意地はって靖国へ。昨今の大人の幼児子供化現象に見事に対応してますな。(哲




2006ソスN8ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1682006

 叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉

                           夏目漱石

石には名句、好きな句がたくさんある。全部でおよそ2,600句あるという。大正六年に『漱石俳句集』が編まれ、その後『漱石全集』にもちろん収められている。初めて掲出句を読んだとき、私はギャッと叫んだ。小説家の繊細な観察眼、好奇心、ユーモア・・・・この視線や取り合わせはタダモノではない。文豪の面目躍如。読経でポクポク叩かれる木魚の口から、あわててフラーリ、プイーととび出す間抜けな昼の蚊に妙な愛着を感じて、叫んだあとで思わずほくそえんでしまった。先日、親戚の法要で木魚ポクポクを前に、この句を想起して思わず表情がゆるみかけた。あわてて神妙に衿を正したものだ。さて、ところがである。この句は明治二十八年の作だが、坪内稔典著『俳人漱石』(岩波新書)によれば、すでに江戸時代の東柳という人の句に「たゝかれて蚊を吐(はく)昼の木魚哉」があるという! 稔典氏は「とてもよく似た句」であり、「漱石さんの句として認められるのかどうか」と惑い、漱石の独創が原句をしのいでいる必要があると結論している。その場で、漱石には「東柳の句を覚えていたのだろうなあ」と微妙な発言をさせている。私は「昼の蚊」を主体にした漱石句のユーモラスな姿のほうが「原句をしのいでいる」と思うのだが。『漱石俳句集』(1917)所収。(八木忠栄)


August 1582006

 三児ありて二児は戦死す老の秋

                           佐藤紅緑

藤紅緑の実生活は、最初の妻に四人の息子、二番目の妻に二人の娘、さらに他所にも子供があり、「三児ありて」にして既に事実ではない。正岡子規門下の俳人だった紅緑だが、のちに劇作家、小説家となった彼の俳句に虚構や仕掛けがあることは当然だろう。しかし、このような事象が周囲にいくらでもあったことはゆるぎない事実である。当人の家庭環境が真実どうであったかということは、掲句にとってさほど重要ではない。兵隊に連れて行かれ、戦場のなかで命を落とした還らぬ我が子に思いを馳せる老人。生きていればいま何歳か。亡くなった子の年齢をいくたび指折り数えたことだろう。今日で大戦の終結から61年。私も含め、戦争を知らない世代からすれば途方もない年月を経たように思うが、時間が経過することは忘れ去ることでは決してない。今ここに頭を垂れて、愛する者を失った多くの人々の慟哭に耳を傾ける。『文人俳句歳時記』(1969・生活文化社)所載。(土肥あき子)


August 1482006

 歌舞伎座の前の混雑秋暑し

                           甲斐遊糸

の上では秋になったが、まだ暑い日がつづく。この状態が「秋暑し」だ。「残暑」に分類。体感的にも真夏並みに暑く、その上に何かの光景に遭遇すると、いっそう暑さが増してくることがある。早い話が、この時期のバス停などでむずかる赤ん坊を見かけただけで、汗が余計に噴き出す感じになったりする。先日乗った飛行機の中では、福岡から羽田まで泣きっぱなしの幼児がいた。むろん機内は冷房されていたが、その暑苦しさには辟易させられた。作者は同じような暑さを、歌舞伎座の前で体験したのだ。「混雑」は、団体観劇の一行がバスで到着したことからだろう。普段、歌舞伎座の前は繁華街から外れているので、そんなに混雑する場所ではない。たまたま通りかかった作者は、にわかに出現した混雑の人いきれに暑さがいや増したのであり、そしてもう一つ、暑く感じた要因がある。この一行は、場末の映画館に来たのではないのだから、それなりに着飾っていたことだ。団体観劇とはいえ、一等席や二等席ならチケットは一万円近くはするだろう。その金額に見あった装いとなると、女性ならば和装が多かったかもしれない。一人ひとりを別々に見れば涼しげな装いだとしても、着飾った団体ともなるとそうは見えない。そこだけが、さながら熱のかたまりのように感じられたはずだ。そんな歌舞伎座前ならではの独特の「秋暑し」を詠んだところに、長年修練を積んだ俳句の目の光りが感じられる。『朝桜』(2006)所収。(清水哲男)




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