ム子句

August 1282006

 踊り込む桟敷の果の見えぬまま

                           稲畑汀子

題は「踊」で秋。旧暦の七月、旧盆の盆踊のこと。この句の場合は阿波踊、詠まれたのはちょうど一年前である。踊り込んでいるのは作者自身で、七回目の阿波踊であったという。昨年の今頃私も阿波踊の渦の中にいた。「連」と呼ばれる集団が踊る、あちこちに輪を作り踊る、裏通りで一筋の笛に踊る、皆明るい。出を待ちながら見上げる桟敷は高くどこまでも続いて見えるが、一歩を踏み出せばあとはただ踊るのみ、体の芯に不思議な灯がともる。今日から始まる阿波踊、今年も盆の月が濡れていただろうか。俳誌「ホトトギス」(2006年1月号)所載。(今井肖子)


August 1982006

 一筋の湯の町沈め星月夜

                           今井つる女

月夜、ほしづきよ、ほしづくよとも。月はなく、満天の星が月夜のように明るい秋の夜、月が主役となる前の今頃からか。〈遠きものはつきり遠し星月夜  広瀬ひろし〉とも詠まれているが、月夜より澄んだ空気感がある。掲句は、昭和36年、箱根の大平台温泉にて星野立子を囲んだ句会での一句である。その頃、祖母つる女も含め私達一家は、箱根の入り口の風祭(かざまつり)という、今思えば風情ある名前の町に住んでいた。当時は、万屋(よろずや)が一軒あるだけの山里であったが、星空、とりわけ濃く流れる銀河が忘れがたいのは、私の場合五十年近く前だからか。小学生の頃初めてプラネタリウムに行った時、たいしたことないなあ、と思ったのも忘れがたい。大平台温泉は、国道1号線から分かれる道沿いに小じんまりと宿が並ぶ。その日の第二句会の締め切りは午後八時。登山電車を降り、立子一行が待つ宿に向かう作者に、峡(かい)の空から星が降る。星月夜、という季題を得てさらりと生まれた一句と思う、しんとした夜気が感じられる。「沈む」ではなく「沈め」として軽く切れ、星月夜に焦点がしぼられる、考えてそうしたわけではないと思うが。今日八月十九日は、奇しくもつる女の祥月命日、一昨年十三回忌を修した。偶然ながら8.19,「はいく」の日。2006.8.19が土曜日なのも何かの縁かと句集を読み返し、今までに例句の少ない季題を選んでみた。今や都会ではまず出会えないということもあるけれど、美しさゆえ、句になりづらい季題のひとつと思う。『花野』(1974)所収。(今井肖子)


August 2682006

 初秋の人みなうしろ姿なる

                           星野高士

秋を過ぎても八月は残暑が厳しく、西瓜、花火、などは盆にまつわる季題とはいえ夏のイメージが強い。しかし子供の頃、八月に入ると夏休みは急に駆け足になって過ぎた。西瓜の青い甘さに、今を消えてゆく花火に、星が流れる夜空に、秋が見えかくれする。そんな秋の初めの頃をいう初秋(はつあき)。ふと目にしたうしろ姿の人々と、それぞれがひく影に秋を感じたのだろう。「人みなうしろ姿」という表現で秋のイメージを、などとは思っていない。よみ下してすっと秋の風が吹き、目が「初秋」という季題に落ち着いてしみじみとする。星野高士氏は星野立子の孫にあたり、今年、句集『無尽蔵』を上梓、掲句はその中の一句である。その句集中の〈月下美人見て来て暗き枕元〉という一句に惹かれ、お目にかかった折、作句時の心境など伺うと、何となくそんな気がしたのよね、と。衒いのない句、言葉はあとから、なのである。『無尽蔵』(2006)所収。(今井肖子)


September 0292006

 一粒の露の大きくこぼれたる

                           山本素竹

は一年中結ぶものではあるが秋に著しいので、単に露といえば秋季となる。また「露けし」「露の世」「露の身」などと使い、はかなさや涙にたとえる句も私の周りには多いが、この句のように、「露」そのものを詠んでいながら余韻のある句にひかれる。この作者には〈百万の露に零るる気配なく〉という句もあり、「一粒」と「百万」、かたや「こぼれ」かたや「零るる気配なく」対照的だが、いずれも「露」そのものが詠まれている。葉の上にあるたくさんの露を見つめていると、朝の光の中で自らの重さについと一粒こぼれる。たった一粒だけれど、一粒だからこそ、はっとしてしまう。その露はまた、虫や草木にとっては命の糧でもある。「こぼれたる」とひらがなにすることで、なお動きも見えてくる。それに対して「百万」の句は、「零るる」と漢字にして大きい景を見せている。いかにも広い早朝の野が想像されるが、「ずっと露の景が頭にあって句になっていなかったのが、ある朝家から出て足下の草を見ていたらできた」ときく。授かった一句ということか、羨ましい限り。『百句』(2002)所収。(今井肖子)


September 0992006

 月一輪星無數空緑なり

                           正岡子規

の句を、と『子規全集』を読む。この本、大正十四年発行とありちょっとした辞書ほどの大きさで天金が施されているが、とても軽くて扱いやすい、和紙は偉大だ。そしてこの句は第三巻に、明治三十年の作。満月に近いのだろう、月の光が星を遠ざけ、空の真ん中にまさに一輪輝いている。さらにその月を囲むように星がまたたく。濃い藍色の空に星々の光が微妙な色合いを与えていたとしても、月夜の空、そうか、緑か。時々、自分が感じている色と他人が感じている色は微妙に違うのではないかと思うことがあるが、確かめる術はない。しかし、晩年とは思えない穏やかな透明感のある子規の絵の中で、たとえば「紙人形」に描かれた帯の赤にふと冷たさを感じる時、子規の心を通した色を実感する。明治三十五年九月十九日、子規は三十五年の生涯を閉じる。虚子の〈子規逝くや十七日の月明に〉の十七日は、陰暦八月十七日で満月の二日後、そして今日平成十八年九月九日は、本来なら陰暦八月(今年は閏七月)十七日にあたる。前出の虚子の句が子規臨終の夜の即吟、と聞いた時は、涙より先に句が出るのか、と唖然としたが、もし見えたら今宵の月は十七日の月である。ただし、今年は閏七月があるため、暦の上の名月は来月六日とややこしい。ともあれ、月の色、空の色、仰ぎ見る一人一人の色。『子規全集』(1925・アルス)所載。(今井肖子)


September 1692006

 肘に来て耳に来て秋風となる

                           岩岡中正

風は髪に、夏の涼風は頬から首筋へ、正面から吹いてくる風は清々しく心地良い。今年は特に残暑が厳しかったけれど、日中はまだ暑いこともある九月、半袖で外を歩いていると、後ろからすっと風が来る。まず肘をなで、そして耳の後ろを過ぎる時、ひゅっと小さく音を立てるその風は、間違いなく秋風である。秋を告げながら、風は体を追い越してゆき、早々に落ち葉となった木の葉が、乾いた音をたててついてゆく。残暑がもっと厳しい頃、突然吹く新涼の風は、全身を一瞬ひやりと包む。しかし、秋もやや深まってからの風は静かに後ろから。これが冬の木枯しともなればまた、丸めた背中に容赦ない。体の他のどこでもなく、肘から耳と捉えて、まさに秋風となっている。句またがりの、五・五・七のリズムとリフレインも、読み下すと風の動きを感じさせ軽やかである。日々の暮らしの中にいて、見過ごしがちな小さな季節の変化を、焦点をしぼって詠むことで、実感のある一句となっている。俳誌『阿蘇』(2006年9月号)所載。(今井肖子)


September 2392006

 曼珠沙華はがねの力もてひらく

                           北 さとり

分の日、秋彼岸の中日である。お彼岸だから彼岸花、というのも安直な発想だが、曼珠沙華の句を探す。やはり、ほとんどの句は燃えているか、妖しく群れ咲いていることが念頭にあるか。マンジュシャゲは、赤い花、を表す梵語であるというが、やはりこの朱色が最も強い印象であり、圧倒的に群れ咲いているどこか不気味な記憶は、誰もが持っていることだろう。この句に目がとまったのは、はがねの力、の中七である。鋼(はがね)を広辞苑で調べると、鋼鉄の意の次に「強剛な素質」とある。確かに、開いたその花は花弁が大きく弧を描いて反り返り、長い蕊は一本一本が思い切り外へ伸びつつ、空へ向かって湾曲している。ふれれば、それはみずみずしい生きた花の感触に違いないのだが、ねじれつつほっそりと伸びた蕾の、一つ一つが開いていくさまを想像すると、そこには自然の持つ強い力に押し広げられていくという、どこか硬質で強固なものが感じられる。群れ咲く中の一本の曼珠沙華の花と向き合って、単なるイメージに囚われることなく、それを見つめながら「はがねの力」と詠んだ作者もまた、厳しく強い意志の持ち主であるのかもしれない。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


September 3092006

 赤とんぼ洗濯物の空がある

                           岡田順子

蛉には澄んだ空が似合う。糸蜻蛉、蜻蛉生る、などは夏季だが、赤蜻蛉も含めて、ただ蜻蛉といえば秋の季題となっている。ベランダで洗濯物を干していると、赤とんぼがつつととんでいる。東京では、流れるように群れ飛ぶことはあまり無い、ほんの数匹。空は晴れ上がり、風が気持よく、あら、赤とんぼ、と句ができる。「洗濯物の空がある」は、赤とんぼから生まれてこその、力の抜けた実感であり、白い洗濯物、青い空、赤とんぼが、ひとつの風景となって鮮やかに見える。爽やかな印象だが、爽やかや、では、洗濯物はただぶら下がっているばかりだろう。句には一文が添えられており、故郷鳥取で続けてきた句会の様子が語られている。農家の人達が、忙しい農事の合間に、公民館で月一回行っていた句会は、作者が東京に移り住んだ今も続いているという。歳時記の原点は農暦(のうごよみ)であり、俳句は鉛筆一本紙一枚あればだれでもいつでもどこでもできる。「その野良着のポケットに忍ばせた紙と鉛筆が生き甲斐の証であり、生み出す一句一句には土に生きる人達の喜怒哀楽があった」。作ることが生き甲斐であり喜びである。郷愁を誘う赤とんぼ、洗濯物は今の都会の日常生活、そしてこの空は遠いふるさとにつながっている、のかもしれないけれど、作者と一緒にただ秋晴の空を仰ぎたい。同人誌『YUKI』(2006年秋号)所載。(今井肖子)


October 07102006

 十六夜や手紙の結びかしこにて

                           佐土井智津子

秋は、近年まれに見る月の美しい秋だった。ことに九月十八日(十五夜)は、まさに良夜(りょうや)、名月はあらゆるものを統べるように天心に輝いていた。十五夜の翌日の夜、またはその夜の月が十六夜(いざよい)。現在は、いざよい、と濁って読むが、「いさよふ」(たゆたい、ためらう)の意で、前夜よりやや月の出が遅くなるのを、ためらっていると見たという。満月の夜、皓々と輝く月を仰ぐうち、胸の奥がざわざわと波立ってくる。欠けるところのない月に圧倒され、さらに心は乱れる。そして十六夜。うっすらと影を帯びた静かな月を仰ぐ時、ふと心が定まるのだ。一文字一文字に思いをこめながら書かれた手紙は「かしこ」で結ばれる。「かしこ」は「畏」、「おそれおおい」から「絶対」の意を含み、仮名文字を使っていた平安時代の女性が「絶対に他人には見せないで」という意をこめて、恋文の文末に書いたという。今は恋文はおろか、手紙さえ珍しくなってしまったが、そんな古えの、月にまつわる恋物語をも思わせるこの句は、昨年「月」と題して発表された三十句のうちの一句である。あの昨秋のしみるような月と向き合って、作者の中の原風景が句となったものだときく。〈名月や人を迎へて人送り〉〈月光にかざす十指のまぎれなし〉。伝統俳句協会機関誌『花鳥諷詠』(2006年3月号)所載。(今井肖子)


October 14102006

 林檎掌にとはにほろびぬものを信ず

                           國弘賢治

弘賢治の名前は、〈みつ豆はジャズのごとくに美しき〉の句の透明感と共に記憶の隅に。最近、彼が八歳の時に脊髄カリエスを発病し、四十七年間の生涯を病と共に過ごしたと知ったが、みつ豆の句の印象は明るい。『賢治句集』を開くと、下駄の裏を大きく見せてぶらんこを漕ぐ写真に〈佝僂(くる)の背に翅生えてをりぶらんここぐ〉の一句が添えられている。うれしそうな笑顔である。みつ豆の句は、句作を始めて間もない昭和二十四年、三十七歳の作。〈繪をかいてゐる子の虹の匂ひかな〉〈雪の日のポストが好きや見てをりぬ〉自由でやわらかい句が続く。宗教を頼んでいた時よりも俳句を始めてからの方が、解放された安らかさを得ている、という意の一文を残しているというが、身ほとりを詠み病を詠んだ句からは、作意や暗さはもちろん、健気さや、達観の匂いさえしない。昭和二十二年から亡くなる昭和三十四年まで、虚子選三百九十一句を収めたこの遺句集の、三百九十句目が掲句である。とは、は永遠(とわ)。林檎は紅玉、小ぶりでつややかな紅色と甘酸っぱさが、当時は最も親しい果物のひとつであったろう。その結実した生命を掌に包んだ時、滅びようとする肉体の中から、自らをも含む全ての生に対する慈しみがあふれ、それが一筋の静かな涙と共に一句をなした気がしてならない。病と共にある人生を、自然に、淡々と詠んだ数々の句の中に、國弘賢治は確かに生き続けている。『賢治句集』(1991)所収。(今井肖子)


October 21102006

 激し寄る四方の川水下り簗

                           星野立子

に簗(やな)というと夏季、魚簗とも書く。下り簗は秋季、文字通り川を下ってくる落鮎などを捕るための仕掛けである。今年の名月、関東地方は概ね無月であったが、深夜、雨で水かさの増えた栃木県の那珂川には、鮎三百キログラム(約五千匹?)、鰻百本が落ちたという。那珂川のみならず日本中のあちこちの川で、満月に鮎が次々に落ちていく、と想像すると幻想的である。落鮎の句を探して歳時記を開くと、隣の「下り簗」のところにこの句が。いかにも立子らしいと言われる句、ではない気もして調べると、昭和十一年、利根川での吟行句とわかる。句日記に「(簗は)想像してゐた以上の美事なものだと思ふ。」とあるので、簀(す)を張り渡した本格的なものだったのだろう。初めて目にする簗、川原に相当長い時間立ち続けていたようである。その足に、力強い水音が絶えず響いている。秋の日差しは思いの外強く、簀にぶつかった白い水しぶきに吹き上げられて鮎がはね、小石がはねる。激し寄る、に見える僅かな主観は季題にのみ向けられ、四方(よも)の川水が、一気に簗に落ち込んでいく。蝶に目をとめて一句、釣り人に会い一句、この日の吟行句、書き残されているものは十四句だが、呼吸をするように作句していたことだろう。俳句は自分のために作るもの、ただ作っているときは、本当に楽しい。息抜きにもなったであろう吟行だが、じっと川を観ている立子の凛とした姿が浮かぶ。『虚子編新歳時記』増訂版(1951・三省堂)所載。(今井肖子)


October 28102006

 セーターを手に提げ歩く頃が好き

                           副島いみ子

ーターは冬の季題だけれど、この句の季感は晩秋か。秋晴の朝。今はちょうどよいけれど夜は冷えるかも、かといってジャケットを持って歩くのも邪魔だしと、薄手のセーターを手にとり家を出る。駅までの道を歩きながら、小鳥の声を仰ぎ、青空を仰ぎ、きゅっと引き締まった空気を思いきり吸って、ああ、今頃が一番好きだなあ、とつぶやく言葉がそのまま一句となった。うれしい、楽しい、好き、などは、悲しい、寂しい、嫌いよりなお一層、句に使うことが難しい。「楽しい、と言わずに、その気持を表してみましょう」などと言われてしまう。この句は、好き、というストレートな主観語が、セーターという日常的なものに向けられることで、具体的になり共感を呼ぶ。同じページに〈何笑ふ毛絲ぶつけてやろかしら〉というのもある。丸くてやわらかい毛糸玉だからこそ、作者もくすくす笑っており、ほほえましい様子がうかがえる。何れも昭和三十年代、作者も三十代の頃の句。したがってセーターは、軽く肘を曲げ腕にかけているのであり、無造作に掴んだままだったり、間違っても腰に巻いたりはしない。副島(そえじま)いみ子氏近詠。〈まんまるき月仰ぎゐてつまづきぬ〉〈長生きもそこそこでよし捨扇(すておうぎ)〉『笹子句集第一』(1963)所載。(今井肖子)


November 04112006

 十三夜に育つ月よと話しつつ

                           酒井郁子

三夜、後の月。今年は十一月三日、昨晩だった。後の月を愛でるに至った経緯は諸説あるが、日本だけの風習というのは一致するところのようである。初めて、十三夜、という言葉を認識したのは、中学の国語の時間、文学史の中の樋口一葉の小説の題名としての「十三夜」。主人公のお関は、当時で言えば玉の輿に乗るが、子をなしてから冷たくなった夫との生活に悩み、十三夜の晩に、そっと実家を訪ね、父母に離婚もいとわない思いをうちあける。しかし結局父親に諭され、自らの境遇を運命として受け入れ婚家に戻ってゆくのである。十三夜、の象徴するものは何なのだろう。15−2=13と見るならば、欠けていることになるその部分、お関の満たされない心、当時の社会への不満とも感じられる。しかし、13+2=15と見れば、もしかしたらこの先、もっと自由に満ちた時代が来るかもしれない、という、実生活でも苦しみの多かった一葉の希望が託されているようにも思えてくる。晩秋のひんやりと澄んだ空にうかぶ後の月。この句は、この月は育つ月、これから満ちていく月だ、と語っている。上六になっても、十三夜に、としたことで、月を見上げつつ二言三言、また見上げている様子が具体的に見える。小説「十三夜」が世に出て百年余、確かにある意味自由な時代にはなった。『笹目行』(1989)所収。(今井肖子)


November 11112006

 転びても花びらのごと七五三

                           今井千鶴子

歳の時私が着た七五三の着物は、母が七歳の時の着物を仕立て直したものだった。三歳違いの妹は、お姉ちゃんのお下がりはいやだ、と言い、祖母の綸子(りんず)の長襦袢を仕立て直した。妹のその着物の淡い水色と、髪をきゅっと結んで千歳飴を握りしめている顔が、遙かな記憶の彼方にくっきりとある。そして六年前、同じ水色の着物を着て、姪は七歳を祝った。着てはほどき、洗い張りしてまた仕立てる。優れた文化だとつくづく思う。この句の女の子の着物は赤だったという。二年前の十一月、作者は近所の世田谷八幡に一人散歩に。さほど大きくない神社だが、それでも土曜日とあって色とりどりの親子連れでにぎわっていた。と、目の前でひときわ目立ってかわいい赤い着物の女の子が、あっというまもなく転んでしまった。はっとしながらも、特に一句をなすこともなく数日が経つ。ある日、次の句会の兼題が「七五三」と気づき、「七五三、七五三」と考えながら歩いていたら、あの時の光景とともに「この句がはらりと天から降ってきた」ので「推敲はしていない」そうである。いわゆる「ごとく俳句」は避けましょう、が常識だが、この句は、転んで花びらに見えたのではなく、花のように愛らしい女の子は、転んでもなお花びらのようだったのである。寒冷の地では、七五三は十月に行うところも多いと聞くが、十五日をひかえた週末、あちこちの神社が賑わうことだろう。世田谷八幡に行ってみようか、句が降ってくる可能性は極めて低いけれど。『珊』(2005年冬号)所載。(今井肖子)


November 18112006

 大仏の屋根を残して時雨けり

                           諸九尼

句を始めて新たに知ったことは多い。十三夜がいわゆる十五夜の二日前でなく、一月遅れの月であることなどが典型だが、さまざまな忌日、行事の他にも、囀(さえずり)と小鳥の違いなど挙げればきりがない。「時雨」もそのうちのひとつ、冷たくしとしと降る冬の雨だと漠然と思っていた。実際は、初冬にさっと降っては上がる雨のことをいい、春や晩秋の通り雨は「春時雨」「秋時雨」といって区別している。「すぐる」から「しぐれ」となったという説もあり、京都のような盆地の時雨が、いわゆる時雨らしい時雨なのだと聞く。本田あふひに〈しぐるゝや灯待たるゝ能舞臺〉という句があるが、「灯(あかり)待たるゝ」に、少し冷えながらもさほど降りこめられることはないとわかっている夕時雨の趣が感じられる。掲句の時雨はさらに明るい。東大寺の大仏殿と思われるのでやはり盆地、時雨の空を仰ぐと雲が真上だけ少し黒い雨雲、でも大仏殿の屋根はうすうすと光って、濡れているようには思えないなあ、と見るうち時雨は通り過ぎてしまう。さらりと詠まれていて、句だけ見ると、昨日の句会でまわってきた一句です、と言っても通りそうだが、作者の諸九尼(しょきゅうに)は一七一四年、福岡の庄屋の五女として生まれている。近隣に嫁ぐが、一七四三年、浮風という俳諧師を追って欠落、以来、京や難波で共に宗匠として俳諧に専念し、浮風の死後すぐ尼になったという、その時諸九、四十九歳。〈夕がほや一日の息ふつとつく〉〈一雫こぼして延びる木の芽かな〉〈けふの月目のおとろへを忘れけり〉〈鶏頭や老ても紅はうすからず〉繊細さと太さをあわせもつ句は今も腐らない。『諸九尼句集』(1786)所収。(今井肖子)


November 25112006

 大熊手使へぬ小判食へぬ鯛

                           柴原保佳

度聞いただけで覚えてしまう句というのがある。たいていリズムがよく、くっきりとしている。昨年の十一月知人が、昨日の句会で先生の特選だった句よ、と教えてくれたこの句、以来忘れられない。季題は熊手、十一月の酉の日に開かれる酉の市で売られる、開運、商売繁盛の縁起物である。今年の十一月十六日は二の酉、小春日がそのままゆるゆる暮れてしまったような宵の口に、浅草の鷲(おおとり)神社に出かけた。入り口には提灯がずらりと掲げられ、とにかく明るい。その光の中に一歩を踏み入れると、両側にぎっしりと熊手が売られている。店ごとに工夫が凝らされているが多くは、お福面を中心に、鶴亀、松竹梅、宝船、扇、注連縄、招き猫等々がこれ以上めでたくなれないとばかりに熊手の表を飾り、ひときわ輝く大判小判は、伍十両、百両とざくざくである。そして一番下に、真っ赤な鯛が向かい合ってはねている。この句の作者は、東京下町で創業百年の老舗の店主、幼い頃から熊手を見て育ったのだろう。この小判や鯛が本物だったら、それは誰もが思うはずである。しかし、いざ俳句に詠もうとすると、他の人が気づかないような発見や表現や情などを模索し、熊手の裏側をのぞいてみたりする。使へぬ小判食へぬ鯛、は、リズムがよいだけでなく、熊手に飾られた数々の福の中から、巧みに人間の欲望の象徴を抜き出してみせて小気味よい。人伝に聞いて覚えた句、出典を求めてホトトギス雑詠欄を探すと、四月号の二句欄に発見。並んで〈私も無料老人竹の春〉。「ホトトギス」(2006年4月号)所載。(今井肖子)


December 02122006

 人ゐれば人の顔して寒鴉

                           浅利恵子

朝もお隣のアンテナに鴉が止まっている。都会でも、都会だからか、鴉を見かけない日はない。したがって、ただ鴉といっても季節感は乏しく、鴉の巣が春季、鴉の子が夏季、初鴉は正月といった具合である。寒鴉は冬季、寒中の鴉のこと。河鍋暁斉の「枯木寒鴉図(こぼくかんあず)」なる絵は、枯れ枝の先にとまっている一羽の鴉の孤高な姿を描いて厳かな雰囲気さえ感じられるが、この句の寒鴉はどこか親しい。東京あたりで見られるのは、おでこの出っ張った嘴の太いハシブトガラスが大半だが、農村地帯、低山地に多く見られるのはハシボソガラス、細く尖った嘴を持ち顔もすっきりした印象である。浅利恵子さんは秋田の方なので、この場合の鴉はハシボソだろう。「朝、ごみを出しに行ったらちょこんと待っていたのよ」とお聞きした記憶がある、二年前だ。あ、カラス、と思ったその一瞬、またゴミを散らかしに来たとばかりに追い払うことなく、にっこり笑って鴉と少しの間話していたのかもしれない。賢く抜け目のない様子を、人ゐれば、それでもどこか憎めない親しさを、人の顔して、と、いかにも鴉が見える一句となった。厳しい冬を共に生きるものへのあたたかな眼差しも感じられるこの句は、平成十六年第三回芦屋国際俳句祭の募集句の中から、高浜虚子顕彰俳句大賞を受賞。「代表句はなんですか、と聞かれることがあるのだけれど、まだまだこの先もっと佳い句が詠めるかもしれない、と思うと、この句です、とは決められないの」と笑いながらおっしゃっていた。生まれ育った秋田の自然を慈しみ、日々の暮らしの中でさりげない佳句を多く詠まれたが、先日急逝された、享年五十八歳。〈あきらめは死を選ることと雪を掻く〉それでも厳しい雪との暮らしもまた好き、と、いつも前向きなまま駆け抜けてしまわれた。前出の俳句祭募集句入選句集に所載。(今井肖子)


December 09122006

 赤く蒼く黄色く黒く戦死せり

                           渡辺白泉

車の中での高校生らしき二人連れの会話。「日本とアメリカって戦争したことがあるんだって」「うそ〜、それでどっちが勝ったの?」……つい最近知った実話である。そんな彼等が修学旅行で広島へ長崎へ、遺された悲惨な光景に涙を流す。しかしそれは映画を観て流す涙と同質のものであり、やがて乾き忘れられていくのだ。体験していないというのはそういうことだろう。かくいう私も昭和二十九年生まれ、団塊の闘士世代と共通一次世代のはざま、学生運動すら体験していない。〈白壁の穴より薔薇の国を覗く〉〈立葵列車が黒く掠めゐる〉〈檜葉の根に赤き日のさす冬至哉〉鮮やかな色彩が季題を得て、不思議な感覚で立ち上がってくる白泉の句。しかし掲句にあるのは、燃えさかり、溢れ出し、凍え、渦巻く、たとえようもない慟哭に包まれた光景であり、それは最後に燃え尽きて暗黒の闇となり沈黙するが、読むものには永遠に訴え続ける。前出の会話は、宇多喜代子さんがとある講座で話されていたのだが、その著書『ひとたばの手紙から・戦火を見つめた俳人たち』の中で初めてこの句にふれ、無季だからと素通りすることがどうしてもできなかった。季題の力が、生きとし生けるものすべてに普遍的に訪れる四季に象徴される自然の力だとすれば、その時代には、生きているすべての命にひたすら戦争という免れがたい現実が存在していた。今は亡き、藤松遊子(ゆうし)さんの句を思い出す。〈人も蟻も雀も犬も原爆忌〉『ひとたばの手紙から』(2006・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


December 16122006

 猫の耳ちらと動きて笹鳴ける

                           藤崎久を

告鳥(はるつげどり)とも呼ばれるウグイス、その鳴き声といえば「ホーホケキョ」。春まだ浅い頃に繁殖期を迎え巣を作った雄は、その声で雌を誘う。お互いの縄張りを主張し、タカなど大きい鳥を警戒するための谷渡りなど、人が古くから愛でてきたさえづりも、ウグイスにとってはまさに生きぬくためのものだ。やがて夏、ヒナが生まれ、秋を経て若鳥に成長、晩秋から冬にかけて人家の近くにおりてきて「チッチチッチッ…」と小さく地鳴きするのを、笹鳴(ささなき)と呼び、目立ってくるのは冬なので冬季となっている。やはりあたりを警戒するためというが、繁殖期と違い不必要に大きい声は出さない。一方の猫、犬以上の聴力を持ち、20m離れた2つの音源の40cmの差違を聞き分けるという。イエネコといえども狩猟本能は健在、笹鳴きに敏感に反応した瞬間をとらえた一句である。作者は日だまりでのんびりしている猫を見ていたのか、まず猫の耳がかすかに動く。その時、猫だけがウグイスの気配をとらえており、作者は気づいていない。と、次の瞬間小さく笹鳴が聞こえたのだ。動きて、が猫の一瞬の鋭い本能をとらえ、冬の日だまりの風景に余韻を与えている。阿蘇の広大な芒原に〈大阿蘇の霞の端に遊びけり〉という藤崎さんの句碑が建っている。句集『依然霧』の後書きには、阿蘇の自然への敬虔な思いと共に、「造化のまことの姿に自分を求めつつ、一つの道を歩きつづけるつもりである。」という一文が添えられているが、1999年惜しまれつつ亡くなられた。依然霧、三文字の短詩のようだが〈水音のしてきしほかは依然霧〉の一句より。『依然霧』(1990)所収。(今井肖子)


December 23122006

 装ひてしまひて風邪の顔ありぬ

                           田畑美穂女

邪は一年中ひくものだが、やはり風邪の季節といえば冬だろう。十二月になると、テレビでも毎年のように風邪薬のCMが目立ってくる。虚子に〈死ぬること風邪を引いてもいふ女〉という一句があるが、作者の田畑美穂女さんは、大阪の薬の町として名高い道修町(どしょうまち)の薬種商の家に生まれ、長く製薬会社の社長を務めた方である。風邪くらいで死ぬなどと言うのはもってのほか、仕事を休むこともせず朝からシャキッと着物を召し帯を締め終えて、さあ出かけようと鏡を見た。するとそこには、気持とはうらはらにぼんやりと風邪に覆われた顔が、正直に映っていたのだろう。装う、は身支度をすることだが、いつもより少し気の張った身支度だったのかもしれない。ああ、やっぱり風邪だわ、と思うとなにやら力が抜け、着付けた着物が急に重く感じられ、そのため息のような気持が、顔ありぬ、の下五に表れている。しかしそこで、その気持を一句にするところがまた、虚子門下の女傑、ユニークでおおらかと言われた所以であろう。ある句会の前、虚子に「昨晩、三句出句の句会で、四句先生の選に入った夢を見ました」と言い、虚子がその話を受けて、〈短夜や夢も現も同じこと〉という句を出したという逸話も残っており、その人柄句柄は多くの人を惹きつけた。『田畑美穂女句集』(1990)所収。(今井肖子)


December 30122006

 人々の中に我あり年忘

                           清崎敏郎

較的広い、いわゆる居酒屋のような店で飲んでいると、初めは、自分も含めてそこに居合わせた一人一人をくっきり認識しているのだが、酔いがまわって来るにつれ、すべてが独特のざわめきの中に埋没してくる。二度と同じ空間や時間を共有することはない多くの愛すべき人々は、言葉は交わさなくてもお互いに不思議な居心地の良さを作り出すのである。ただの酔っぱらいの集団でしょ、と言われれば否定できないし、静かなところでゆっくり飲むのが好きという向きもあろうが、このざわざわが妙に落ち着くのだ。作者がお酒を好まれたときいて、この句を読んだ時、そんな空間に身を置いて、ふっと我にかえってしみじみとしながらも、ひとりではない自分を感じている、そんな気がした。年忘(としわすれ)は忘年会のことだが、もとは家族や親戚、友人と、年末の慰労をするささやかなものをいったようである。歳時記を見ると、会社などの大人数のものを忘年会と呼び、千原草之(そうし)に〈立ってゐる人が忘年会幹事〉と、いかにも賑やかな雰囲気の一句も見られる。この句も、あるいは一門の納め句座の後の酒宴で、人々とは、共に切磋琢磨した句友なのかもしれない。ただ、年惜しむ、や、年の暮、ではないところで、つい酒飲み的鑑賞になってしまった。御用納めもすんで晦日の今日、連日の年忘にお疲れ気味、という方も多い頃合いか。しかしもう二つ寝れば今度はお正月、皆さま御大切に。「ホトトギス新歳時記」(1996・三省堂)所載。(今井肖子)


July 0472015

 絵にしたき程に履かれし登山靴

                           中村襄介

物画を描こうと花瓶の花と向き合ったり、旅先でスケッチブックを開いて目の前に広がる風景を写したりする時は、描こうという気持ちが先にある。それとは別に、ふと描いてみたいという衝動に駆られる時があるがそれは、ひょいと覗いた路地裏だったり、無造作に積まれた野菜だったり、およそ描かれることを意識していないようなものが多い。この句の登山靴はかなり履き込まれていてそれが今、静かに脱がれ置かれている。どれほどの大地を踏みしめてきたのか、二つと同じものはないその形は、持ち主と共に過ごした時間の形でもあり、描きたい、と思った作者に共感する次第である。『山眠る』(2014)所収。(今井肖子)


July 1172015

 花柘榴雨きらきらと地を濡らさず

                           大野林火

榴の花の赤は他のどの花にもない不思議な色だ。近所に、さほど大きくない柘榴の木が門のすぐ脇に植えられている家がある。今年も筒状の小さい花が、ことさら主張することなくそちこち向きつつ葉陰に咲いていたが、自ずと光って通りがかりの人の目を引いていた。その光る赤を表現したい、と思ったことは何度もあるのだが今ひとつもやもやしたまま過ごしていた時この句を知った。細かい雨の中、柘榴の花が咲いている。きらきら、は柘榴の花そのものが放つ光の色であり、雨は光を溜めて静かに花を包んでいる。その抒情を、地を濡らさず、という言い切った表現が際立たせており、作者の深く観る力に感じ入る。『季寄せ 草木花 夏』(1981・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


July 1872015

 パラソルの精一ぱいの陰つくる

                           豊田いし子

ルは太陽、パラソルは太陽から身を守るという意味だといい、日傘の傍題となっているが、この句のパラソルは砂日傘、ビーチパラソルを思わせる。それも、込み合った砂浜にところせましと立ち並んでいるのではなく、広々とした砂浜に一本だけ、少し傾き立っているビーチパラソル。白い砂の上にパラソルが作るくっきりとした八角形は、一面の光の風景の中のただ一つの影であり陰である。決して大きくはないその陰を作るだけのためにそこにあるパラソル、心象風景のような一枚の絵が浮かんでくる。先日、海水浴場の光景をテレビで見たが、砂浜にはパラソルならぬテントが並んでいた。昨今の異常な日差しにはこの方が合理的ではあるが、精一ぱいという健気さはないだろう。『曙』(2015)所収。(今井肖子)


July 2572015

 見てをれば星見えてゐる大暑かな

                           対中いずみ

年、二十四節気の大暑は二十三日の木曜日だった。村上鬼城に〈念力のゆるめば死ぬる大暑かな〉の句があるが、しばらくは続くであろう極暑の日々を思うとまさに実感、という気がしてくる。鬼城句に対して掲出句は、もう少しゆるりとした大暑の実感だ。夕暮れ時となればさすがに暑さもややおさまって、窓を開けて空を仰ごうという気も起きる。そんな時、初めは何も見えないけれどそのうちに目が慣れてぽつりぽつりと星が見えてくる、という経験は誰にもあるはずだが、見えてゐる、によってまさに、いつのまにか、という感覚が巧みに表現されている。そして、ああ本当に今日も暑かった、とさらにぼんやりと空を見続けてしまうのだろう。『巣箱』(2012)所収。(今井肖子)


August 0182015

 悲しさを漢字一字で書けば夏

                           北大路翼

の句集『天使の涎』(2015)を手にした時は春だった。そして付箋だらけになった句集はパソコン横の「夏の棚」に積まれ今日に至った。悲しさは、悲しみより乾いていて、淋しさより深い。夏の思い出は世代によって人によって様々に違いないが、歳を重ね立ち止まって振り返ることが多くなって来た今そこには、ひたすら暑い中太陽にまみれている夏のど真ん中で、呆然と立ち尽くしている自分がいる。暦の上では今年の夏最後の土曜日、来週には秋が立つ。他に〈冷奴くづして明日が積みあがる〉〈三角は全て天指す蚊帳の中〉〈拾ひたる石が蛍になることも〉〈抱くときの一心不乱蟬残る〉。(今井肖子)


August 0882015

 新涼や白寿へ向かふよき寝息

                           船橋とし

則的で安らかな寝息をたててぐっすり眠っている方は、向かふ、ということなので御年九十八歳ということになる。その穏やかな眠りを傍らで見守っている作者の気持ちに寄り添うように、窓から運ばれてくる新涼の風は心地よくやさしい。この句を読んでふと父を看取ったときのことを思い出した。それは静かで規則的な寝息なのだが少しずつ間遠になりながら、確実に終わりに向かっていった。縁起でもない連想で申し訳ないけれどその記憶が、よりいっそうこの句の、よき寝息、の健やかさを実感させた。毎年のことではあるけれど、暦とはうらはらに猛暑続きの毎日、新涼、の心地よさを実感できる日が待たれる。『輪唱』(2014)所収。(今井肖子)


August 1582015

 手花火の小さく闇を崩しけり

                           蔵本聖子

ち上げ花火ならお腹に響くくらいに大きい単純なのが、手花火なら線香花火が好ましい、というのは勝手な私見である。もちろんよくフィナーレに使われる連発の花火も美しいし、手で持ってくるくる回したりするのも楽しくはあるのだが。いずれにしても闇あってこその花火、この句の花火は線香花火だろう。小さく闇を崩す、と感じさせるのは牡丹が終わって大きい火の玉ができて、すこし沈黙した後の松葉が始まるあたりか。あの独特の音と細かく繊細な火花は、一瞬そこにある闇とぶつかってその闇を崩したかと思ううちに、すぐ弱まり雫になって燃えおちる。そんな線香花火とその後ろにある大きな闇を、少し離れたところから見ている作者なのだろう。『手』(2015)所収。(今井肖子)


August 2282015

 桔梗の蕾の中は砂嵐

                           冬野 虹

角形の鋭角を見せながらふっくらと閉じている桔梗の蕾。花弁が重なり合って文字通りつぼんでいる多くの他の花の蕾とは違い、桔梗の蕾の中には明らかに空間が存在する。咲けば消えてしまうその閉ざされた空間に、宇宙のような無限を感じるというのならありがちな発想かもしれないが、砂嵐、と言われるとふと立ち止まってしまう。砂嵐でまず頭に浮かんだのはなぜか本物の砂の嵐ではなく、アナログテレビから出ていたいわゆるスノーノイズと呼ばれるものだった。あの無機質でモノクロの世界に続いている単調な雑音にしても、本当の砂嵐の混沌にしても、ぽん、と花が咲いた瞬間に消え去り、そこには凛とした桔梗の姿が生まれるのだ。『冬の虹作品集成』第一巻『雪予報』(2015)所収。(今井肖子)


August 2982015

 真つ直ぐに闇を上つてゆく花火

                           岸田祐子

見何ということのない句だが、打ち上げられてから花開くまでのわずかな時間を見つめている、作者を含めた多くの花火見の人々の緊張感がうまく表現されている。虚子の句に〈空に伸ぶ花火の途の曲りつゝ 〉があり、実際は微妙に揺らぎながら上っていくが、真っ直ぐ、の語の勢いが読み手に大輪の花火の輝きと全身に響く音の爽快感を感じさせる。八月も終盤、七月に始まったそちこちの花火大会ももう終わりだなと関東の花火大会を検索すると意外にも、九月、十月と結構予定されている。確かに空気が澄んできてくっきり見えるのかもしれないが、なんとなく気持ちがのらないような気がするがどうなのだろう。『南日俳壇』(「南日本新聞」2015年8月27日付)所載。(今井肖子)


September 0592015

 星月夜縄文土器にある指紋

                           矢野玲奈

供の頃屋根の上に寝転がっていつまでも星を見ていた夜、当時言葉は知らなかったがまさにあれが星月夜だった。星は、自分で輝いているもの、そうでないもの、今生きているもの、とっくに消えてしまったもの、とさまざまでありそんな夜は、無数に散りばめられた星という光の不思議な力に満ちていた。月への親しさとは異なり星には、ことに満天の星空には憧れや畏れや様々な感情が湧きおこる。隈なく照らしているようでいて幻想的な星明りのもとにある縄文土器を想像してみると、数千年かそれ以上前のヒトの指の跡がそこにあるという明瞭な真実に、時間というどこか不確かなものが見え隠れして星空への不安と呼応する。そんな美しいだけではない独特の星月夜の詩情がある一句だ。『森を離れて』(2015)所収。(今井肖子)


September 1292015

 芋虫に芋の力のみなぎりて

                           杉山久子

虫といえば丸々と太っているのが特徴だ。手元の歳時記を見ても〈芋虫の一夜の育ち恐ろしき〉(高野素十)〈   芋虫の何憚らず太りたる〉(右城暮石)、そしてあげくに〈   命かけて芋虫憎む女かな〉(高浜虚子)。なにもそこまで嫌がらずともと思うが。しかしこの句を読んであらためて、元来「芋虫」はイモの葉を食べて育つ蛾の幼虫のことだったのだと認識した。大切なイモの葉を食い荒らす害虫として見れば太っていることは忌々しいわけだが、ひとつの生き物、それも育ち盛りの子供としてみれば、まさに生きる力がみなぎっているのだ。芋の力、の一語には文字通りの力と、どこか力の抜けた明るいおもしろさがあって数少ないポジティブな芋虫句となっている。「クプラス」(2015年・第2号)所載。(今井肖子)


September 1992015

 頬ぺたに當てなどすなり赤い柿

                           小林一茶

規忌日ということで歳時記を見ていたら、子規の好物であった柿の項に掲出句があった。赤く熟した柿を手にとって頬に当てる、という仕草は一茶と似合っているようないないような、と思ったら前書きに「夢にさと女を見て」とある。さとは一茶と最初の妻との間に生まれた長女だが生後四百日で亡くなっている。夢の中でさとがその頬ぺたに赤い柿を当てたりしている、と読むのもかわいらしいが、この、頬ぺた、は作者自身の、頬の辺り、という気がする。たった一歳で別れた我が娘、思い出すのはいつもただ泣きただ笑うその顔の特に丸くて赤い頬であり、夢に出てきた我が娘の頬の赤が目覚めてからも眼裏にはっきり浮かんでいたのだ。ちょうど熟した柿が生っていたのか置かれていたのか、赤い柿を手に取って思わずそっと頬に当ててみるが、柿はその色とは裏腹にひんやりと固かったに違いない。それでも愛おしむ様にしばらく柿を手に夢の余韻の中にいた作者だったのではないだろうか。『新歳時記 虚子編』(1951・三省堂)所載。(今井肖子)


September 2692015

 秋蟬は風が育ててゐるらしく

                           大牧 広

年東京はみんみんが多かったが、台風の影響もあってか蝉の季節はふっつりと終わった気がする。そんなこの連休に海辺の町まで少し遠出した。一時間半ほど電車に揺られて駅に降り立つと、爽やかな風にのって蝉の声が聞こえてきた。残暑の町中で聞く残る蝉は、暑苦しくいつまで鳴いているのかと思うものだが、秋の海風に運ばれてくる蝉声はからりと心地よく不思議と懐かしささえ覚えたのだった。仲間より少し遅れて目覚めた秋の蝉は、そうか風が育てているのか、と深く納得させられ、ゐるらしく、にある清々しい風の余韻に浸っている。『俳句』(2015年10月号)所載。(今井肖子)


October 03102015

 今何をせむと立ちしか小鳥くる

                           ふけとしこ

ビングのテーブルに座っていて、ちょっとした用事を思いついてキッチンへ向かった時、庭の木の実を啄んでいるきれいな色の小鳥に目が留まる。しばらく見ているがそのうち、ここに立っているのは小鳥を見るためじゃなかったはず、と気づくがさて何だったか。最初はそんな風に思ったのだがだんだん違う気がしてきた。例えば、何かしようとして立ち上がり、ちょっと他のことに気を取られているうちに、待てよそもそも何が目的だったのかやれやれ、としばし立ち止まって考えている作者。その時、小鳥の声が聞こえたかちらりと姿が見えたのか、秋が深まってきたことを感じながらふと和らいだ心地がしたのではないか。そんなやさしさのにじむ、くる、なのだろう。「ほたる通信 II」(2015年9月号)所載。(今井肖子)


October 10102015

 人の灯を離れて神の月となり

                           内原弘美

もいよいよ細くなり本日の月の出は午前三時過ぎだが、今年は佳い月が楽しめた。ことに満月、自宅ベランダから見ていると、新宿のビル群とその先の東京タワーの間に見え始めてからしばらくの間妖しいほどに赤かった。〈ビルにぶつかりながら月昇りけり〉(内原弘美)。ゆらりゆらりと街の灯を脱ぎ捨てながら昇ってゆく月は、濃い闇の中で次第に強く白く、孤高の存在となっていった。地上にゆらめく灯はそこに生きとし生けるものと共に存在し、天心に輝く月は変わらず神々しい光を放ち続ける。人の灯、神の月、短い一句の中にある確かな表現が大きい景を生み、人と月との長く親しい関係をも思わせる。掲出句はいずれも『花鳥諷詠』(2015年10月号)所載。(今井肖子)


October 17102015

 秋刀魚焼くどこか淋しき夜なりけり

                           岡安仁義

漁続きや価格高騰と言われながらも、このところまあまあの大きさと値段の秋刀魚が近所の魚屋に出始めてうれしい。七輪で炭火焼は残念ながらできないのだが、この句の秋刀魚は庭に置かれた七輪の上でこんがり焼かれている。縁側に腰かけて、あるいは庭の中ほどで膝をかかえて、姿の良い秋刀魚をじっと見つめながら焼いている作者。目を上げると茜色だった空は暗くなっており虫の声も聞こえ始めている。秋刀魚が焼き上がればいつもと変わらない食卓が待っていてことさら淋しさを感じる理由もないのだがどこか淋しい。美しい魚が焼かれてゆくのを見ていたからなのか、肌寒さを感じてふと心もとなくなったのか、いずれにしても深秋の夜ならではの心情だろう。『俳句歳時記 秋』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


October 24102015

 わが影と酌みゐる雨の十三夜

                           大野崇文

初めの帰り道、空を見上げると薄い月がひらりと浮いていた。日が落ちるとぐっと冷え込むこのところだがそう言えば明日は十三夜、南中時刻は午後十時少し前だという。十三夜はそれだけで風情があり、雨の十三夜となればいっそうもの淋しいはずだが、掲出句を読むと淋しさというより、ゆっくりと一人酒を酌みながら深まる秋の夜を楽しむ作者が見えてくる。雨の向こう側の少し欠けた月に自分自身の姿を重ねたりもしながら、そこには優しい時間が流れている。他に〈塗椀の手にひたと添ひ後の月〉〈   しづかなる水のこころに後の月〉。「月が遊んでくれているような思いもある」(句集あとがきより)という作者の月への思いは静かで、深い。『遊月抄』(2008)所収。(今井肖子)


October 31102015

 あぐらゐのかぼちやと我も一箇かな

                           三橋敏雄

んと置かれている、と形容するにふさわしいものの一つが南瓜だろう。大ぶりで座りがよくごつごつ丸い。確かにその姿は、胡坐をかいているような安定感がある。目の前に置かれてある南瓜の前で作者も胡坐をかいていて、その空間には南瓜と二人きり。じっと見ているうちになんとなく、ここに在るのは南瓜その他計二個、という気分になってくる。それは自虐とまでは言えない少し笑ってしまうような微妙な感覚だ。そんな気持ちにさせてくれる物は、よく考えると南瓜以外に無いかもしれない。個と箇は、意味その他大差は無いが、人偏より竹冠の方が一層モノ感が増す。この時期、ハロウイーン騒ぎで世の中に南瓜が蔓延していて、南瓜嫌いとしては辟易している。本日まさにその万聖節の前夜祭らしいが、歳時記の南瓜の項を読んで掲出句に出会えたのがせめてもの幸せだ。『新日本大歳時記 秋』(講談社・1999)所載。(今井肖子)


November 07112015

 秋灯に祈りと違ふ指を組む

                           能村研三

感の中でもっとも失われる可能性が低い、つまり生きていく上での優先順位が高いのが触覚で、特に手指の先に集中しているという。そう言われてみると、ヘレンケラーも指先に触れた水の感覚に何かを呼び覚まされたのだった。もし今光と音を失ったとしても、大切な人の頬を両手で包みそして包まれれば、そこには確かなものが通い合うだろう。そうやって生きている限り、手指は言葉以上に語り続ける。掲出句、気づいたら無意識に祈るような形に指を組んでいた、というだけなのかもしれない、そんな秋の夜。あるいは、その手指は二度とほどかれることはなく、その瞳も開かれることは無いのかもしれない。作者が見つめる組まれた指は、ひとつの人生を終えた持ち主と共に長い眠りにつく、とは、父の忌を修したことによる感傷的な解釈か、と思いつつ更けゆく秋の夜。『催花の雷』(2015)所収。(今井肖子)


November 14112015

 想像力欠けた男のくしやみかな

                           椿屋実梛

中、この句の三句前に〈 B型の男くぢらのごと怒る〉とある。同一人物か否かはわからないがいずれも、やや冷めた目で目の前の男性をしっかり観ている作者である。想像力に欠ける、とは具体的にどういうことなのかと考えると、相手の立場を思いやることができない、自己中心的である、というのもその一つだろう。そろそろ解放されたいなと思っていた作者の前でひたすらマイペースでしゃべり続けていた男が、ハクションチキショー、みたいな大きいクシャミをする。我に返ったかのように、お、もうこんな時間か、オレ帰るわ、などと言って歩き出す彼は、クシャミも含めデリカシーの感じられない存在である。ちなみに同集中に〈蛞蝓のやうな男に好かれをり〉という句もある。鋭い観察眼と巧みな表現力に感心しつつ、作者の幸せを願っている。『ワンルーム白書』(2015)所収。(今井肖子)


November 21112015

 向き合うて顔忘らるる冬泉

                           飯田冬眞

々無事に生きていることが奇跡に近いような気もしてくる昨今だが、生きているからこその悲しみもある。人の記憶のメカニズムはまだまだはっきりしていない部分が多い上、個々の心の中に秘められたものは記憶も含め永遠に本人以外にはわからない。大切な人が目の前にいてじっと見つめ合っていても、その人の眼差しは自分に向けられていながら自分を認識してはくれない。でもそこにはぽつりぽつりと会話がかわされ穏やかな時間が続いているのだろう。好きだった人から先に記憶から消えるという説もあるが、愛情を注いだ存在だという本能的な感覚はきっと残る。冬の泉はしんとさびしいけれど、白い光を静かに抱きながらいつまでも涸れることなく水を湛えている。『時効』(2015)所収。(今井肖子)


November 28112015

 小春日の人出を鴉高きより

                           上野章子

春には呼び合うように鳴きかわし、やがてつがいとなって繁殖期を迎え、子育てが終わると再び集団で森の中にねぐらを作って冬を越すという鴉だが、冬の鴉というと黒々と肩をいからせて木の枝に止まっている孤高なイメージがある。この句を引いた句集『桜草』(1991)の中にも〈鴉来てとまりなほさら枯木かな〉とある。まさに「枯木寒鴉図」といったところだが、そんな寒々とした鴉とは少し違った小春日の景だ。実際は作者が鴉を見上げているのだが、読み手は一読して鴉の視線になる。小春の日差しに誘われて青空の下を行きかう人間達を、見るともなく見ている鴉。その鳴き声がふと、アホ〜、と聞こえたりするのもこんな日かもしれない。(今井肖子)


December 05122015

 うしろより足音十二月が来る

                           岩岡中正

日少ないというだけでなく、十月に比べ十一月は本当にすぐ過ぎ去ってしまう。毎年同じことを言っていると分かっていながら十二月一日には、ああもう十二月、とつぶやくのだ。そんな十一月の、何かに追われるような焦りにも似た心地が、うしろより足音、という率直な言葉と破調のリズムで表現されている。ひたひたとうしろから確実に迫ってくる十二月、冬晴れの空の青さにさえ急かされながら、十一月を上回る慌ただしさの中で過ぎてゆく十二月。そして正面からゆっくりと近づいて来る新しい年を清々しい気持ちで迎えられれば幸いだろう。同じように破調が効いている〈栄華とは山茶花の散り敷くやうに〉から〈行く年の水平らかに鳥のこゑ〉と調べの美しい句まで自在に並ぶ句集『相聞』(2015)所収。(今井肖子)


December 12122015

 漣のぎらぎらとして冬木の芽

                           石田郷子

の日差しは思いのほか強い。鴨の池の辺などに立っていると、北風がひるがえりながら水面をすべる時眩しさは増幅されて光の波が広がるが、それは確かに、きらきら、と言うより、ぎらぎら、という感じだ。ぎらぎら、は普通真夏の太陽を思わせるが、その場合は暑さや汗や息苦しさなどのやりきれなさをひっくるめた印象だ。真冬の光の、ぎらぎら、は冷たい空気の中でひたすら視覚的で白い光の色を強く思わせる。思わず目をそらした作者の視線は近くの冬木の枝に、まだ固い冬芽のその先のきんとはりつめた空の青さが目にしみる。『草の王』(2015)所収。(今井肖子)


December 19122015

 ふたり四人そしてひとりの葱刻む

                           西村和子

役でも薬味でも焼いても煮ても美味しい葱は、旬である冬のみならずいつも食卓のどこかにのぼっており、一年のうち葱を刻まない日の方が刻む日より少ないな、と思う。家族の歴史は団欒の歴史であり家庭料理の歴史でもある。生まれも育ちも違う二人が日々食事を共にして知らなかった味を知り、時にぶつかり合いながらも、次第に新しい我が家の味が作られてゆく。子供達はその新しい味で育てられ同じように家庭を持ち、そうやって脈々と代々の母の味が伝わるのだろう。やがてひとりになっても、気がつくと葱を刻んでいる。この句の葱は細い青葱、ちょっと薬味に使うほどの量だ。リズミカルな音がかろやかに響く厨に、明るい冬日が差し込んでいる。『椅子ひとつ』(2015)所収。(今井肖子)


December 26122015

 千の葉の国に住みつき大根食ぶ

                           鳥居三朗

葉という県名は、県庁所在地の千葉市の地名から名付けられたというが、千葉という地名そのものの由来は諸説ある。しかし、千の葉、と美しい言葉で表現されると、豊かな自然と土壌が思われてなるほどと思う。千葉県八千代市にお住いだった作者、千葉名産のピーナッツが好物と伺ったが、今日は大根を食べている。今が旬のこの野菜、生でも煮ても焼いてもおいしく、その生活感が日常の幸せを思わせる。都会過ぎないけれど便利で住みやすい八千代での暮しにしみじみと幸せを感じながら、よく煮えて味のしみた大根をおいしそうに食べている様子が思い浮かぶ。飾らず優しく自然体だった鳥居三朗さんだが、今年の九月、あっというまに旅立たれてしまわれた。思い出されるのは笑顔ばかり、心よりご冥福を祈りつつ今年最後の一句に。合掌。『てつぺんかけたか』(2015)所収。(今井肖子)


January 0212016

 豆味噌つまみて二日の夜になり

                           鳥居三朗

知県生まれの作者にとって、豆味噌は故郷の味だったのか。そうは一度にたくさん食べられるものでもない豆味噌、つまむ、は、お酒のあてにしている感じもするし、重箱の隅のそれをちょこちょこ楽しんでいるとも思え、二日の夜、がまたちょうどよい頃合いだ。この句の調べは、四四四五、集中の一句前に〈おみくじからから吉吉初詣〉という句もあり、いずれもひとつひとつの言葉が破調のリズムと相まって心地よい軽みを生んでいる。〈地球より外に出でたし春の夜は〉。春を待たずに一人旅に出てしまわれた作者だが、今頃遥か彼方の地で楽しい時間を過ごしているに違いないと思えてくる。『てつぺんかけたか』(2015)所収。(今井肖子)


January 0912016

 鈴一つ拾ふ初寅神楽坂

                           肥田埜恵子

段なら目に留まっても拾うことはないかもしれない鈴だが、お正月の境内ということもありそっと手のひらにのせたのだろう。澄みきった空気を小さく震わせて一瞬かすかな音をたてる鈴、他の何を拾い上げてもこの仄かな味わいは生まれない。今日一月九日は初寅、一月最初の寅の日に毘沙門天に参詣する、ということなので、神楽坂善國寺の毘沙門天御開帳の日のできごとと思われる。初が付く十二支の日は、初午は二月、初辰は毎月、などそれぞれ異なるが、初未、とは取り立てて言わないという。今年もまた、知らないことだらけの身を刺激される一年となりそうだ。『俳句歳時記 第四版』(2008・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


January 1612016

 橙の灯いろしぼれり牡蠣の上

                           飴山 實

ともはやおいしそうな句だ、そして美しい。橙を牡蠣の上にきゅっとしぼった、と言っているだけなのだが、大ぶりの牡蠣にやさしい光をまとった橙の雫が数滴落ちて、牡蠣の身はよりいっそうふっくらと輝いている。牡蠣好きにはたまらないがやはり、灯いろ、の方が、灯色、より果汁のとろりとした自然な感じが出て、しぼれり、へのつながりも絶妙だ。生牡蠣にはレモンが添えられることが多いが、以前橙酢というのをいただいてそれがお刺身にとてもよく合ったことを思い出した。個人的には生牡蠣は何もかけずに塩味で食べるのが好みだが、今度橙を試してみたいと思う。『鳥獣虫魚歳時記 秋冬』(2000・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


January 2312016

 木の葉とは落ちてもじつとしてをらず

                           大久保白村

時記の「木の葉」の項を見ると「木を離れて了ふと単に木の葉としての存在となる。それと同時に散り残つた乏しい木の葉も亦木の葉といふ感じが強くなる」(虚子編 新歳時記)とある。生い茂っている時には幹と枝と共に一樹をなしている葉は、散った瞬間に生物としては終わりを迎えるが木の葉としての存在感を得る、ということか。そう思うと、木の葉、という言葉には、落葉や枯葉には無い永遠性が感じられる。掲出句の作者は、かつて樹としてざわめいていた葉が木の葉となってもなお風に遊ぶさまを見つめている。本質を観ながらやさしい視線だ。他に〈老いてなほ花子と呼ばれ象の冬〉〈日向ぼこしてゐるうちに老けにけり〉など。『続・中道俳句』(2014)所収。(今井肖子)


January 3012016

 縁側におはじき一つ山眠る

                           日原正彦

の句にあるのは遠い記憶の中の穏やかな日差しだ。おはじきは深い海の色に小さく光っている。少しささくれ立った木の温もりを手のひらに感じながらの日向ぼっこは心地よく、見るともなく見ているのは遥かな山の静けさ。読み手の中にもそんな冬日和の景が浮かんでくる。なんとなく捨てないで持っていたおはじきを今、手のひらにひんやりとのせてみた。はじいて遊んだ記憶はさらに遠いが、縁側と共に懐かしい。同じ集中に〈水仙の彼方に光る副都心〉とある。どちらの句も近景と遠景を一句の中に組み合わせて巧みであり、冬日の持つやさしさと鋭さがそれぞれ描き分けられている。(2015)『てんてまり』所収。(今井肖子)


February 0622016

 たわたわと薄氷に乗る鴨の脚

                           松村蒼石

の羽根は見れば見るほど複雑な色合いでそれぞれ微妙に違う。鴨の頭のあたりの暗い青緑色を「鴨の羽色」ということを最近知ったが、そんな体に比べて脚は皆一様に明るいオレンジ色で、陸に上がると体と微妙なバランスだ。たわたわ、という言葉はそんな鴨の脚の大きな水かきの質感を、生き生きというより生々しく感じさせるが、その生々しさでより一層薄い氷の下の水に光が満ちてきて、これは薄氷の句なのだとあらためて思う。それにしても、たわたわ、は字面もさることながらあ音を重ねて、声を出して読むと動きが見え音も聞こえて鴨らしい。『寒鶯抄』(1950)所収。(今井肖子)


February 1322016

 春の虹まだ見えるかと空のぞく

                           高濱年尾

の句は、現代俳句の世界シリーズの『高濱年尾 大野林火集』(1985・朝日新聞社)をぱらぱらめくっていて目に留まった。のぞく、という言葉は、狭いところから見るイメージがあり、どこから見ているのだろうと確かめると、年尾集中の最後「病床百吟」のうちの一句であった。「病床百吟」には、昭和五十二年に脳出血で倒れてから、同五十四年十月二十六日に亡くなるまでの作、百十一句が収められている。春の虹は淡く儚いイメージを伴うが、病室の窓からの景色になぐさめられていた作者にとっては、心浮き立つ美しさであったにちがいない。しばらくうとうとしたのか、窓に目をやるともう虹は見えない。ベッドから降りて窓辺に立ち空を見上げて虹の姿を探している作者にとってこの窓だけが広い世界との唯一のつながりであることが、のぞく、という言葉に表れているようで淋しくもある。「病床百吟」最後の一句は〈病室に七夕笹の釘探す〉。(今井肖子)


February 2022016

 春雨や酒を断ちたるきのふけふ

                           内藤鳴雪

雪といえば、円満洒脱な人柄と共に無類の酒好きであったことが知られており、三オンス瓶に酒を入れどこに行くにも持ち歩いていたという。大正四年十一月三日、ホトトギス婦人俳句会の第一回が発行所で開かれたが、その後句会は長谷川かな女宅で行われるようになり、鳴雪も指導にあたっていた。その折、かな女の御母堂は気配りの細やかなもてなし上手で、酒瓶が空になった頃合いを見計らって目立たぬように三オンス瓶に酒を継ぎ足していた、とは、句座を共にしていた祖母の話の又聞きである。そんな鳴雪が二日も酒を断つとは春の風邪でもこじらせたのかと思ったが、断ちたる、なので、飲めないではなく飲まない、だったのだろう。どんな事情にせよ、春雨ならではの一句である。今日二月二十日は鳴雪忌、青山墓地の一角にある墓前に漂っていた水仙の香など思い出しつつ献杯しようか。『鳴雪句集』(1909)所収。(今井肖子)


February 2722016

 まほろばを見はるかすがに内裏雛

                           篠塚雅世

年ぶり、と箱から出すお雛様。内裏雛と雪洞しか出さなくなってしまった我が家だが今年もテレビの横に並んでいる。榎本其角に〈綿とりてねびまさりけり雛の顔〉、渡辺水巴に〈箱を出て初雛のまま照りたまふ〉があるが、一年で老けてしまったように思うのも変わらず輝いているように感じるのも、いずれもお雛様らしい。掲出句の作者は、飾られている内裏雛が遠くまほろばを見ているようだ、と言っている。これも、気品のある微笑みと鮮やかで静かなたたずまいがいかにもお雛様らしく感じられる。年に一度出会う時、その時々の心の内がお雛様を通してふと見えるのかもしれない。『猫の町』(2015)所収。(今井肖子)


March 0532016

 鳩は歩み雀は跳ねて草萌ゆる

                           村上鞆彦

われてみれば確かに、鳩は首を前後に動かしバランスをとりながら歩いているが、雀はふくらんだ小さな体ごと両脚をそろえて跳ねている。鳥は大きさや生活エリアによってウォーキング派とホッピング派に分かれるというが、なるほどホップすると大きい鳥は体力を消耗しそうだし雀のよちよち歩きは見ていても危なっかしい。そんないつでもどこにでもいる鳥の動きの違いに気づくのも、気づいてすこしほっこりするのも早春ならではだろう。草萌、によって見える青が、鳥たちの動きを引き立てている。今日は啓蟄、空も風も大地もその色をゆるめつつあるが、目覚めたあれこれが這い出して来るのはもう少し先かもしれない。『遅日の岸』(2015)所収。(今井肖子)


March 1232016

 卒業の前夜に流す涙かな

                           宮田珠子

わずはっとさせられた。明日は卒業式という夜、その胸に去来するものは何だったのだろう。卒業式の涙とは違う涙、多感な十代の姿がありありと感じられるのは、目の前の景がそのまま句となったからだろう。作者は当時四十代、涙をこぼしているのは作者の小学六年生のお嬢さんである。以前にも書いたことがあるが、作者の宮田珠子さんは二人のお嬢さんを残して平成二十五年の秋に五十歳で亡くなられた。〈雛にだけ話したきことあるらしく〉〈子供の日子供だらけてをりにけり〉〈裸子の気になつてゐる臍の穴〉など、独特の愛情あふれる目線で作られた吾子句はいずれも個性が光っている。句会報を整理していて掲出句を見つけたが、あらためてその早逝が惜しまれる。(今井肖子)


March 1932016

 青も勝ちむらさきも勝つ物芽かな

                           中村草田男

芽は、ものの芽、「なにやらの芽といふ心持である」とは、この句を引いた「虚子編歳時記」(1940・三省堂)による。草の芽とも木の芽とも限定されていないが、「木の芽より草の芽についていうことが多い」(俳句歳時記 第四版・角川学芸出版)。そうだったのか、空を見上げた時に目に留まる枝先や遠景の木々の色合いにものの芽感を覚えていたので、草の芽と言われてすこし戸惑った。しかしいずれにしても、芽吹くといえばいわゆる青、つまりは緑という印象があるところを、むらさき、といったところに、ものの芽の仄かな紅が滲み出て瑞々しい。枯色から次第に息づくその力が、勝つ、という強い表現を重ねることで躍動感をもって伝わって来る。(今井肖子)


March 2632016

 コンサート星の朧を帰りけり

                           平川玲子

の夜の朦朧とした感じを表す朧。朧夜、というと朧月夜のことだが、草朧、谷朧、鐘朧、など様々なものの茫とした感じを表すおぼろである。掲出句、コンサート会場から出て興奮冷めやらぬまま大きく深呼吸しながら夜空を仰いだ作者に、春の星が瞬きかけている。星が見えているのだから月も出ていたかもしれないが、コンサートの余韻に包まれながら帰路につく作者には、朧月より小さな星々のやさしい光の方がしっくりきたのだろう。星の朧、というと、星が出ているなんとなく潤んだ夜気の中を歩いている、といった趣になり、帰りけり、の切れに軽い足取りも感じられる。『南日俳壇』(「南日本新聞」2016年3月24日付)所載。(今井肖子)


April 0242016

 囀や只切株の海とのみ

                           佐藤念腹

ろぼろだった昭和八年発行の『俳諧歳時記』〈改造社〉が修復されて戻ってきた。個人の修復家にお願いしたのだが、表紙から中身の一枚一枚まで色合いや手触りを残しつつすっかりきれいになり、高度な技術にあらためて感服した。その春の部にあった掲出句の作者、佐藤念腹は〈雷や四方の樹海の子雷〉の句で知られ、移住したブラジルで俳句創世記を支えたと言われている。雷の句のスケールの大きさと写生の力にも感服するが掲出句もまた、どこまでも続く開拓地の伐採跡を見渡す作者に、広々とした空から降ってくる囀りが大きい景を生んでいる。囀りは明るいが、目の前の広大な景色が作者の心にかすかな影を落としているようにも感じられ、簡単に言えない何かが十七音には滲むのだとあらためて思う。(今井肖子)


April 0942016

 目つむれば何もかもある春の暮

                           藺草慶子

人的なことだがつい先日の旅先での母の話を思い出した。日々の暮らしの中では、明日は句会へ行くとかあれが食べたいとか牛乳を買ってきてとか電球が切れたとか、そんな会話で明け暮れるわけだが非日常の旅先では、たとえばドライブをしながら昔のことを話す。登場するのは、もう記憶の中でしか会えないたくさんの人々や、既に無くなってしまった昔家族で住んでいた家などなど。なにもかも今は存在していないが、少し目を閉じるときっと鮮やかに思い出されるのだ。それは、ただ懐かしい思い出とかありありとよみがえる記憶というよりまさに、何もかもある、であり生きて来た現実なのだろう。春の夕日を遠く見ながらそんなことを思った。〈花の翳すべて逢ふべく逢ひし人〉。『櫻翳』(2015)所収。(今井肖子)


April 1642016

 春月の病めるが如く黄なるかな

                           松本たかし

しづつ月が育っている今週の初め、寝室の窓から細く黄色い月が西の空に見えた。ぼんやりとしたその月はどこか妖しい黄色で、ただ朧月というのもなんか違うなあとしばらく見ていたが、ぴったりする言葉も思いつかず寝てしまった。『ホトトギス雑詠選集 春の部』(1987・朝日新聞社)の中に掲出句を見た時、病めるが如く、とはなるほど言い得て妙な表現だと納得した。普通は月を見て、病む、という言葉はなかなか出てこない。やはり四季折々親しく見上げる月だからこそ、見る者の心情や境涯が自ずと映し出されるのかもしれない。生涯病がちだった作者はこの時、どんな心持で春月を仰いでいたのだろうか。(今井肖子)


April 2342016

 神のみぞ知ることの多すぎる春

                           稲畑廣太郎

成二十二年三月、と前書きがある。この一年後の平成二十三年三月から今日までのさまざまを思うとまさに、多すぎる、が今現在の実感として伝わってくる。掲出句が生まれたきっかけは何か個人的なことだったのかもしれないが、クリスチャンである作者の神に対する思いは常日頃からきっと深く、全ては神の思し召し、と受け止めていたと思われる。それでもそれにしても、と口をついて出た言葉がそのまま一句となっている。大地が芽吹き花が咲き、多くの人生の門出が祝われるこの季節に、その人生が思いもよらない方向へ行ってしまう出来事が次々起きる昨今。五、五、五、二、の破調が、そんな不本意な春をこの先もずっと語り残す。『玉箒』(2016)所収。(今井肖子)


April 3042016

 ゆく春の耳掻き耳になじみけり

                           久保田万太郎

日でなにかと慌ただしかった四月が終わる。いつもながら四月は、春を惜しむ感慨とは無縁にばたばたと過ぎて、ゴールデンウイークでちょっと一息つくと立夏を迎えてしまう。春まだ浅い頃、ああもう春だなあ、と感じることは目まぐるしい日常の中でもよくあるけれど、過ぎ行く春を惜しむ、というのは余裕がないとなかなか生まれない感情のように思っていた。しかし掲出句は、耳掻きで耳掃除をするという小さな心地よさを感じながら、淡々とゆく春に思いをはせている。さらに、ゆく、という仮名のやわらかさが、ことさら惜しむ心を強調することなく、再び巡ってくるであろう春を穏やかに送っていて不思議な共感を覚える。『俳句歳時記 第四版』(2008・角川学芸出版)。(今井肖子)


May 0752016

 手を空にのばせば我も五月の木

                           飯田 晴

誦していたつもりだった掲出句だがいつのまにか、空に手をのばせば我も五月の木、と覚えていた、まことに申し訳ないと同時にあらためて自らの言語センスのなさを実感している。手を空に、だからこそ初夏の風を全身で受け止めながら立つ作者の、思い切り伸ばした指の先の先が空にふれようとしているのが見える。五月の空は澄みきっている日ばかりではないけれど、この句にあるのは空から木々へ渡り来る新緑の風だ。掲出句が生まれてから十年ほどの月日が流れていると思われるが、また新たな風を感じながら、その手を五月の空へ大きく伸ばしている作者であるに違いない。『たんぽぽ生活』(2010)所収。(今井肖子)


May 1452016

 葉桜や好きなもの買ひ夕餉とす

                           小川軽舟

成二十六年の一月一日から十二月三十一日まで、一日一句の俳句日記を一冊にまとめた『掌をかざす』(2015)より五月十四日の一句。新緑の風の中、ベランダにテーブルを出して乾杯、という気になるのも今頃だ。そういえば今週始め連休明けの月曜日、そろって仕事が休みで外食でもとぶらりと出かけたのだが結局ベランダでビールとなった。外食に比べれば高いお刺身でも安上がり、などと言いつつスーパーに行きそれぞれ好きなものを選ぼうということになり、揚げ物を家人が手に取っても止めておけばとは言わず、普段買わないようなお惣菜をあれこれ買って帰りテーブルに並べた。買ったものばかりをパックのまま、という後ろめたさはなく美味しいビールが飲めたのも、葉桜がまだ軽やかに光っているこの季節だからこそだろう。前出の俳句日記のあとがきに「俳句はささやかな日常を詩にすることができる文芸である」とある。日々のつぶやきで終わらない四季折々の詩が並んでいる。(今井肖子)


May 2152016

 書くほどに虚子茫洋と明易し

                           深見けん二

年冬号を以て季刊俳誌「花鳥来」(深見けん二主宰)が創刊百号を迎えられた。その記念として会員全員の作品各三十句(故人各十五句)をまとめ上梓された『花鳥来合同句集』は、主宰を始め句歴の長短を問わず全員の三十句作品と小文が掲載されており、主宰を含め選においては皆平等な互選句会で鍛錬するというこの結社ならではの私家版句集となっている。掲出句はこれを機会に読み返してみた句集『菫濃く』(2013)から引いた。作者を含め、虚子の直弟子と呼べる俳人は当然のことながら少なくなる一方であり筆者の母千鶴子も数少ない一人かと思うが、その人々に共通するのは、高濱虚子を「虚子先生」と呼ぶことだ。実際に知っているからこそ直に人間虚子にふれたからこそ、遠い日々を思い起しながら「虚子先生」について書いていると、そこには一言では説明のできない、理屈ではない何かが浮かんでは消えるのだろう。茫洋、の一語は、広く大きな虚子を思う作者の心情を表し〈明易や花鳥諷詠南阿弥陀〉(高濱虚子)の句も浮かんでくる。(今井肖子)


May 2852016

 松落葉吹きよせられて海女の墓

                           森 婆羅

読して、海女の墓、に得も言われぬ切なさのようなものを感じた。と同時に、どこまでも続く松林の落葉が一斉に海風に吹かれる音が聞こえてくる。落葉の中にひっそりと立つ苔むした墓はきっと海に向いているのだろう。初めて目にする作者の森婆羅を検索すると、明治十年香川県生まれの俳人であり、香川県には海女にまつわる伝説と共に、海女の墓、と呼ばれる五輪の墓石が遺されていると知った。写真を見ると木漏れ日の中、静かなたたずまいの古い墓石で、墓のある志度寺は四国八十八箇所霊場の第八十六番札所であるという。確かな目で観て作られた句は見知らぬ景をくっきりと立てる。「新歳時記 虚子編」(1951・三省堂)所載。(今井肖子)


June 0462016

 人待ちの顔を実梅へ移しけり

                           中田みなみ

近は駅などで待ち合わせをしている人はほとんどややうつむき加減で手元を見ているので、人待ち顔で佇んでいる姿を見ることは少ない。人待ちの顔、とは本来、待ち人を探すともなく探しながら視線が定まらないものだが、掲出句はそんな視線が梅の木に向けられた、と言って終わっている。葉陰に静かにふくらんでくる青梅は目立たないがひとつ見つけると、あ、という小さな感動があり、次々に見えてきてついつい探してしまう、などという言わなくても分かることは言う必要がないのだ。移しけり、がまこと巧みである。他に〈爪先に草の触れゆく浴衣かな〉〈紙の音たてて翳りし祭花〉。『桜鯛』(2015)所収。(今井肖子)


June 1162016

 十薬やいたるところに風の芯

                           上田貴美子

の犬の散歩に時々付き合うようになって半年ほどになる。早朝の住宅街をただ歩く、ということはほとんどなかったので、小一時間の散歩だがあれこれ発見があって楽しい。そんな中、前日まで全く咲いていなかった十薬の花が今朝はここにもあそこにもいきなりこぞって咲いている、と驚いた日があった、先月の半ば過ぎだったろうか。蕾は雫のようにかわいらしく花は光を集めて白く輝く十薬。どくだみという名前とはうらはらに、長い蘂を空に伸ばして可憐だ。いたるところで風をまとっている十薬の花と共に、どこかひんやりとした梅雨入り前の風自体にも芯が残っているように感じられたのを思い出した。他に〈透明になるまで冷えて滝の前〉〈人声が人の形に夏の霧〉。『暦還り』(2016)所収。(今井肖子)


June 1862016

 水澄し見る水の上水の中

                           そら紅緒

舞虫(まいまいむし)ともいわれるミズスマシ。ランダムな曲線を描きながら水面を忙しく動き回っている。じっくり見たこともないのであらためて調べるとなかなか興味深い体の作りだ。特に眼、二つの複眼はそれぞれ水中用と水上用に仕切られ計四つに分かれているのだという。掲出句を読んだ時は、水面から上を見たり下を見たりしながら進んでいるのかと思ったがそうではなく、あの素早さで動きながら水底も空も同時に見えているということだ。あらためて声に出して句を読んでみると、重なる四つの、み、と七七五のリズムに、想像もつかないミズスマシの視界を体感しているような不思議な世界に引き込まれる。作者は沖縄在住、句集名は沖縄の言葉で「蝶」のことである。『はあべえるう』(2015)所収。(今井肖子)


June 2562016

 さくらんぼ洗ふ間近に子の睫毛

                           花谷和子

を迎えているさくらんぼ。今日も近所のスーパーで美しく陳列されていて、「はい、さくらんぼですよ、旬が短いさくらんぼ、今日はもう夏至、今が食べ時お買い得〜」と言っている青果売り場のおじさんの顔を思わず見てしまったが、「旬」とは四季がある日本らしいまこと良い言葉だなとあらためて思う。さくらんぼ、という音の響きやその形や色の愛らしさから、さくらんぼの句にはよく子供が登場するが、掲出句の、睫毛、は省略が効いていて俳句らしい表現だ。母の手が洗うさくらんぼをのぞき込む子の視線、その子に注がれている母の視線。長い睫毛の大きな目はさくらんぼよりきらきらしている。『季寄せ 草木花 夏』(1981・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


July 0272016

 岩牡蠣ををろちのごとく一呑みに

                           武田禪次

ろち(大蛇)を大辞林で引くと、〔「お」は峯、「ろ」は接尾語、「ち」は霊力のあるものの意]大きな蛇。(後略)、とある。掲出句は一読して、大粒の岩牡蠣をちゅるりと口に入れた時の感覚がよみがえり、ああ食べたい、と思わせる。をろち、というやや大仰な表現が逆に、蛇という生き物の持つさまざまな感触を一掃しながら一呑み感だけを強調して比喩として楽しい。食べ物を句にする時、説明ではない言葉で詠み手を掴んで、美味しそう、と思わせるのは簡単なようで難しい。『留守詣』(2016)所収。(今井肖子)


July 0972016

 仰向きて泳げば蒼き天深し

                           大輪靖宏

年ほど前に観たアニメ映画『サカサマのパテマ』を思い出した。重力が地上と真逆の方向に働いている地下の世界に住む少女パテマが、とあるきっかけで地上へ堕ちて?しまうところから始まってゆく物語だ。地上に出ても、パテマ自身には空に向かって重力が働いているので、何かにつかまっていないと永遠に深い空へ落ちていってしまう。高所恐怖症の筆者は画面を見ながら想像するだけで足がむずむずしたが、よくできているおもしろい映画だった。掲出句の作者はおそらく海に浮かんでゆっくり泳いでいるのだろう。背中の下は海の底、浮力で少し軽くなった体にゆるやかな重力がかかり、視線の先には真夏の青空が広がっている。天が深い、という表現には、海に自重をあずけるうちに天地が曖昧になり、空の彼方の宇宙空間にまで思いが飛んでいくような不思議な感覚を覚える。『海に立つ虹』(2016)所収。(今井肖子)


July 1672016

 夜の青葉声無く我ら生き急ぐ

                           清水哲男

事の都合等で伺えなくなりずっとご無沙汰となってしまっている余白句会だが、句会記録だけは拝読している。今回久しぶりに過去の記録を読み返した中にあった掲出句、2013.6.15、第107回の余白句会で筆者が「天」とさせていただいた一句である。「青」が題だったので他にも青葉の句はあったのだが一読して、くっとつかまれるような感じがしたのを思い出す。今を盛りの青葉も思えばあとは枯れゆくのみなのだが、移ろう季節の中で長い年月を繰り返し生きる木々と違い、人は短い一生を駆け抜けて終わる。闇の中に満ちている青葉の生気を感じながら、作者の中にふと浮かんだ見知らぬ闇のようなものが、三年前よりずっと身近に思えてくる。(今井肖子)


July 2372016

 何もかも何故と聞く子と夕焼見る

                           今井千鶴子

和三十三年の作なので子は四歳、作者はその長女と並びもうすぐ一歳になる次女を抱いて官舎の縁側に立って西の空を見ている。白金育ちのお嬢様は病院勤務の医師と結婚、そのまま東京で暮らすはずだった。ところが突然結核になった夫は療養も兼ねて箱根の国立療養所に転勤、こんなはずじゃなかったという思いを抱きながらこの年三十歳になった作者である。そして長女は「ねえなんで空が赤くなるの」といつもの「なぜなぜ攻撃」を仕掛けてきており、そうねえなどと言いつつ「なんでこんな田舎で暮らさなくちゃいけないの、何故って言いたいのは私よ〜」と心の中で叫んでいたにちがいない。今日も何とか一日が終わった、と見る夕焼が美しければ美しいほど泣きたいような気持ちになったことだろう。豊かな自然の中での暮らしは作者の俳句に大きな力を与え、四十三歳で東京に戻るまでの十数年間、俳句が作者を支えたに違いないけれど、この時の作者の心情を思うとちょっぴり切ない。『吾子』(1981)所収。(今井肖子)


July 3072016

 ふたたびは聞く心もてはたたがみ

                           稲畑汀子

たたがみの、はたた、は擬音語ともいわれるが、激しく鳴りとどろく雷のことをいう。掲出句、直接表現されていない最初の激しい雷の音が聞こえる。突然の雷には誰もが驚かされるが、室内にいれば命にかかわることはまずない。そうなると恐怖心は確かにありながら、どこか自然の力を目の当たりにすることを望むような心理も働く。聞く心、という一語には、二回目は驚かないという理屈をこえた作者の自然に対する思いが感じられる。この句は句集『さゆらぎ』(2001)より引いたが、そのあとがきに「二十一世紀はもう一度、「人間も自然の一部である」という根本に立ち返り、人間と自然の調和を考えなければならない」とある。二十一世紀になってからの十数年間のさまざまを思い返すと、漠然とした憂いに覆われる現在である。(今井肖子)


August 0682016

 八月六日のテレビのリモコン送信機

                           池田澄子

集『いつしか人に生まれて』(1993)で出会ってから、八月六日が近づくと心に浮かぶ句です。「八月六日」は、その時生きていたすべての命が常に直面していた戦争という免れがたい現実の象徴であり、季題の力、という言葉だけでは到底表現しえない生と死そのものという気がします。七十年の時を経た今、押さない日はほとんどないリモコンの送信ボタンから八月六日を思い起こす人は少なくなる一方ではありますが、この句は読み手の心に残り続けます。作者の池田氏を始め多くの俳縁は、増俳なくしては得られませんでした。季語が入って五七五なら俳句なのか、季題の力とは何なのか、安易に季語をつけることをしないがゆえの無季句の難しさなど、それまで思い及ばなかった様々を考え続けながら、この十年の全ての縁に深謝致します。(今井肖子)




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