子の忌日に似つかわしい伸びやかさを持った句だと思う。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


March 1032016

 キャベジンや春の夜に浮く観覧車

                           藤田 俊

ャベジンは胃腸にいいと言われるキャベツがそのまま商品名になっている冗談みたいな胃薬だ。漱石の時代より日本人は胃が弱い人が多いから「大田胃酸」や「キャベジン」を求める人も多かったのだろう。キャベジンを飲むと重苦しくもたれていた胃も軽くなってさわやかに軽くなるのだろう。春の夜に浮く観覧車のように。句の内容としては数ある胃薬のどれでもいいように思うが、固有名詞の響きと愛嬌が勝負どころ。春の夜の観覧車の楽しさはキャベジンじゃないとぴったりこない。固有名詞だと後の時代にわからなくなる、普遍性がないという人もいるが固有名詞の音や楽しさに俳句が印象付けられれば十分ではないか。固有名詞は時代の創作でもあり使わない手はない。調べることは後からだってできるのだから。『関西俳句なう』(2015)所収。(三宅やよい)


March 1732016

 春は覗くと荒れる紫水晶

                           中西ひろ美

本気象協会によると東京で10メートル以上の強い風が吹く日数は三月が一年中で一番多いそうだ。この頃、日本付近が通る低気圧が発達しやすいのが強風の原因とか。「春疾風」「春北風」と春の突風を表す季語も多い。「水晶を覗く」と言えば未来を占う丸い水晶を連想するが、紫がかった水晶はアメジストと呼ばれ二月の誕生石だという。覗かれる紫水晶と春がだぶって、覗いた水晶の内部で春の強風が吹き荒れているようだ。春は紫水晶の内部が荒れるのか。紫水晶を覗くと春が荒れるのか。外部と内部が入れ子細工のようで不思議さを感じさせる。『haikainokuni@』(2013)所収。(三宅やよい)


March 2432016

 陽炎へわたしの首を遊ばせる

                           小枝恵美子

炎は空気が不均一に暖められて空気に歪みが生じる現象。春の季語になっているのだけど都会生活であまり遭遇したことはなくて、私にとっては観念の現象に近い。考えれば不気味な句である。ろくろ首のように自分の首がにょろにょろ伸びていって地面に揺らめく陽炎に波乗りするかのように浮き沈みしている。そしてそれを見ているのも自分なのだから。春はぬるんだ空気に時間や空間がだらしなく溶けてしまいそうで、何が起こっても「ああ、春だからね」と納得してしまう雰囲気が漂っている。そんな昼に自分の首を切り離して陽炎に遊ばしてしまう掲載句は気持ち悪くも痛快だ。『ベイサイド』(2009)所収。(三宅やよい)


March 3132016

 野遊びのひらいてみせる足の指

                           榎本 享

ん坊の足の指はよく開く。年を取ってくると末端までの血の巡りが悪くなるのか足の指の動きも悪くなり中三本の指はくっついたまま親指と小指だけがかろうじて動くという状態になりかねない。爪切りと風呂以外に自分の足の指をしげしげ眺めることもないし、ましてや足の指を広げたり縮めたり動かす機会もそうそうない。暖かな日差しに誘われて柔らかく萌え出た草の上で靴も靴下も脱ぎ捨てて赤ん坊みたいに足指をひらいてみる。解放された遊び心が「野遊び」という春の季語にぴぅたりだ。厚い靴下やブーツに締め付けられた足の指も存分に春の光と空気を楽しんでいることだろう。『おはやう』(2012)所収。(三宅やよい)


April 0742016

 クローバーに置く制服の上着かな

                           村上鞆彦

日、明日あたり入学式の学校が多いのではないか。真新しい制服に身を包みなじみのない集団に身を投じての学校生活が始まる。この頃はつらいニュースも多いけど思っても見なかった出会いもあり心弾ませて毎日を過ごしてほしいものだ。さて掲載句は新しく萌え出たクローバーの上に腰を下して制服の上着を脱いで置くという簡単なものだが、そこに春の明るい日差しと暖かさ、おそらくは上着を脱いで友と語らう若い人の快活な様子も想像されて好ましい。クローバーはシロツメグサとも言い春になると萌え出る柔らかい若葉が嬉しい。幸せが約束されると四葉のクローバーを探したり、もう少し季節が進むと白い花を摘んでせっせと花冠や首飾りなど編んだ。校庭や野原で外遊びする子供のいい遊び相手であり、初々しい人たちに似合いの植物だ。『遅日の岸』(2015)所収。(三宅やよい)


April 1442016

 菜種梅雨男は黙って風呂掃除

                           山本たくや

種梅雨は菜の花の咲くころにしとしと降る雨をさすのだから春雨と言い換えてもいいだろうか。例句をみると、しっとりと情緒ある雨との取り合わせを意識した句が多いように思われる。「男は黙って」とくると次に来る言葉は「サッポロビール」で、「男なら四の五の言わずに、、、」という価値観を含んでいるのだろうけど、それが「風呂掃除」なのだから面白い。男が黙ってビールを飲んでいられる時代は終わったのである。若いカップルが働いて生活していこうと思えば家事も育児も協力してやるのが前提。現代的風景を描き出したフレーズと菜種梅雨との取り合わせも軽快でとてもいい。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


April 2142016

 つちふるやロボット光りつつ喋る

                           岡田由季

粉の襲来が収まったと思えば黄砂である。東京に来てからはあまり実感できないが、山口や北九州に住んでいた時には一晩で外に置いている車の表面がザラザラになるほどの量だった。「つちふる」という言い方は天に巻き上げられた砂塵が鈍い太陽の光にキラキラ天から降ってくるイメージを呼び寄せる。ロボットは光を明滅させながら喋るイメージだ。その共通項である「光りつつ」で両者を結び合わせている。冷たいジェラルミン材質のロボットに静かに降り続ける黄砂。人間によって入力された言葉を機械音声で繰り返し喋り続けるロボットへの哀感と悠久につながる時空間の取り合わせでイメージに広がりがでた句だと思う。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


April 2842016

 どないもこないも猫掌に眠りけり

                           矢上新八

猫の恋」があり「猫の子」が季語としてある。猫とはなんとまあ季節に従順な生き物なのか。野生や本能を失いつつある人間とは比べて思う。この頃は野良猫でも地域猫と呼んで去勢や避妊手術を施すことも多いと聞くが、私が子供のころは空き地や電柱の下に空き箱に入れて捨てられた猫や親からはぐれた生まれたばかりの子猫がみいみい鳴いていることが多かった。たまりかねて拾って帰っても「捨ててらっしゃい」と親から厳命されて元の場所に返しに行ったことも一度や二度ではなかった。生まれたての子猫を掌に載せて、おまけにすやすやねむっているの「どないもこないも」できない気持ちはよくわかる。「しゃーないなあ」と家猫にしたのだろうかこの人は。関西弁が柔らかい句集。『浪華』(2015)所収。(三宅やよい)


May 0552016

 遠くから来た人の靴アマリリス

                           吉野裕之

きな花弁の赤いアマリリスの鉢植えを見かける季節になった。アマリリスという花の名はおとぎ話に登場する主人公のようで、甘やかな響きを持っている。掲載句は玄関にある客人の靴だろうが、子供のころ学校から帰って家族の靴と違う靴が揃えて置いてあると、ふすまを細めに開けて客間を覗いたものだ。来客は日常とは違う空気を運んでくる。玄関先の靴とアマリリスの取り合わせと考えると身近な日常の風景であるが、「遠くから来た」という表現がリリカルで、距離だけでなく過ぎ去ってしまった昔からやってきた人の靴に思えて、どこか懐かしい。『みつまめ』(2015)立夏号所載。(三宅やよい)


May 1252016

 コーラ飲むがらがら蛇のようにのむ

                           寺田良治

らがら蛇がいいなあ。コーラを飲むときはラッパ飲みと相場は決まっている。中学生の頃はゲップを我慢しながら瓶を高く上げて飲んでいた。ムリしてそんな飲み方をしたのは、広告や映画のカッコいいアメリカにあこがれていたからか。掲句のがらがら蛇の「がらがら」の音がコーラが喉を通過するときのぎくしゃくした感じにぴったり。ガラガラヘビはテキサスあたりの西部劇に登場する生き物だし。「えっ?!」と思うけど納得感もある。取り合わせとしても擬音語としても効いている。コーラを飲むときのついついこの句を思い浮かべながら飲んでしまいそう。今はもう半分も飲めないと思うけど。『こんせんと』(2015)所収。(三宅やよい)


May 1952016

 ナイターやふんはりのせる落し蓋

                           嵯峨根鈴子

ロ野球が開幕して二か月がたった。ナイターは球場に行くのもいいし、ほかのことをしながら家のテレビでちらちら見るのも楽しい。さて掲句はナイターを見ながら煮炊きしている鍋に落し蓋をした、それだけのことなのだけど円形の野球場そのものに蓋が被せられた様も想像されて面白い。沸き立つ歓声は煮炊きしてぐらぐら揺れる落し蓋の動きを彷彿とさせる。これが単に鍋に蓋をするだと連想がすぐドーム球場に直結してしまうし、現実をなぞるたとえになり面白くない。「落し蓋」であり、「ふんわり」のせるからいい。この二つの言葉によって離れた場所にあるものが意外性をもって重なりイメージが広がる。台所で料理をしながら毎晩ひいきチームの試合を見ている私の心にヒットした一句だった。『ラストシーン』(2016)所収。(三宅やよい)


May 2652016

 噴水の奥見つめ奥だらけになる

                           田島健一

の季語の噴水といえば、水を噴き上げるその涼しげな姿を詠むのが定石。それがこの句は噴水の水盤の奥を見つめているのだろうか。変化をつけながら水しぶきを上げて舞う噴水の穂先の華やかさに比べ、落ちる水を受け止める黒っぽい敷石は水面の変化を受け止めながらも不変である。じっと見つめていると視界そのものが「奥だらけになる」見つめている側の感覚に引き込まれてゆくようで私には面白く感じられるが「噴水の奥ってどこ?」「奥だらけって何?」と戸惑う読み手も多いだろう。季語の概念にとらわれずに対象を自身の感覚で捉えなおすことは多数の俳人が詠み込んでゆくなかで季語に付与された本意本情と考えられているものをいったん脱ぎ捨てることでもある。共感を呼び込むには難しいところで勝負している句かもしれない。「オルガン」2号(2015)所載。(三宅やよい)


June 0262016

 とほくに象死んで熟れゆく夜のバナナ

                           岡田一実

の少年雑誌に象牙の谷の話があった。象は自分の死に時を悟ると自ら身を隠し象の墓へ向かう。密林の奥深くあるその場所は象牙の宝庫だという話。本当に象がそんな死に方をするかはわからないが揚句の象はそんな野生の象だろうか。バナナと象は時間的、空間的、離れていて因果関係もない。しかし両者が「で」という助詞で接続されると大きな象の死とバナナの房が黄色く熟れてゆくことに関係があるように思えてしまう。死んだ象とバナナに夜はしんしんと更けてゆく。密接すぎても陳腐だし離れすぎても理解しがたい。そして何よりも句を生み出す根底に切実さがないと言葉は働いてくれない。そんなことを考えさせられる一句だ。そういえば井之頭公園の象のはな子も死んでしまった。空っぽの象舎を見るたび最後に横たわっていた姿を思い出しそうだ。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


June 0962016

 住み着いてから貧乏と知った猫

                           板垣孝志

の川柳ばかりを集めたアンソロジーの中の一句。猫と孫の俳句は犬も食わないと言われるが、愛情が勝ち過ぎてべろべろになってしまうからだろうか。それに俳句では季語と猫の兼ね合いが難しいが、川柳の猫は輪郭がはっきりしている。適度な距離感をもって猫が生き生きと動き回っている。可愛い写真やエッセイも楽しくお薦めの一冊である。さて掲句は朝日新聞で連載中の「吾輩は猫である」よろしく迷い込んで住み着いたものの自分のエサも危ういぐらい貧乏だと気づいた猫の感想だろうか。猫は冷静な観察者なのだ。飼い主べったりの犬とは違うドライさで飼い主も環境も分析しているのだろう。『ことばの国の猫たち』(2016)所収。(三宅やよい)


June 1662016

 父の日の父と鯰の日の鯰

                           芳野ヒロユキ

近にいてその存在すら日頃意識しない父への感謝の日。戦前の日本では親は今よりも権力を持っていたので父親は尊敬するのが当たり前そんな日は無用だったろう。戦後アメリカから日本に導入されたらしいが、定着は遅かったようだ。母親は子供に密着して嫌でも存在感があるが朝早く帰って来て夜遅く帰ってくる父親はテレビの前でゴロゴロしている姿しか思い浮かばない。沼の底深くじっと姿を消している鯰が「ナマズの日」なんて作られて沼の底から引っ張り出されてプレゼントを渡されても困惑するように父の日の父だって困っちゃうのだ。「お父さんありがとう」って言われてもなあ、、『ペンギンと桜』(2016)所収。(三宅やよい)


June 2362016

 きつね来て久遠と啼いて夏の夕

                           久留島元

つねは不思議な動物である。瀬戸内の海辺にある学校で教師をしていた時、野生の狸は時々給食の残飯をあさりに来ていたので昼間から目にしていたが、きつねは山の中で猟師の罠にかかっているのを見たのが初めてだった。野生の狐は鋭くそそけだった顔をして歯をむき出しにこちらに向かってくる勢いだった。あまり人前に姿を現すことがないから神格化されるのか。「久遠」と表記された鳴き声が、赤いよだれかけをした稲荷神社のきつねの鳴き声のようだ。きつねといえば「冬」と季の約束事に縛られた観念からは発想できない軽やかさ。夏の夕方へ解き放たれたきつねが嬉しがって時を超える啼き声を上げている。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


June 3062016

 カタバミは山崎自転車屋のおやじ

                           芳野ヒロユキ

タバミはピンクや黄色の小さな花をつけてクローバーのような葉っぱを茂らせている。路地やちょっとした茂みにおなじみの花だけど名前を知ったのは俳句を始めてからだった。ありふれているからと見過ごしているものがどれほど多い日常か。それにしてもカタバミは山崎自転車屋のおやじ、って断定がすごい。その断定がそのまま俳句になっているのもびっくりだ。まったく結びつかないようでいて一度呟いてみると忘れられないインパクトで記憶に刻み込まれてしまう。店先でパンク修理をしている頑固そうなオヤジさんが映像として浮かび上がってくるからだろうか。そうかゴツイオヤジなのにカタバミだったのか。『ペンギンと桜』(2016)所収。(三宅やよい)


July 0772016

 法善寺にこいさん通り梅雨の月

                           ふけとしこ

日は七夕だけど、この時期星々がまともに見えたことがない。どちらかと言うと雨っぽい空に恋人たちの逢瀬がはばまれる感じである。大阪で「こいさん」は末娘を表すようだけど、今はどのくらい使われているのだろう。「月の法善寺横丁」の歌詞は年配の方なら、ああ、とうなずく有名な歌だが、今どきさらしに巻いた包丁を肌身離さず修行に出るような板前もいないし、その帰りを待つこいさんもいないだろう。水かけ不動の法善寺で月を見上げれば厚い雲に覆われた梅雨空にぼんやりと白い月が透かし見える。法善寺もこいさん通りもその響きが時代に置き去りにされた遠さがあり、その距離感が「梅雨の月」に表されているように思う。「ほたる通信」2016年6月「46号」所収。(三宅やよい)


July 1472016

 かき氷前髪切った顔同士

                           工藤 惠

しぶりに会った友達同士、顔を見合わせて「髪切った?」同時に言って何となく笑いあう。向かい合ってかき氷を食べていても前髪を切った互いの顔を正面から見るのがまぶしくて、下を向いてかき氷を一匙一匙丁寧にすくって食べる。そんな光景が目に浮かぶ。前髪を切ると、 顔がむき出しになる気恥ずかしさがあって美容院でも「前髪、切りすぎないでくださいね」と美容師に念押しする女の子をよく見かける。色鮮やかなかき氷はなんといっても若者の食べ物。私などはあの氷の山を食べつくす気力はもうない。『雲ぷかり』 (2016)所収。(三宅やよい)


July 2172016

 どのくらい泣けば痩せるか答えよ虹

                           近 恵

はは、である。昔、学校で映画が上映されたとき、それこそ最初から最後まで泣いている友人がいて、いったいどこを捻ればそんなに涙が出てくるのか不思議に思ったことがある。泣くという行為は自分の感情の発散のためには必要なことかもしれないが、最後は身体がひくつくぐらい泣けるのは幼い子供の特権かと思っていた。そうか、泣いたら痩せるのか!それにしても「どのくらい泣けば痩せるか」という問を虹に答えさせるなんて!こんな虹の句は初めてみた。雨上がりの空に滲む虹も答えに窮しただろう。「はがきハイク」14回(2016年6月)所収。(三宅やよい)


July 2872016

 古傷にじんわり沁みてくる夕焼

                           金子 敦

傷はいろんな場所にある。身体にも残る古傷同様、心に残る古傷がふっとよみがえる。そんな時には思い出すことが自体が苦しく、恥ずかしく、そのときの情景や言葉が心に痛いのだ。なんて浅はかだったのだろう。西に沈んでゆく夕日が雲を染めるとともに自分の中の古傷にじんわり沁みてゆく。そんな情景だろうか。先日遥か南の島で太平洋に沈んでゆく夕焼を見た。水平線に沈んでゆく夕日の最後の光が波間に消えるまでたっぷり1時間はあっただろうか。壮大な夕焼けのただなかに立ち、古傷にじんわり沁みてゆく貴重な時間だった。『セレネッラ』第8号(2016年6月)所収。(三宅やよい)


August 0482016

 ひるがほに電流かよひゐはせぬか

                           三橋鷹女

道の植え込みなどに細い蔓をからませてピンクの花を咲かせている「ひるがほ」を見るたび思い起こす句。朝顔に似ているのにそのはかなさはなく、炎天下にきりりと花を開き続ける様子は電流が通っているようでもある。鷹女の句は機転や見立てが効いている表現が多いように思うが、それだけで終わってはいない。ひるがほを見ている自分もひるがほであり、ひるがほを通う電流は鷹女の身の内をも貫いている。しばらくは「電流かよひはせぬか」と「ゐ」をすっとばして覚えていたが、「かよひ」でしばし立ち止まって「ゐはせぬか」と自問自答することで、「ひるがほ」の存在感をたかめ、読み手にも「そうかもしれない」と思わせる呼び水になっている。鷹女の「雨風の濡れては乾きねこぢやらし」からスタートして十年、増俳木曜日を担当させていただいた。このサイトの一ファンであった私に書く機会を与えてくださった清水哲男さんと、拙い私の鑑賞を読んでいただいた方々に感謝します。ありがとうございました。『三橋鷹女全集』(1989)所収。(三宅やよい)




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