阪神、今季8度目のサヨナラ勝ち。しのいでいれば、また竜の尻尾が見えてくる。(哲




2006ソスN8ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1782006

 天の川由々しきことに臍がある

                           永末恵子

気の冴えた田舎の暗闇に初めて天の川を見たのは、三十近くになってからだった。夜空の中央に白っぽく明るんでいる帯が天の川だと教えられたときには「MilkyWay」の命名の妙に感じ入ったものだった。が、同時に頭上の銀河は想像していたきらきらしさにはほど遠く、その落差にちょっとがっかりもした。永末の句は言葉の展開に、ふっと虚をつかれるような意外性がある。俳句とともに連句もこなす作者は、付けと転じの呼吸から俳句の上五から中七座五へと綱渡る感覚を磨いたのだろうか。予想のつかない言葉の転がりに読み手がどのぐらい丁寧に付き合ってくれるか定かではないが、それもお好みのままに、と言った淡白さが持ち味に思える。中天にかかる「天の川」を思う気持ちは「由々しきことに」と普段使わぬ古風な言葉に振りかぶられ、身構える。そこに座五で「臍がある」と落とされると、なぁんだ、と気が抜ける同時に臍があること自体が由々しきことのような不思議な感触が残る。頭上に流れる壮大な天の川から身体の真ん中にある臍へ。その引き付け方に滑稽な現実味が感じられる。『借景』(1999)所収。(三宅やよい)


August 1682006

 叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉

                           夏目漱石

石には名句、好きな句がたくさんある。全部でおよそ2,600句あるという。大正六年に『漱石俳句集』が編まれ、その後『漱石全集』にもちろん収められている。初めて掲出句を読んだとき、私はギャッと叫んだ。小説家の繊細な観察眼、好奇心、ユーモア・・・・この視線や取り合わせはタダモノではない。文豪の面目躍如。読経でポクポク叩かれる木魚の口から、あわててフラーリ、プイーととび出す間抜けな昼の蚊に妙な愛着を感じて、叫んだあとで思わずほくそえんでしまった。先日、親戚の法要で木魚ポクポクを前に、この句を想起して思わず表情がゆるみかけた。あわてて神妙に衿を正したものだ。さて、ところがである。この句は明治二十八年の作だが、坪内稔典著『俳人漱石』(岩波新書)によれば、すでに江戸時代の東柳という人の句に「たゝかれて蚊を吐(はく)昼の木魚哉」があるという! 稔典氏は「とてもよく似た句」であり、「漱石さんの句として認められるのかどうか」と惑い、漱石の独創が原句をしのいでいる必要があると結論している。その場で、漱石には「東柳の句を覚えていたのだろうなあ」と微妙な発言をさせている。私は「昼の蚊」を主体にした漱石句のユーモラスな姿のほうが「原句をしのいでいる」と思うのだが。『漱石俳句集』(1917)所収。(八木忠栄)


August 1582006

 三児ありて二児は戦死す老の秋

                           佐藤紅緑

藤紅緑の実生活は、最初の妻に四人の息子、二番目の妻に二人の娘、さらに他所にも子供があり、「三児ありて」にして既に事実ではない。正岡子規門下の俳人だった紅緑だが、のちに劇作家、小説家となった彼の俳句に虚構や仕掛けがあることは当然だろう。しかし、このような事象が周囲にいくらでもあったことはゆるぎない事実である。当人の家庭環境が真実どうであったかということは、掲句にとってさほど重要ではない。兵隊に連れて行かれ、戦場のなかで命を落とした還らぬ我が子に思いを馳せる老人。生きていればいま何歳か。亡くなった子の年齢をいくたび指折り数えたことだろう。今日で大戦の終結から61年。私も含め、戦争を知らない世代からすれば途方もない年月を経たように思うが、時間が経過することは忘れ去ることでは決してない。今ここに頭を垂れて、愛する者を失った多くの人々の慟哭に耳を傾ける。『文人俳句歳時記』(1969・生活文化社)所載。(土肥あき子)




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